成長とは、許せなかったことが許せるようになった瞬間のことである

このnoteでは15歳でうつ病を経験し、必死の努力で社会に出て、海外就労も果たした私が「読むだけ」であるがままに生きるために必要な「自律」が養える発信をしています。
昔は、どうしても許せないと思うことがたくさんありました。
自分を傷つけた言葉、期待を裏切られた出来事、理不尽な扱い。
あの時の怒りや悲しみは、時間が経っても消えないものだと思っていました。
けれど、ある時ふと気づきました。
「許せない」と感じていた出来事の多くは、相手の問題ではなく、自分の心の余裕のなさや未熟さから生まれていたのだと。
完璧を求めたり、わかってもらいたい気持ちが強すぎたり、誰かに期待しすぎていた自分がいたのです。
人は、他人を通してしか自分を見つめられないのかもしれません。
「どうしてこんなことを言うんだろう」「なんで理解してくれないんだろう」と感じるたびに、実は自分の価値観や弱点があぶり出されていたのだと思います。
相手を責めるよりも、自分の反応を静かに観察してみると、そこに成長の芽が潜んでいました。
許すというのは、相手の行為を正当化することではありません。
「もう気にしない」と無理やり感情を押し殺すことでもありません。
それは、自分の心を軽くするための選択です。
怒りや悲しみを握りしめたままでは、ずっと同じ場所に立ち止まったままになります。
過去に縛られた自分を手放すために、許すという行為が必要なのだと思います。
私が本当の意味で「許せた」と感じたのは、
もうその出来事に感情を動かされなくなった瞬間でした。
「まあ、あの人にも事情があったのかもしれない」と思えるようになり、心の中はとても静かだったことを覚えています。
その静けさが、成長の証だったのだと思います。
許すことは簡単ではありません。
でも、許せるようになるたびに、自分の中に少しずつ強さと優しさが育っていきます。
それは、他人のためではなく、自分自身を解放するための力です。
人を許せた時、私たちはようやく、自分をも許せるようになります。
成長とは、その連鎖の中にあるのかもしれません。
編集後記
「許す」という言葉には、ずっと苦手意識がありました。
相手を許すなんてできない、と思っていたのに、時間が経つと不思議と気持ちはやわらいでいました。
結局、許すというのは「忘れる」ことではなく、「こだわりを手放すこと」なのかもしれません。
過去を変えることはできませんが、過去への見方を変えることはできます!
そうやって、少しずつ心の中の風通しがよくしていくことが、私にとっての「成長」の形です。

「許せなかった誰か」や「許せなかった出来事」があるかもしれませんが、
その出来事があったからこそ、今のあなたの優しさがあるのだと思います。許しは、あなた自身を軽くする第一歩です!
また明日もよかったら読みに来てください。

「自律」という言葉に出会ってから人生楽しくなった私の生い立ちなど自己紹介をさせていただいておりますのでまだの方は是非お立ち寄りください!
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