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スナック社会科vol.12「『いつの日かガザが私たちを打ち負かすだろう-早尾貴紀対談集-』刊行記念 早尾さんと小田切さんにもっと嫌な話を聴く」に向けて②

 くそみたいな参院選が始まりましたね!暑いのにやってられないですね!各大手メディアも無批判に極右政党の主張を垂れ流すのは千の丘ラジオ(ミル・コリンヌ放送=RTLM)と変わらないのでやめてほしいですね!我々は、粛々とあらゆる非人間化に抗っていきましょう。
 そろそろ第一刷も読了された方が増えてきたのか、こちらのnoteも見ていただく方が増えてきました。今回は、刊行記念と銘打った本書の各章と関連書籍などの紹介から行ってみたいと思います。


序章 
はじめに

 対談集とはいえ、冒頭に10.7からの現在(刊行時点)をちゃんと押さえておいてくれるのはさすが。2025.1のトランプ大統領就任直後からガザ、パレスチナに関しての発言も話題になりましたが、トランプがいま初めて言い出したものではない、という重要なことがまず書かれています。トランプの発言はいちいち日本でも報道されるので、初めて知って「ひどい!」と思う人もいるかも知れませんが、広く日本で知られてこなかっただけで、イスラエルとしては既定路線だったよ、というもの。
 「ガザ地区が文字どおりに消滅させられようとしている」という、厳しい言葉で始まる、この「はじめに」ですが、短いけど重要なので(そして、この序章を読んでおくとあとの対談の入りが全然変わると思うので、書かれた時系列をチェック入れながら読むと良いかなと思います。)

1 「ガザ一掃」の歴史

 ここで冒頭から重要なキーワード「移送(トランスファー)」という言葉が出てきます。これはパレスチナのことを考える上でも、難民のことを考える上でも重要な言葉になってきます。
 そして、シオニズム運動による「入植者植民地主義(セトラーコロニアリズム)」が、およそ百年前の第一次世界大戦後イギリス統治時代から、1947年のイスラエルによるパレスチナ侵攻(パレスチナ人にとってはナクバ)、第一次〜第三次中東戦争、占領の始まり、と時代を追って現在に至る歴史が押さえられる章となっているので、「パレスチナ問題に今初めて興味を持った」という方の初学にも、ずっと追ってきた方の復習にも良いと思います。よくこの短さにまとめたな、という感じです。

2 「ガザ一掃」の現在

 そして、前章で振り返った歴史がここで現在に接続されます。今この状況を知っているからこそ、周到にここに至る計画が続けられてきたのだと凍りつく思いです。そして「はじめに」でふれられたトランプ就任以後、さらに最悪が更新されたガザの状況と、次は西岸地区という、サラ・ロイが『なぜガザなのか』で書いていたことの検証、これから起こるであろうことが続き、日本へとそれを繋ぎ、本書タイトルの意味で結ばれます。次章から対談本編へと入って行きますが、その前の準備をしっかりして、絶望からスタートです。

Ⅰ ガザの根源

3 西岸地区、そしてパレスチナ全体との関係

第1章 パレスチナで起こっている本当のこと
×小田切拓

関連書籍
サラ・ロイ著、岡真理・小田切拓・早尾貴紀編訳『ホロコーストからガザへ』 『なぜガザなのか』

 今回のスナック社会科にご登壇のお二人の対談からスタートします。この対談が行われたのは10.7の1ヶ月後だったということに注目。冒頭から「オスロ和平の矛盾と欺瞞」から切り込んでいきます。今となってはサラ・ロイ本の2冊を経て、そこにようやくついて行けるようになりましたが、当時の国内の報道や「専門家」(カッコ付き)のコラムや記事などで、ここから突っ込んでいったものがあっただろうかと思います。当時も今も「イスラム組織ハマス」と書かれ続けるくらい、そのハマスがどんな組織であるかということも、10.7を今だに読み誤っている部分も、背景の検証も広く伝えられていないのではないかと、このお二人の対談を読んで思いました。背景を検証していくと日本を含む西側諸国の都合の悪いことばかり出てくるので、それを避けている部分も、中東やアラブ世界自体への興味の薄さやイスラモフォビアやムスリム蔑視などもあるのでしょう。
 そして、この時点で既にサラ・ロイの『ホロコーストからガザへ』を2009年に出版し、『なぜガザなのか』の原典となる書籍も既に出た当時に読んでいたお二人でも、「でも今回目が覚めました」(小田切)、「これまでどこかで躊躇がありました」(早尾)というほど、改めてずっと続いていたシオニズム運動の核心に触れる、直面させられるものとなっていて、この二人をしてもそうだったのか、と思いました。こうして本の形になって残るものとなって本当に良かったと思う対談です。
 サラ・ロイ本が難しくて入りづらかった人はこの対談を読んでから読むと良いかもしれません。

