イスラーム法における核兵器禁止のロジック:シャーティビーの5つの必須事項とのかかわりで
核兵器はハラーム(禁止)
ハーメネイー師の核反対のファトワーは、実に出色である。なぜならば、核兵器の製造・保有・使用はすべてハラーム」という立場を公式に表明しているからだ。
彼の発言として残され、HPにも掲載されている文言を紹介しておこう。
「私たちの考えでは、核兵器に加えて、化学兵器や生物兵器のような他の種類の大量破壊兵器も、人類に対する深刻な脅威であると見なされます。
化学兵器の使用によって被害を受けた当事者であるイラン国民は、他のどの国民よりも、こうした兵器の製造と貯蔵の危険を身をもって感じており、それに立ち向かうために自らのあらゆる力を注ぐ用意があります。
私たちは、これらの兵器の使用を「ハラーム(禁忌)」とみなし、人類をこの大いなる災厄から守るために努力することは、すべての人々の義務である
と信じています。」[1]
このメッセージは、2010年4月17日に開催された「国際核軍縮・不拡散会議」に寄せられた、アーリーヤ・ハーメネイー師の公式声明であり、イランの宗教的・国家的立場が明確に表明された、非常に重要な文書。
特に、核兵器の使用を以下の点が注目される。「使用はハラーム(حرام)」と明言している点、核兵器だけでなく、化学・生物兵器も同列に非難している点、「義務(واجب)」としての積極的倫理行動を訴えている点。しかしながら、なぜこうした判断に至ったのかについては、この文言の中では示されていない。ここでは、イスラームの教え全般から、大量破壊兵器の製造、保有、使用をハラームだと論じられるのかについて、考えておきたい。
イスラーム法は解釈の法体系
イスラーム法は、クルアーンとスンナを不変的な法源としつつ、法学者の見解の一致や各種の推論、あるいは理性的な判断によって具体的な法判断を引き出しそれを適用する法体系である。
憲法をはじめとする諸法律と、裁判例によって、個別具体的な法規定や、さらなる裁判例を積み重ねる、日本法のありようと、構造的には、思われるほどの差はない。
ただし、憲法にあたるものが、全知全能にしてこの世もあの世も含めたすべての存在の創造主であり、すべてを包括して存在し続ける唯一の創造主、万有の主たる、アッラーのコトバである点において、そのスケール観には、大きすぎる違いがあると言わざるを得ない。ただ、憲法と法律、そして判例という日本法あたりからのアナロジーを使っても、法の枠組み自体は、十分に想起可能な法体系ではあるのだ。
ムハンマドの時代には原爆はなかった
クルアーンが法源になる、あるいはムハンマドの言行が法源になると言われてもである。たとえば原子爆弾について、そんなものは、紀元7世紀のアラビア半島には存在しなかったし、ムハンマドの言行の中に、原子爆弾という言葉はない。それにもかかわらず、原子爆弾というもの、その製造、保有、使用をどう捉えるのかにも答えを持ち合わせているのが、イスラーム法である。
そうやって未知の事象や事柄についての法判断を発見することを「イジュティハード」と言う。原子爆弾というコトバが聖典の中にないからと言って法の発見を放棄することは許されないのだ。
そうであるならば、いかにして判断を引き出すのか。それは、たとえばクルアーンに降されている他の聖句の読み込みから、あるいは、いくつかの聖句を複合的に読むことによって、あるいは、もっと大きな視点から新たな解釈を下すことだってありうるのだ。
たしかに西暦7世紀に近代兵器は登場していない。したがって、核兵器に関する明示的禁止や容認は存在しない。しかしである。戦争や殺傷にかんする啓示は下されているし、地上の腐敗(fasād fī l-arḍ)に関する聖句もある。
ファサードの禁止
アッラーは仰っている。
《彼らに『地上で腐敗をもたらすな』と言われると、彼らは『いや、我々は善をなしている』と言う。》
たしかに彼らは善のつもりかもしれない。しかし実際には、それはファサード fasād(فساد)であり、聖典はそれを地上の破壊であり、腐敗であるとして、聖典はそれを厳しく禁じているのだ。
核兵器が地上に壊滅的な破壊と一切の人間性を剥奪する腐敗をもたらすものであったこどに鑑みつつ、この聖句を基調とし、それを核兵器や大量破壊兵器にまで拡張して読めば、現代の兵器の保有、開発、使用をどう評価すべきかを問うことができるのだ。
命(nafs)の尊厳と保護
ファサードが地上のレベルの話だとするならば、生命(nafs)のレベルにおいてもまた、クルアーンは、その尊厳と保持を訴えている。
《... ひとりの命を殺すことは、全人類を殺すのに等しい...》
核兵器の使用は、単一の敵に対してではなく、不特定多数の罪なき人々の命を奪う可能性が高いため、この聖句から非倫理的と解釈されうる。
「正義(ʿadl)」と「抑止力(ردع)」の間のバランス
もちろん、一部の法学者(特に現代の国家主権論に影響を受けた立場)では、他国の侵略を防ぐ抑止力として核兵器の「保有」はやむを得ないとする意見も存在する。
しかしその場合であっても、それはあくまで「使用しない前提」での保有であり、開発・実験・配備といった段階に関しては、イスラームの倫理原理や環境・人間性に与える害悪の観点から、強く抑制されるべきとの見解が主流である。
シャーティビーの法の目的論
イジュティハードの主導原理として、実際に使われ、また、こうした時代であるからなおさら、注目されて然るべき理論がある。
