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なくてもよいもの

最近、ベッドカバーをかけている。
綿100%で全体が編まれたように織られている。
ポルトガル製。

何年か前にソファーにかけようと思って買ったのだが、腰かけたところだけが摩擦で擦り切れそうで、使えずにいた。
でも、そのものを気に入っていたので、ほかに使い道がなくても手に入れたことに悔いはない。
役に立つかどうかより、単純に好きなものに囲まれて暮らしたい。

それまで一度もベッドにカバーをかけたことがなかった。
正直、日常生活で掛布団の上にどれくらい埃がたまるのか全然わからない。
目に見えない埃がたまったとしても、干すときにベランダでパタパタすればいいやと思っていた。

朝、抜け出た布団は、とりあえず湿気を取るためにめくっておき(干さないとき)、出かける直前にパッパッと整えていた。
ホテルや旅館に泊まって、朝のベッドや布団が乱れたままになっているのは、なんだかむごたらしくて嫌いだ。
結局は、宿のスタッフが整えてくれるのだとしても。
帰宅したとき、ベッドが乱れているのを見ると、疲れが倍増する。

夫がいたときも兄がいたときも、私は兼業主婦で、朝の5分は夜の1時間に等しい。
とてもカバーをかける余裕はない。

色柄が気に入って買ったこの布は、編まれているぶんだけかなり重たい。
左手がよく働かないことを忘れていた。
ベッドカバーにしようと思っても、パッと広げてサッとかけるというわけにはいかないのだった。

でも、仕事に行かなくなったら時間ができた。
そして、何を優先させようが、何にどれだけ時間と手間をかけようが、私の自由だ。

出番を失っていたカバーをベッドにかけてみた。
時間がかかる。

カーテンと色味が同じだ。
くすみピンク。
編まれた花模様は、レースのカーテンのそれと似ている。
落ち着く。
それは面倒くささを補って余りある。

すっぽりその色になるというところに不思議な安心感がある。
枕が見えないということがこんなに大きく作用するとは思っていなかった。
枕が見えないと、寝室ではなくて居室になる気がする。
寝るだけじゃなくて、居られる場所が増えたと感じる。

たまに友達が来ることはあるけれど、基本的に一人だ。
誰に見せるわけでもない。
たとえ見苦しくても、私がそれでもいいなら済む世界。

お風呂の蓋と同じくらい、なくてもいいものだ。

一般的にあるのが当たり前のものは、まだまだない。
何か別のもので代用したり、なくても別にいいやと思って過ごしている。

役に立たないものが好き。
役に立つことが、イコール高価値ではない。
役に立ちますとアピールされると、ほんまかいなと疑うか、そのあとの「お勧め」を予感して先回りして逃げてしまう。

自分一人で、ものの価値を決められることのなんと幸せなことか。