第2章 パレスチナと第三世界ー歴史の交差点から連帯する
×金城美幸、林裕哲

関連書籍
現代思想2024年2月号 特集=パレスチナから問う
-100年の暴力を考える-

在日本韓国YMCA(編)『交差するパレスチナー新たな連帯のために』
早尾貴紀・李杏理・戸邉秀明編『徐京植:回想と対話』

 まだ、10.7の衝撃が冷めやらないまま、1.1には能登半島地震を迎え、日本も世界もガタガタな真冬に出たこの現代思想のパレスチナ特集はお手に取った方も多かったと思います。その冒頭の鼎談を転載していますが、2024年末に徐京植さんが亡くなる直前に行われていたということも今読み返すと大きいなと思います。パレスチナと日本を繋げて語るにこんなにふさわしい人を、その話を聞きたかった人を、10.7が起きて早々に失ってしまったということは本当に大きな喪失です(また、徐さんもパレスチナを相当気にかけていたそうです)。
 前章の小田切さんと早尾さんの対談のように、イスラエル(シオニズム)とパレスチナ「自体」と国際社会を見ていくことはとても重要なのですが、この鼎談の李さん(パレスチナ研究)、林さん(第三世界研究)、それぞれの専門やルーツから照射されることや語られることは、遠く離れた日本の私(たち)が、その距離だけでなく、イスラエルと変わらないことを朝鮮半島や東・東南アジア、沖縄や北海道(北方領土、樺太含む)にやってきた大日本帝国の子孫でもあるということを思いながら読むと、より見えてくるものがあると思います。当時出てすぐ読みましたが、自分ひとりで国内の報道だけに触れていたら辿り着かない視点と忘却してはいけないことを与えてくれる鼎談だと思います。

(前略)
早尾 日本では朝鮮民主主義人民共和国に対して、彼らの政治的文脈あるいは自決権を全く無視して悪魔化するような「北」という言い方がなされます。「北の独裁」と言えば、どのような悪口を言ってもいいというような雰囲気が日本に溢れているのではないでしょうか。本当であれば、日本でもハマースを含むパレスチナと対話をする回路を、また朝鮮とも積極的に対話の回路を作っていかなければいけないというのに、政府レベルあるいは排外的な社会のレベルでは、「イスラエル化」していると言わざるを得ない。
林 (略)また、早尾さんがおっしゃったように、日本が朝鮮民主主義人民共和国を「北朝鮮」と呼ぶことと、イスラエルがパレスチナ人ではなく「アラブ人」と呼ぶことは非常に類似しています。どちらも相手の主体性を歴史的な存在として承認しないという姿勢です。例えばグルジアがジョージアという国名を使うよう呼びかけるとすぐさま適用したにもかかわらず、朝鮮民主主義人民共和国がそう呼ばないよう要請している「北朝鮮」が根強く流通している背景には、植民地主義的な態度があります。相手を歴史的存在だとは考えず、むしろ自らと相手との間にあった歴史を消去して初めて、悪魔化が成り立つのです。朝鮮民主主義人民共和国がなぜ日本やアメリカに対してあのようなスタンスを取っているのかを歴史的に理解しようという姿勢すら見られません。
早尾 そもそもなぜ朝鮮半島が分断されているのかということから問わねばならないにもかかわらず。
(略)
金城 悪魔化が歴史の消去から始まるというご指摘はその通りだと思います。日本のメディアはハマースに言及するとき、「イスラーム組織」と呼びますが、ハマースの正式名称は「イスラーム抵抗運動」(太字箇所、本文ではルビ)です。この語順の中でイスラームだけを取り出し、「抵抗」の歴史をそぎ落としています。また、そのイスラームを、ハマースの軍事的な側面にだけ結びつけることで、イスラームを暴力の宗教だとするステレオタイプを再生産しており、非常に問題です。こうした文脈のそぎ落としで、歴史が消去されるのでしょう。

『いつの日かガザが私たちを打ち負かすだろう−早尾貴紀対談集−(青土社、2025)
第2章 パレスチナと第三世界ー歴史の交差点から連帯する ×金城美幸×林裕哲 79頁
(初出 『現代思想』2024年2月号)

