未練の桜
4月から新たな職場を得て、衰えつつある脳みそをフル回転して手順を覚えている。
そのせいか、想像以上に疲れる。
リモートと通勤の差は激しく大きい。
一晩寝たくらいでは全然取れない。
加齢のせいと言われれば、それもそうかと思うしかない。
非出勤日くらいは家でゆっくりすればいいのだが、今年は桜の寿命が長い。
先週で見納めたはずの桜が気になって落ち着かない。

結局出かけた。
その甲斐あって、満開と散り始めの花吹雪状態に大満足。

ネモフィラは、まだライトアップイベント前だが、十分に美しく咲いていた。


パソコン買い換えに伴う写真データの整理で「こんなところも行ってたんだ」と気づくものしばしば。
夫がいたときは散歩もブログも内緒だった。
ここ舎人公園は、舎人ライナーが開通したときに「乗り」に来て以来。
子供の頃から鉄道好きだったが、「撮り鉄」ではなく「乗り鉄」寄り。
しかし、ただ次々と乗ればいいというものではなくて、私の乗りつぶしは必ず街歩きを伴っている。

ネット検索がないころはずっと「時刻表鉄」だった。
誰かが「どこからどこへ」と言うと、何線でどの駅で乗り換えてどの路線に乗るとか、時刻表の該当ページをすぐにめくれるのが自慢だった。
スマホさえあれば、もうそんな必要はない。
時刻表を繰らなくていいようになってから、鉄道や旅そのものへの興味が薄らいだ気がする。
舎人ライナーは2008年開通だから、17年ぶりだ。
当時は、公園整備も途中で、そこらじゅうで拡張工事が見られ、植えられた桜は若くてか細かった。
それが、いまは見事な大木となり、爛漫の花を誇っている。

今日ここで見た桜は、私のこれまでの人生の中でトップクラスだと思う。
ここ数年は、いわゆる名所の混雑度は急激に増している。
花よりも人の多さに圧倒されてきた。
でも、ここは、純粋に桜に圧倒される。
あの小さかった木がこんなに。
おばさんは感慨深い。


2008年は、駅前は一面の菜の花と花壇だった。
当時の桜は、数も少ないしどれもひょろひょろだったので、1枚も写真を撮っていない。
ここはまだまったく桜の名所ではなかった。



ネモフィラと色を合わせたソフトクリームは高いのもあるし、人には勧めない。
むしろ桜風味にしたほうがよいと思う。

この後、せっかくここまで来たのだからと谷中を歩く。
霊園の桜は満開を過ぎていたせいもさることながら、舎人公園を見た後なのでどうにも物足らない。
葉桜には葉桜の美しさがあって好きなんだけど。

結局、高いけど美味しい(美味しいけど高い)フレンチトーストを食べただけ。
さっきのソフトクリームの口直し。
谷根千は、昔はより細く、より暗く、より胡散臭い路地を好んではふらふらと吸い込まれていたが、お気に入りの店が閉じたり、外国人観光客用の店構えが増えたりして、いまは歩きたい路地も見つけにくくなってしまった。
今日、久々に見たらその傾向は一層進んでいて、こまごまとした区割りをやり直すのか、まとめて工事中の箇所が目立った。

ランチを食べた店のお客さんも大半が海外の観光客だった。
この町がそれを求めていたのなら、喜ぶしかないだろう。
良し悪しは別として、わかりやすい街になった。
かつて私を満たした「懐かしさ」を、今日はまったく感じない。
「夕焼けだんだん」にも猫の姿はなかった。
このままではなんだか尻すぼみのような気がしたので、大好きな川沿いの桜を見に行った。
広い意味での地元の桜。
去年も書いている。

ベビーカーや車椅子や自転車が通る道。
露店はもちろん、花見客を当て込んだ商売のひとつもない住宅街を、地元の人々が歩く。
彼らは毎日のように、この道を通って通学や通勤をする。
行きたくない日もあるだろう。
しんどい朝も、くたびれ果てた夜もあるに違いない。
抱えた荷物はみな人ごとに違っていて、共感も想像もしにくい。
でも、いまだけは、違う背景を持つ人たちが、同じ桜を見上げて足を止める。
きれいと思った気持ちを共有できる。
普段、スマホで写真を撮らなそうなお年寄りが、この桜だけはという感じで、慣れない手つきで画面に触れている。
わざわざ見に来たのではない日常の中の花。
なんだかホッとした。
ここに寄って良かった。


観光客がいるところでは、人を入れないで撮ろうと思ってしまう。
でも、なかなか難しい。
いないところでは、人を入れて撮りたいと思う。
誰かの日常と私のそれが重なったところに花がある。
そんなことを感じたくて。

目黒川も神田川も川沿いの桜はどれも美しい。
でも、非日常を求める観光客じゃなくて、地元の人が日常の中で足を止めずにいられない地元の桜に愛を感じるのは、私が年をとったからだろうか。
