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梅雨の鬼怒川温泉ひとり旅|温泉街のディープな静寂に浸る

雨の日が続くと、なんとも言えないふわふわとしただるさに包まれる。動きたいけど動きたくなくて、「今日やろう」と思っていたこともつい後回しにしてしまう。すると、ダメな自分にもっと気分が落ち込んで、なんだかすべてがうまくいかないような気がしてくるのだ。

そんな梅雨の憂鬱をどこかでリセットしようと、眠れない深夜の思いつきで関東の温泉地を検索しはじめた。草津、伊香保、湯河原……。有名どころをあたるなかで、手ごろな宿を予約できたのが「鬼怒川温泉」だった。

実は一年ちょっと前、私は日光に置いてきたものがあった。日光東照宮をゴールとするジャーニーランの大会をリタイアして以来、いつか訪れなければ、と頭の片隅に残り続けている場所だった。やっとその機会がめぐってきたのだと思う。


今日は宇都宮から文挾ふばさみ駅まで20kmほど歩き、そこから日光駅へ電車で移動。東照宮に続く表参道を往復し、食べ歩きを楽しんでからやってきた。

大会のリベンジよろしく、日光街道を歩きたい気持ちもあったが「今回はリフレッシュするための旅なんだから、わざわざ雨に濡れて歩かなくてもいいんじゃない?」とささやく心の声に素直に従い、東武鬼怒川線に揺られることにした。

さほど歩いていないくせに、朝の車内で思いきりうつむいて寝てしまったせいで寝違え状態の首が痛い。そんな情けない身体をつれて、16時22分、鬼怒川温泉駅に降りた。


時のはざまに迷い込んだようなまち


木のぬくもりが感じられる明るい駅舎を出ると、空は厚い雲に覆われていた。その独特のグレートーンは、どこか雪の日の空に似ている。

雄大な日光連山には白い霧のベールがかかり、目の前をすべる小さな雨粒がまるで雪の結晶のように映る。冷涼ではあるものの、水分を含んだ空気がしっとりと体にまとわりつく。それは、まち全体に充満する濃密な湯けむりに包まれているようにも思われた。

雪のように舞う

駅前には土産物屋が並び、ところどころシャッターの下りた飲食店が点在する通りを700メートルほど歩く。すれ違う観光客のすがたもまばらで、観光地としての派手な賑わいはない。一方で、このひっそりとした温泉街の風情に私の胸は静かに弾んでいた。


鬼怒川を対岸へ渡り、垂直に切り立つ楯岩。そのほとりに建つのが「ホテル ニューおおるり」である。

源泉100%かけ流し、全室から鬼怒川を一望できて朝食付き1泊6,550円~という手ごろさ。設備に年季が入っているという口コミも見かけたけれど、価格を考えれば十分だろう。
また、こちらの魅力は屋上の露天風呂を無料で貸し切れることなのだが、4時半過ぎのチェックインでは「今日はもう予約で埋まってまして…」と断られてしまったのは残念だった。

ひとりには十分な8畳の客室。

カーテンを開けると眼下に力強く流れる鬼怒川、気の遠くなるような時間をかけて形成された渓谷美が広がる。

景色にひとしきり満足すると荷物を置き、夕食を求めて再度外に出る。ホテルで提供される食事は朝夕どちらもバイキング形式。朝食のみのプランを予約して、夜は自由に地元の味を探すことにしていた。

しかし、ホテル内で完結する部屋食が主流であり、夜間営業している食事処は少ない。開店の17時に合わせて、あらかじめ目星をつけていた「食事処 遊喜」さんへと急ぐ。ご夫婦で経営されている小さな店で、川魚やジビエといった地のものがリーズナブルに楽しめるそうだ。

「予約推奨」との口コミも見かけたが、急に決めた旅なのでもちろん予約できていなかった。すんなりと入店できてほっとする。

私のあとに1組、続けて一人客が入ったが、その後「すみません、19時まで予約でいっぱいなんです。それ以降でしたら……」と、女将さんが電話口で断る場面も耳にした。一人客なら空いた隙間に滑り込めることもあるので、こういうときはひとりに利があるな、とあらためて噛み締める。

カウンターに着席し、まずはサラダと、日光らしい鮎の塩焼き、湯葉の天ぷらを注文。特に、中はトロッと、薄い衣が軽く揚がった湯葉の天ぷらがおいしい。

追加注文したいところだったが、混雑する前にサッと退店した。接客もほどよい距離感ですっかりいい気分に浸る。
そのまま宿に戻り、温泉で全身を癒した。持参した文庫本をめくりながら、だらだらと布団に横になる幸せもある。

旅のもうひとつの楽しみである早朝徘徊に備えて、この日は早々に目を閉じた。


栄枯盛衰の境界線をたどる


早朝4時過ぎ。夜の色を引きずった温泉街は、まだ当然のように寝静まっている。水を2、3口含むだけで、ホテルのルームキーとスマホ、カメラを持ってゆるゆると走り出した。