Ⅱ 抵抗の文化

第3章 抵抗する声ー本当に必要な、ガザの現場からの、内部からの、当事者からの声を伝える
×松下新土

関連書籍
リフアト・アルアライール他、著、斉藤ラミスまや訳、早尾貴紀解説『ガザの光 炎の中から届く声』

 ここから、作家・詩人の松下新土さん、文化研究者の山本浩貴さんという文化を担う方々との異業種対談が続きます。10.7以降、先に取り上げた現代思想2024年2月号に続き、現代詩手帖5月号をお手にした方も多かったのではないでしょうか、その中で今やパレスチナ連帯運動のアンセムともなったようなリフアト・アルアライールさんの詩、『わたしが死ななければならないのなら(If I must die)』他を翻訳されているのが松下さんです。その松下さんと早尾さんで、ガザから届いた様々な方々のテキストを1冊に集めたこの書籍(タイトル通り、炎の中から届いた声です)についてのお話です。

早尾 次に取り上げたいのが建築デザインに関する文章で、建築デザインがどうガザと関係するのか。サーレム・アル=クドゥワさんの「ガザ地区の戦争被害を受けたコミュニティにとって実験的なデザインが持つ倫理的意義」(132頁〜)です。
(略)
松下 サーレム・アル=クドゥワさんは、イギリスに留学なさっていました。そのとき、「持続可能な」デザイン建築賞を受賞した立派なビルの窓に、小さな鳥がぶつかって、死んでしまっていたのを見たそうです。一方で、ガザでは、イスラエルのF-16ミサイルの破片によって、壁のそこかしこに開けられた穴に、鳥が巣をつくりにきていたことを発見する(139頁)。私たちが暮らしている大量消費文明や、大量殺戮の文明そのものの明らかな破綻。この破綻を、凄まじく抑圧された場所、例えばパレスチナに押しつけている。このような土地に生きる人に、一生懸命話を聞いて、苦しい土地だからこそ、すこしでも安らぎが得られる建築とは何かを苦悩された文章だと、そう思います。
早尾 サーレム・アル=クドゥワさんはこの経験、知見を伝えることの意義は、「人間の強制移住が大きな問題になっており、紛争後の建築環境の再建が急務である中東の他の紛争地域における復興活動にも役立つだろう」と言っています(134頁)。この文章の末尾でもそのことを確認し、「これは、紛争や強制移住を余儀なくされた他地域の将来的なプロジェクトにも有効だろう」と(162頁)。そこまで考えて、自分の経験を伝えている。このことに胸が熱くなりました。

本書 第3章 抵抗する声
ー本当に必要な、ガザの現場からの、内部からの、当事者からの声を伝える 111頁
×松下新土

 建築、農業、アート、文学、それぞれの書き手が様々な自身の関わる文化の側面から書かれたものなのですが、この建築家の方のお話は自分が長く建設現場にいたこともあり、かなり打たれました。
 すごい話が飛ぶので飛ばしてくれて構わないのですが、現場時代、最初は民間企業の社屋を作るような現場ばかりで、施主の顔や、そこを使う人たちの顔やお仕事が見えて、コミュニケーションが取れる現場でやり甲斐もあったのですが、それが再開発の現場が続くようになると施主の顔もぼんやりとしだして、前は「出来るものを楽しみにしてる」人たちとのやり取りもあり(時には懇親会と称してこっそり飲みに行ったり)、激務ながら楽しい現場ライフを送っていたのが、再開発となると大きくなればなるほど「予算消化の為にするような工事(あるいは投機目的の錬金術としての工事)」といった感じで、新技術が取り入れられようが、都心で話題になるスポットだろうが、それで幸せになる人、というものが見えなくなったんですよね。現場も完全に分業化されて全体が見えずらく、全く面白くない。全く面白くないのに激務なので、どんどん辛くなっていき、「誰のためにこの仕事はあるんだろう」ってよく思っていたことを思い出しました(ごくまれにその地域の皆さんに求められる再開発というやりがいのあるものもありますが)。
 そして、自分たちが生活する場所がどんどん瓦礫だらけになっていくその中で、明日殺されるかも分からない中で、「他の紛争地域の役に立つ」と、その知識や見識を手渡してくれるこのサーレムさんの文章。まったく比べようもないのだけど、当時の同僚や上司に読んでほしいなあと思いました。為にする再開発と、ガザで行われている(た)低開発と反開発。この圧倒的で虚しい不均衡も。
 この本は全編それぞれの書き手を通して自分たちの土地や生業への愛情とともに、外へと手渡そうとする思いが貫かれています。イスラエルが壊し続けているものは何なのかということと、それでも壊れないものがあるということ、その光。それこそがイスラエルの恐れるものなのだと思います。それなのに、私たちはまだそれを持っているのに手放そうとしているかのような社会に突き進んでいます。
 また、この対談は開催時に会場に行っていたのですが、やはり言葉を紡ぐことを生業にしている松下さんが小さく絞り出すようにそれぞれについて丁寧に語ってらしたのがとても印象的でした。その苦しさを同業として知るからこそ、代弁できない辛さもまた背負われているのだなと思いました。この書籍と合わせてどうぞお読みいただければ。