14世紀のアンダルスのイスラーム法学者、シャーティビー(西暦1388年歿)がその主著『ムワーファカート』で展開している「法の目的」の議論である。シャリーアには、それが実現しようとしている「目的」があり、その目的は、次の3つ段階によって実現するとした[2]。一つは、基礎の部分をなす5つの「必須事項」。法の実現にとってなくてはならない事柄である。次が、「必要事項」。時宜に照らして、必要とされる事柄の集まりである。そして、「改善事項」。改善事項の実現にまで到達するのであれば、法の目的は十全に実現され社会は「全人類的規模の福利(マスラハ・アーンマ المصلحة العامة)」の安寧を享受することになるのだ。
5つの必須事項
とりわけ注目しておきたいのが5つの「必須事項」である。最低限守られなければならない5つの事柄。宗教、生命、理性、子孫、財産の5つ[3]。財産がなければ生活ができない、子孫が守られなければ、社会の存続は覚束ない。理性が守られ、保たれることによって、社会は健全な方向に進みうる。生命が守られなければ、生きていくことができない。そして宗教。それがなければ、人間の価値観、正邪の基準が示されなくなってしまう。
核兵器とのかかわりで言えば、無差別大量破壊兵器の使用によって、宗教の共同体は破壊され、多くの人命が損なわれ、力こそ正義という非理性的で抑圧的な空気が蔓延し、教育、研究は崩壊する。放射能汚染によって、環境も、世代交代も危機に瀕する。経済秩序が壊滅的な被害に襲われるのも言うまでもない。
5つの必須事項の保持を基礎に置いたとき、核兵器は、その5つを瞬時にして破壊するものに外ならない。核兵器に対する、多くのイスラームの法学者や思想家の見解が、否定的かつ拒絶的であることの背景の一つに数え上げることができよう。
入り口を封じる
加えて、シャーティビーは、ある行為が、福利と同等かあるいはそれ以上の害悪をもたらすような場合にはシャリーアに適っているとは言い難いとして、いくつかの方法を提示しているが、その第1にあげているのが、「サッド・ザラーイア(手段遮断)」である。」[4]
イジュティハードの担い手たる、イスラーム法学者に対して示されたものではあるが、7世紀を経た現在における核兵器の保有や配備は、たとえ「抑止」の名目であれ、その存在自体が巨大な破壊と人類的害悪への「可能性」を孕んでいる。まさにこのような潜在的破壊性を予見し、それが悪に至る道であるならば、その入り口を封じることを求める原理である。
科学的予見能力と倫理的選択とが厳しく問われる現代において、この原理は、核兵器の廃絶を正当化するイジュティハードの鍵となりうるとさえ言いうるものだ。
抑止力という「益」があっても、核兵器の保有が引き起こす環境破壊、恐怖、誤作動リスクなどの「害悪」が勝る以上、シャリーア的には明確に禁止されることになるのだ。
核兵器禁止の連帯を
あらためて、ハーメネイー師の核兵器禁止のファトワーは、「イジュティハードが実在に介入しえた稀な事例」である。つまり、それは、イラン・イスラーム共和国の政治構造上、宗教指導者の権威と国家意思が接続されうるからこそ実現したものだ。
逆に言えば、他のスンナ派国家ではこのようなファトワーが出されても「無視」される可能性が高く、出すこと自体が「空虚」になりかねない。
それゆえ、このファトワーには孤独なリアリズムが漂う。倫理が支配しない世界で、倫理をあえて言語化すること。それはもはや「政治的判断」を超える。国家の利害をはるかに超越した純粋な人間性の希求が込められているからだ。だからこそ、ハーメネイー師の孤独こそ共有されるべきではなかろうか。
しかもそれは単なる政治的連帯ではなく、倫理的イジュティハードの連帯となりうべきものではないか。そしてそれを可能にするのが、形式主義も宗派の違いも超えて法の目的の実現の証人になること。マスラハ・アーンマ実現の担い手たるムスリムたちの目覚めだ。
暴力はファサードの元
さらに特記すべきは、「5つの必須事項」の保持も、「サッド・ザラーイア」を解釈に取り入れることも、広く世界の人々が共有できるはずのものであるということだ。
人々の命を守り、理性を守り、血のつながりを守り、財を守り、価値観も守る。それらが守られないような行為はいかなるものであれ事前にやめておく。まさに人間の法の目的として共有しうるものだ。
伝えられるところによれば、トランプ政権による圧倒的な軍事的圧力とそれに伴う威嚇的言辞により、イラン国民の敵対感情は激しさを増しているという。ハーメネイー師が出したこの賢明な理性によるファトワーの光がかき消されてしまうことがあってはならない。その光を守るのは、倫理と理性を信じる私たち一人ひとりなのだから。アッラーフ・アアラム(アッラーはすべてを御存知)。
脚注
[1] ハーメネイー師の公式ウェブサイトから引用。原文はペルシア語、翻訳はChatGpt-4oによるhttp://farsi.khamenei.ir/treatise-content?id=228
[2] Abu Ishaq al-Shatibi, Al-Muwafaqat, 第2巻「法の目的の書」
[3] 同上, 第1部(قسم)第1の問い
[4] 同上, 第4巻「イジュティハードの書」第1部(طرف)、第10の問い
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