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「勝者の総取り」に抗うディーン:アレッポのスークとクルアーン「インフィタール章」第9節

アレッポ旧市街のスーク

スーク。アラビア語で「市場」のこと。筆者にとって「スーク」と言えば、かつて6年弱滞在し、内戦開始前までは毎年出かけていたシリアのアレッポ旧市街のスークである。冬の雨と夏の日差しを避けるため中東地域では珍しく屋根に覆われ、専門店ごとに区分けされた東西約2.5キロ。ちょっとひんやりとした空気を伝ってくるスパイスの香り、中心部の香辛料スーク。途中を曲がって奥に入ればガラビーヤのスークの生地と糸くずの匂い。さらに先に進めば眩いばかりに光る一角。ざっと400件が軒を連ねる金細工スークだ。
香辛料スークのメインストリートに戻れば、のちに法学や神学の勉強に通うことになるアーディリーヤ・モスクはすぐそこだ。卸売りと小売りだけでなく、かつては隊商宿だった倉庫もアトリエも、モスクも学校も病院もある。とにかく巨大な生活取引空間だ。
まだシリアに渡航できて、しかも、安全にかつ快適に滞在できた1990年代。筆者はこのアラブ世界の3大スークの一つに毎日のように通い、調査したことがある[1]。

歪んだ人間性に恥じ入る

駆け出しの研究者の私、というよりむしろ、今と比べてもさらにひどく世の中がわかっていなかった未熟者の私にとっての衝撃が、スークの商人たちが実践している、「ザカート(喜捨)」だった。義務としての貧者、困窮者への施しであることは知っていたが、現地でのインタビューを通じて聴く生の声は説得力がある。スークの商人たちは、貧者の権利ということを言うのだ。自分で稼いだものは自分だけのもの。所有権も、人間の努力もすべて個人に帰属すると信じて疑わなかった自分には、不適切にもほどがある原則だ。

ザカートの衝撃

 恥ずべきことではあるが、あの頃の自分は「勝者総取り」(自分が勝者なのかどうかは別として、勝者でないのならなおさら)を信じて疑わなかったように思う。高度成長下の日本で戦後民主主義教育にどっぷりつかって成長した世代だ。太平洋戦争が、個人の人権もジェノサイドの禁止もない中、無条件降伏で終わって、言わば、「敗者総喪失」から立ち直る時代に育ったことも、「勝者総取り」、あるいは、少なくとも「成果総取り」が、行動の基準にさえなってしまった背景にあったように思う。
とにかく、かなり歪んだ人間性だ。「俺のものは俺のもの、人のものも俺のもの」は、さすがに自分とは無縁と考えてみたけれど、様々な人々や関係があってはじめて成果への努力もさせていただいていることに対する想像力の著しい欠如を思えば、結局、「人のものも俺のもの」もやらかしていたに違いない。改めて周りの皆様に感謝とお詫びを伝えたい。

勝者の総取り

現代日本を代表する思想家が、高等学校の「現代国語」の教科書の中で嘆いている。「勝者の総取りは認めない」という原則について、社会的合意が十分に形成されていない状況を指摘して、啓蒙思想家たちが近代市民社会の基礎付けのために語ったことを300年後にまた繰り返さなければいけないのかと[2]。しかし、現実には、総取りを目指す戦争や、社会的貢献なしの利益最優先主義といったものが世界を跋扈している。近代市民社会の正義論にしても、権力者の意思、功利主義、ヨーロッパ大陸法的な自然法的正義など、実は、貧者が富者の財産の一部に権利を有するという形の正義論には直接結びついてはいない。
300年の間に、市民社会は人類社会に変容し、機会の公平だけでは「人ものも俺のもの」に対する抑制原理にすらならない。ついでに言えば、300年の不毛を嘆く暇があるのなら、「勝者の総取りを認めない」ための実践的な原理の一つも提示して、若い世代に具体的に思想するきっかけを示すのが思想家ではないかと思うのだ。