第4章 抵抗と虐殺をいかに描くかーアート/コミック・ジャーナリズムの可能性
×山本浩貴

関連・参考書籍
ジョー・サッコ作、早尾貴紀訳『ガザ 欄外の声を求めて FOOTNOTES IN GAZA』

 この対談も現地参加して見ていたので、良かったらこちらもどうぞ。例によって、途中めっちゃ話が飛んでいます。

 この時は最前列で聞き逃すまい!と思って、前のめりで聞いていた気がするのですが、気がしただけで、こうして文章になったものを読むとめちゃくちゃ聞き落としているものがあるなあと思いました。やはりこうして本になって残ることは重要ですね。お話だけで誰かに何かをちょっと残して消えていくものがあることも同じくらい重要なのですが。

山本 文化が抵抗を組織するということは間違いなくある。文化がレジスタンスであるとしたら、同じようにレジリエンス(回復)ということにも力を持っていると私は思います。たとえばトラウマケアやグリーフケア。言語を介さずに絵を描いたり踊ったりということはさまざまなところで取り入れられています。文化的なものがもつレジリエンスの力というものも重要なものだと思います。だからこそ、イスラエルは意図的に文化施設を襲撃しているわけです。文化のもっている力というものをよくわかっていて、それをしっかりとつぶしている。文化にたずさわるものとして、そうした抵抗や回復の力を知って、体験している。そうした文化の力を信じているから文化研究をしたり文化に興味を持ったりしているわけです。文化や現代美術に興味を持っている多くの人がそうだと思います。だとしたらなおのこと、権力側に誤ったかたちで文化の力を利用するの許してはいけない。文化研究の観点からみたときに、文化の力があるからこそ、支配する側が上手に活用してきた歴史というのがある。そこにきちんと連帯してNOを突き付けていかなければいけない。

本書 第4章 抵抗と虐殺をいかに描くか
ーアート/コミック・ジャーナリズムの可能性 147頁
×山本浩貴

 前の章の終わりに繋がることなので、引きました。対談冒頭に早尾さんがこの対談を引き受けた山本さんに対して「蛮勇」と評しているのですが、いまこそこの蛮勇が必要で、各界総動員で蛮勇をふるってもっと声を上げていくべきだと思うのですよね。自分も相当ぼんやりしていたので自戒も含めてですが、パレスチナのことを正視できないことやアクションを起こす人たちへの冷笑や、その事自体ではなくそのアクションに対しての上からの批評、ポストコロニアル言説の日本での弱さ、日本ではそんなことが今回のこのくだらない選挙戦(なんで人口比数パーセントの外国人が争点になるのか)、というか極右大ウケみたいな状況をも作ってきてしまったのだと思います。早尾さんがどこかで「日本のイスラエル化」とおっしゃっていましたが、イスラエルのリクード党が極右と連立を組んであとに引けなくなってしまったようなことが、日本でも「また」起きるかもしれない。日本の今こことこれまで、彼の地の今とこれまで、いつだってつながっていると改めて思います。
 話を戻して、こちらの対談の大半はこのジョー・サッコの作品について、しっかりと多く語られているのですが、そこは本書とこのジョー・サッコの作品を読んでいただければ。というか、この作品については「視る」を抜きには語れないものなので。どちらもどちらの専門の視点からこの作品を論じ、どちらかだけでは語り得ない贅沢なものとなっていると思います。