誰ひとりとしてすれ違わないまちを、鬼怒川の上流へ向かって進む。走る振動に合わせて、ポケット内で鍵がカチャカチャと擦れ合う金属音だけが小気味よいリズムで静寂に響く。目指すは、ここから片道約6km先にある「龍王峡」だ。

空は相変わらずのトーンを保っている。これでは朝も夕もそう違いはない。いまは何時で自分はどこにいるのだろうか?、自意識の輪郭が溶けて薄れていく。

鬼怒川温泉は、かつて日光詣帰りの大名や僧侶だけが利用を許された由緒ある温泉だった。一般開放後は、バブル期に団体旅行の特需に沸き、箱根や熱海と比べて「東京からやや遠い」というハンデを補うため、大型ホテルを乱立させて団体客を囲い込む戦略をとる。しかし、それがバブル崩壊後の仇となった。

団体旅行の減少、メインバンクの破綻、硬直化した料金設定……。うまく時代を乗り換えた草津や伊香保とは対照的に、鬼怒川は「再生しきれなかった側」の温泉街として、川沿いに廃墟化した大型ホテル群を残すことになってしまったのだ。

それらは鬼怒川温泉駅から離れた北東部に集中しており、霧のなかにそびえ立つ廃ホテル群は、まるで崖の上の孤城のような独特の凄みを放っている。

もし快晴ならば、万緑と青い川が美しい、けれども“よくある”景色だったろう。どことなく不気味で切ないほどの趣は、曇天のもとでなければ味わえない。

こちらのキャンプ場には、テントが点在する

ゆるい登り坂をのろのろと進む。歩道がなく路側帯も非常に狭い場所もあり、日中だと歩きにくそうだが、いまは車1台さえも通らない。ぱらぱらと霧雨が体を包み込んだ。

標識は「会津西街道」を示す
この道をずっとたどっていけば、福島県までつながっているのか


龍王峡は、片道3kmの整備されたハイキングコースが続く景勝地である。火山岩が鬼怒川に浸食されてできた、龍がのたうつような姿の奇岩怪石と清流が織りなす絶景がひろがる。

さて、気持ちよい自然のなかをどこまで進もうか。つづら折りの階段を降りながら考えるが、いまは飲み物を買う小銭すらも持たないくらい身軽だ。日光は市街地にも熊が出没するエリアだし、早朝に丸腰でひとり歩き回るのはやめておこう…。

数分で虹見の滝に着いた。陽光が差し込むと美しい虹がかかるそうなのだが、この空模様ではその気配もない。

誰もいない空間に、轟々と滝の落ちる音だけが響いている。圧倒的な静けさにしばし身を預けた。ひとり旅をしていると、こんな時間こそがもっとも贅沢で、至高の瞬間に思える。

湿度の高さに嫌な汗がまとわりつくが、じっとしていると肌寒いくらいの気温だ。濡れた身体が冷え切る前に来た道を引き返す。復路は下り基調だから足どりも軽い。雨はいつの間にか小雨へと勢いを増していた。

温泉街に戻るころにはすれ違う車があらわれ、若者4人組、鬼怒川でもっとも歴史ある老舗旅館「あさや」から出てきた親子3世代とすれ違う。生活の息づかい。寂れていたまちに、じわじわと人間の体温が戻ってくる。


川のそばにある安心感


二度目の温泉に肩まで浸かり、冷えた身体をあたためる。ふと外の景色に目をやると、雨はもう傘が必要な本降りになっていた。運がよかった。

7時からの朝食バイキングは、思ったよりも品数が充実している。自分でつくれる海鮮丼まであるのは嬉しい。今日はもうこれ以上動き回らないのに、一走りしてきた適度な空腹感に甘えておかわりまでしてしまった。

チェックアウト時刻までは、部屋のベッドでぱちぱちと窓に当たる雨音を聞きながらまどろんだ。都会の雨はただただ気が滅入るのに、環境を変えるとこんなにも心地よく、やさしく聞こえるから不思議だ。

「やっぱり首が痛い…」と思いながら

力強い轟音が聞こえるほどではなくても、すぐそばに川があるというだけで、なんだかすべてを許せてしまうような気がする。海の雄大さに飲み込まれるのもいいが、深い渓谷の隅っこに隠してもらうような独特の安心感がここにある。

こんな日は、宿にこもる時間を存分に愛したい。


せっかくなので、往路とは移動ルートを変えて東武鉄道の特急リバティきぬに乗り込む。

車窓から流れる見慣れない景色を眺めていると「ああ、まだ帰りたくないな」とほんのり寂しさが込み上げる。浅草まで乗り換えなしで約2時間、いつでも来られる距離なのに。もっと川沿いの温泉街をめぐりたくなり、実はもう次の旅先まで決めてしまった。

しっとりと濡れる梅雨と深い自然、すこし寂びれた温泉街の空気が醸し出すディープな魅力が雨の楽しみ方を教えてくれた。
とはいえ、本来は夏好きな私である。心の奥ではカラッとした強い日差しと、青い空、青い海が拝める季節を今か今かと待ちわびている。