花の降る日
会社を休んで「踏切桜」を見に行った。
お金と仕事を気にしなければ、できることはたくさんある。


桜は特別な花だ。
梅や躑躅や紫陽花や薔薇を見ても、「ああ、今年もこの花が見られて良かった」と感じることは少ないが、桜は違う。
今年も「生きて」この花を見るのは、私にとってお金を得ることよりずっと価値がある。

親が老い、兄が病んでから、いつも次の年のことは考えないように生きてきた。
次の桜を見るときは、この中の誰かがもういない。
それは、介護の終わりが死であることを私に突きつけた。
そして現実として、やはりそうなのだった。

離婚してからの1年は、1か月の食費と日用品費を合わせて1万円で済ますことに躍起だった。
お金を貯めることが最優先。
お金で買えない幸せを手に入れるためには、まず今日明日は食うに困らないだけのお金が必要なのだ。
夫に仕える必要がなくなったことで得られた時間は、すべて仕事に費やした。
1年くらい失業しても十分暮らしていける貯えができたタイミングで、またダブル介護となる。
時間があるときはお金がないし、お金があるときは時間がない。
そして、兄に次いで母がいなくなったとき、コロナが始まった。
だから、何かのついでではなくて、それを目的として出かけたのは、去年秋の紅葉が7、8年ぶり。
「踏切桜」も8年ぶりくらいだ。

昨日の嵐のあと、近所の桜の多くが地を染めている。
けれども、私は思っている。
花は風で散るのではなく時で散るのだ。
早く開く花もあれば、遅く盛りを迎える花もあるはず。
人と同じ。
まあ「残る桜も散る桜」ではある。

川面の花筏は想像よりうんと少ない。

一陣の風が吹く。
時が満ちた花たちが、待っていたかのように一斉に降る。
風は花を捉えて、その腕の中で弄ぶ。
花吹雪はところどころで、小さなつむじ風となり、アスファルトの上で所在無げに横たわっていた先客の花びらたちをも巻き込んでいく。
連れて行って。
どうか土のあるところに。
叶った願いと。
叶わなかった夢と。
空と風と土と花の思惑が、それぞれに交錯する。
そして爛漫と春は流れる。

タイトルの「花の降る日」は、好きだった画家、有元利夫へのオマージュ。

みんな桜に夢中だけど、きみのこともとても好きだよ。

「さよならを 言おうとしたくちびるを 不意にふさいだ 花のひとひら」