「宗教」とは何か

この勝者の総取りを許さないという原則が、もっとも強く機能する教えがある。啓蒙時代の思想家たちに多大なインスピレーションは与えた[3]ものの、その後、新たな思想の揺りかごとしての地位をあたかも自ら放棄しているかのごとき、「アッディーン」としてのアッラーの教え「イスラーム」である。 「ディーン」とは一般に「宗教」と訳され、理解されているが、そうしてしまった途端に、総取りを許さない考え方も見失われてしまう。
「インフィタール章」9節では「宗教(アッディーン)」の語が単独で、17節と18節では「宗教の日(ヤウムッディーン)」というコトバで降されている[4]。この2節では、その何たるかを知らせるものは何かという問いが繰り返されている。「宗教の日」とは、現世での行いのすべてにたいして、その見返りが与えられる日だ。アッラーの目から見て、善い行いはよい行いとして、悪い行いは悪い行いとして報われるのである。つまり、その日こそ「各人に各人のものを」が究極的に実現する日なのだ。 宗教だからといって括ってしまい、場合によっては放棄してしまった途端に、「各人に各人のものを」というこの宗教の核心が隠れてしまうのだ。
アッラーズィーによれば、この啓示の時点でムハンマドははじめて「ヤウムッディーン」について知ったのだという[5]。現代に生きていてこのコトバをはじめて聞く人間たちにとっては、最初の問いが見返りの日の存在を知らせ、2回目の問いが、生き直しの決意への誘いになっていると読めるかもしれない。

来世での大逆転

勝者総取りは、あくまでも現世でのお話。ありていに言えば、来世では、これが逆転する。現世で勝者総取りをほしいままにしたものは、来世では、生きながら業火に焼かれ続けるという悲惨な結末が用意されているのだ。しかし来世を信じてさえいれば、それで救われるというものであろうか。それでは、信心を持っているばかりに、負けっぱなしの人生を味わわされることになりはしないか。来世での逆転をひたすら待ち続けるというのは受け身にすぎないか。 その日人間たち(とりわけ不信心者たちは)は、「宗教」を虚偽だとしたよね。と言って責められる。たしかに、「業火に晒される」と言われたときにアラブ人たちは、とてつもない火の熱さを肌感覚で理解してしまうのであろう。しかし、アラブ以外の、翻訳によってしかアッラーのコトバを理解する術を持たない人々にとって、逃げ場のない肌を溶かす熱さに晒されるのかどうかは疑問の余地がある。となれば「見返りの日」の現実性は著しく低くなってしまう。人間が勝者総取りに走るのも無理はないのかもしれない。

生きているうちに

しかし、問題は、最後の審判の見返りを引き合いに出さなければ、人々が救われない状況の方であろう。アッラーご自身は、この世で人間が行なうどんな小さな善でも、どんな小さな悪でも見落とされることがない。そのすべての言動の記録をもとに、正確無比に「各人に各人のものを」が実現されるのが、「その日」だ。「インフィタール章」においても、その兆候はアッラーが示してくれていた。天空の裂け目、星々の散乱、海の爆発、墓の暴露[6]。そのうちのどの一つでも、気づけたのなら、自分の財産の一部は貧者のものでもあることを思い出そう。そして自分の財産の中から身銭を切って人々と分け合うことの悦びをこの世に生きているうちに知ろう。そうすればそれは、来世での幸せにもつながる。 ザカートの実践は、社会にセイフティ―ネットを張り巡らせることである。歴史的に、イスラームの教えをもっとも良く実践したとされるアレッポ。スークの商人だけでなく社会全体として、福祉が機能したことが思い出される[7]。筆者も6年弱の滞在のうちには、貧困地区に足を運び、ザカートを届け、慈善活動の手伝いもするようになり、やがて入信に導かれた。アルハムドゥリッラー。それも、イスラームの教えの実践の意味、つまり「最後の審判」の見返りが決まってしまう前に尽くしてこその善行という考えを学べたからに外ならない。どんなに、激しく流動的な中東情勢の中にあってなお、人々の生活は続く。せめてアレッポでは、勝者が総取りしない教えの実践が続いていることを強く信じたい[8]。アッラーフ・アアラム(アッラーは、すべてを御存知)。