Ⅲ 難民の生

第5章 人々が歴史を動かすとき
×藤田進

関連書籍
ジョー・サッコ作、早尾貴紀訳『ガザ 欄外の声を求めて FOOTNOTES IN GAZA』
参考書籍
つげ義春作、『大場電気鍍金工業所』

 前章から続いて、ジョー・サッコの作品が出た当時の刊行記念イベントが続きます。この藤田進さんは御年80歳(当時)ですが、ジョー・サッコの前作『パレスチナ』もしっかり読んでいて、また漫画というものについても、藤田さんが選んだコマやつげ義春との対比など、漫画好きにもとても面白いものとなっています。
 そんな、藤田さんがパレスチナに関心を持ってその道に進んだきっかけが「難民」であること、その理由は我々が想定しがちな「難民の力になりたくてNGOで働こうと思いました」や「将来は国連機関で働きたくて専門的に研究をしたいと思いました」みたいなものとはまったく違うものでした。

藤田 私がパレスチナのことに関心を持ったのは、難民キャンプなんです。パレスチナ国家とか、パレスチナ民族とかではなく、パレスチナの難民に興味を持ちました。すこし私自身のことをお話しますと、私は今年80歳になります。1944年生まれですから、敗戦直前くらいに1歳というような世代です。私は旧満州のハルピンで生まれました。引揚者です。敗戦で東京は焦土と化していて、そういうところに帰ってきた。小学校、中学校とそのような環境で過ごしました。ですので、そのときの東京の環境とパレスチナ難民キャンプの人びとの状況がどこか重なるような思いがありました。
(略)
 私は民衆、実際に暮らしている庶民たちの生活の現実がどのようなもので、そこから難民という人びとがどういう意味をもってくるのか。また、最底辺のところにいる人びとが世界のシステム、世界の国際政治や権力というものを一番下からいかに動かしていくのか、そういうところに関心を持ちました。

本書 第5章 人びとが歴史を動かすとき 154頁
×藤田進

 前回、本編で話したのか、打ち上げだったか、打合せだったか忘れてしまったのだけど、それぞれ各々の切実さをもってパレスチナに取り組んでいるよね、という話を小田切さんとしていたのだけど、まさか自分の体験から難民キャンプに接続される人がいるとは思わなかった(いても、もうこんなに話せないか、遠くに行ってしまうだろうし)。当時の記憶を持ちながら今もしっかりとお話をされていること、その80歳の先生を引っ張り出してきた早尾さん、どちらも凄えと思いました。
 だからお話に引用されるつげ義春作品についても、戦後の記憶と結びついていて、パレスチナとジョー・サッコとつげ義春作品の世界を自身の実体験と繋いで語るこの説得力たるや。圧倒されました。圧倒されるだけではいけないのだけど。
 しかし、我々は同じ体験はしていないけれども、ジョー・サッコの作品も、つげ義春の作品も、そしてそれを語るこの藤田さんの言葉も読むことが出来る訳です。そして、想像することが出来る。文化の力というものはこういうところにも宿っていて、それはこうして手渡されるのだと思います。行けなかっただけに、読めて良かった1章です。

第6章 難民は作られるーガザとルワンダを中心に
×小田切拓×米川正子

参考書籍
米川正子著『あやつられる難民——政府、国連、NGOのはざまで』

 この章については、前回のnoteに読後興奮して書いたものを最後の方に載せているので、そちらをご参照ください。

 で、その後、早尾さん・小田切さんとの打ち合わせがあり、その席でも「米川さんの章やばかった!」となり、色々とその時の話も伺ったのですが(読んで思った以上に凄い人だった)、これは当日改めて、皆さまと一緒の際にお二人にじっくり聞きますね。また、その前に米川さんの新書も読んでおかねばなのですが、まだ入手さえ出来ておらず、そちらを無事読めたらこちらにも追記しようと思います。

あとがき

 ようやっと「あとがき」まで来ました。この間、実は3日経っています。文章を書く仕事の人は凄いですね。とても無理。そして、あとがきに至るまで、手を抜くこともお茶を濁すこともしない早尾さんですが、結局、「専門家」がいないことを批判しても、メディアの報じ方に憤っても、同じだけそれを自身にもグッサリ刺す方なのですよね。だからとても信頼できるのですが。批判は結構、評論も結構、でもそこから「自分の責任」をまるっと抜いちゃうのはどうなの?と思います。この対談集は、お相手の皆さんもそれぞれの責任感や引き受けを感じるもので、そこもとても良かったです。私は、紹介するくらいのことしか出来ませんが、自分の責任において、少しでも社会が良くなるように、パレスチナが解放されるように、やれることをやっていきたいと思います。

とりあえず、以上。

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