脚注

[1] アレッポ旧市街のスーク商人たちについては、「黒田美代子『商人たちの共和国:世界最古のスーク、アレッポ』が、彼らの生きざまと信仰を基礎とした経済活動を克明なフィールドワークをもとに活写している。
[2] 内田樹「フェアな競争」、文部省検定教科書『高等学校❘精選❘現代の国語』[現国714]第一学習社、132頁。
[3] イスラーム思想に見られる理性主義と社会的正義の理念は、啓蒙時代のヨーロッパ思想家たちに少なからぬ刺激を与えた。とりわけ、イヴン・トゥファイル(Ibn Ṭufayl, c. 1105–1185)の哲学物語『ハイイ・イブン・ヤクザーン』(Ḥayy ibn Yaqẓān, 1671年ラテン語訳 Philosophus autodidactus)は、ジョン・ロックの経験主義的知識論に影響を与えたとされる(Makdisi 1990 pp. 247–251; Al-Allaf 1999)。モンテスキューは『ペルシア人の手紙』(1721)および『法の精神』(1748)において、イスラーム社会の法と徳を参照しつつ、市民社会の節制原理を構想した(Bernier 1670 参照)。またヴォルテールは、当初ムハンマドを狂信の象徴として描きながらも、晩年には理性宗教の模範として再評価し、宗教批判の文脈においてイスラームを引き合いに出している(Bevilacqua 2018 pp. 155–172)。こうしたイスラームからの思想的刺激は、啓蒙の初期には確かに作用していたが、やがてヨーロッパは、それをオリエンタリズムの枠に流し込み、自分たちとは無関係の「彼ら」の事柄として支配の手段とし、宗教と倫理の再統合は失われていった。(cf. Edward W. Said, Orientalism, New York: Pantheon Books, 1978, pp. 65–70.)
なお、脚注[3]にかかわる主要文献は以下の通り。
- Alexander Bevilacqua, The Republic of Arabic Letters: Islam and the European Enlightenment (Harvard University Press, 2018), pp. 155–172.
- George Makdisi, The Rise of Humanism in Classical Islam and the Christian West (Edinburgh University Press, 1990), pp. 247–251.
- S. Al-Allaf, “The Influence of Ibn Tufayl on Western Thought,” Islamic Studies 38 (1), 1999.
- François Bernier, Voyage dans les États du Grand Mogol (1670).
本脚注はChatGPT5からの協力により作成。
[4] インフィタール章9節と16-17節は以下の通り。
كَلَّا بَلۡ تُكَذِّبُونَ بِٱلدِّينِ (9)
「ありえない。あなたがたときたらそのディーンを虚偽だといい続けている」(9節)
وَمَآ أَدۡرَىٰكَ مَا يَوۡمُ ٱلدِّينِ (17) ثُمَّ مَآ أَدۡرَىٰكَ مَا يَوۡمُ ٱلدِّينِ (18)
「何があなたにヤウムッディーンが何であるのか知らせるか。さらにまた、何があなたにヤウムッディーンが何であるのか知らせるか。」(17-18節)
[5] كتاب تفسير الرازي
[6] インフィタール章冒頭の4つの天変地異については、拙稿「天空の裂け目が見えますか?:《聖典クルアーン》「インフィタール章」第1-4節」を参照のこと。
[7] イスラームの豊かさについては、『イスラームの豊かさについて考える』(奥田敦・中田考編著)丸善出版、2011年、とくに富の自律的還流にかんする「ザカート、サダカの実践と「豊かな社会」—シリア・アレッポのムスリム社会における慈善活動者たちを事例に」(第5章)を参照のこと。
[8] シリアアラブ共和国が1944年独立以来1世紀に満たないのに対し、アレッポは、少なくとも4000年あるいは1万年の歴史を誇る。アレッポの都市としての力については、拙稿「都市の力、国家の力」『アラブ民衆革命を考える』水谷周編、国書刊行会、2011年、アレッポの人々の生活の中の信仰の実践については、拙稿「シリア人の生活に息づくイスラーム――試される信仰の実践」『シリア・レバノンを知るための64章』黒木英充編著、明石書店、2013年をそれぞれ参照のこと。

Special Thanks to: ChatGPT-4o, ChatGPT5

タイトル画像:

香辛料スーク(アレッポ旧市街)
Special Thanks to: WikiMediaCommons


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