見出し画像

偏見だらけの凡人スイマーがアジアを制したキセキ -競技者編①-

「フィンを付けて泳ぐなんてズルい」
「競技というか遊びでしょ」
「自分の足で戦えないくせに」
「このフィン邪魔だからプールサイドに広げないで」

今、この言葉を書き出すのは本当に恥ずかしい。
でも、あえて書きます。これが、17歳の私のフィンスイミングへの偏見だった。
そして、おそらく今もこの競技に対して同じような印象を持っている人は少なくないはず…。


見過ごしていた可能性との出会い

実は私は、他の競技者より遥かに早く、フィンスイミングと出会うチャンスがあった。

神奈中スイミングスクール。ここには全国でも珍しいフィンクラスがあり、小さい頃からフィンスイミングという競技の存在を知っていました。フィンクラスの時間にはプールサイドに常にフィンスイミング用の大きなフィンが並び、時折その独特な泳ぎ方を目にする機会もありました。

でも、当時の私は完全に見下していました。競泳選手として、どこか上から目線で見ていたんです。プールサイドに並ぶフィンを邪魔者扱いし、「なんでこんな道具を使って泳ぐ必要があるんだろう」と、心の中で嘲笑っていたことさえありました。なんでこんな道具をって、そりゃそうです。別のスポーツなのだから。

今思えば、なんて傲慢だったのか。
そして、なんて貴重なチャンスを無駄にしていたのか。
その後の人生を大きく変えることになる可能性に、まったく気付いていなかったのです。

競泳選手としての現実

高校2年生の夏。また今年もいつも通り、一つ夢が潰れました。

県大会の予選レース。結果は変わらず、決勝進出には程遠い記録。今まで何度も経験してきた「予選落ち」という結果に、もう慣れっこになっていました。そもそも別世界だと思っていたので、目指してもなかったです️。

今なら分かります。当時の私は、競技への向き合い方自体が甘かった。
ただプールに通い、言われた練習をこなすだけ。自分のものさしで頑張っている"つもり"で、目標のための具体的な計画も、細かな工夫も、実は何もしていなかった。
結果が出ないのは当然だったんです。

でも、そんな中でも、不思議な現象がありました。
競泳の練習でフィンを使う時だけは、なぜか輝けたんです。
普段は全く歯が立たない大学へ水泳推薦で行くような先輩にも勝てる。
当時は気付きませんでしたが、これが私の人生の大きな分岐点となります。

思いがけない提案

「フィンの大会でも出てみれば?」

ある日、ずっと信頼していた競泳のコーチからそう提案されました。
きっかけは、フィンを使った練習での私の姿。普段は目立たない選手が、フィンをつけると急に生き生きと泳ぐ。その様子を見ていたコーチが、新しい可能性を見出してくれたのです。

正直なところ、最初は大学受験の材料作りという軽い気持ちでした。競泳では推薦を得られるような成績はない。であれば、何か別の実績を作れないか。そんな打算的な考えもあったことは否定できません。

締切間近の選手登録。
急いで調達したフィンスイミング用のビーフィン。
デビュー戦まで、たった1ヶ月半の準備期間。
フィンクラス担当のコーチにも協力してもらいました。

今考えると、なんて無謀な挑戦だったのでしょう。
でも、その「無謀さ」が、かえって私の背中を押してくれたのかもしれません。

未知との格闘 ー 限界を超える1ヶ月半

フィンスイミング用のビーフィンが届いた日のことは、今でも鮮明に覚えています。

競泳の練習で使っていたペンギンの足のような一般的なゴム製のフィンとは、まるで別物。FRP素材でできた、ごっつくてでっかくてかったいフィン。手にした瞬間、そのかっこよさにテンションが上がる一方、これまでの自信が一気に不安に変わりました。

最初の練習は、まさに格闘でした。

今までは自分の足を動かせば、フィンは絶対服従で従ってくれました。でも、このFRPビーフィンは、私の気持ちを全く聞いてくれない。むしろ、フィンに振り回されているような状態。泳いでいるというより、泳がされている感覚。

それでも、諦めるわけにはいきませんでした。

朝4:30起床。朝練は学校に行く前に週3回。
学校が終われば競泳の練習が週7回。
筋トレは週2回。
そこにフィンの特別練習を週2〜3回追加。

振り返ると、よく続けられたなと感心。
でも不思議と、辛いと感じていた記憶はありません。

むしろ、もっと上手くなりたい。もっと練習したい。
新しいことを始めたことで、どんどん上達していく小さな成功体験がこうしていたのだと思います。

運命の日 ー 日本選手権での衝撃

2007年5月、横浜国際プール。

何度も来たことのあるプール。でも、フィンスイミングとなると、すべてが新鮮でした。
大会の流れ、ルール、雰囲気。すべてが初めての経験で、緊張が走ります。

この日、私は100mと400mビーフィンに出場。
特に400mは、競泳ではやったことのない距離。
正直、どう泳げばいいのかさえ、よく分かっていませんでした。

それでも、週に10回以上の練習をしてきた自信はありました。
競泳の時よりも、ほんの少しだけ、自信を持ってスタート台に立てた気がします。

400mのレース。
飛び込んで最初の50mを泳ぎ切った時、「これ、いけるかも」という感覚が走りました。
しかし、慣れない400mのため、今が3周目なのか4周目なのか途中でわからなくなるアクシデントも️…

呼吸のタイミングで大きく電光掲示板を振り返り、何とか3周目であることを確認してペースを取り戻し、ようやくゴールタッチ。
結果はなんと、予想もしなかった日本新記録!

でも、喜びはつかの間。次の組には、圧倒的な実力を持つ谷川選手が控えていました。それがわかっていたので、私が出した記録は5分後に塗り替えられるんだなと確信していました。

谷川選手は私と同じく、この大会でフィンスイミングデビューをした選手。100mでは圧倒的なタイムで優勝し、会場を驚かせていた。

「どのくらいの差がつくんだろう」

そんな気持ちでレースを見守っていると、最終的に5秒の差がついていました。あぁやっぱりなと思った矢先、会場内に衝撃が走ります。
なんと、谷川選手の失格がコールされました。
その結果、私の記録が最終的に1位に。日本選手権優勝と日本新記録樹立という、夢のような結果となりました。

「ここでやっぱり抜かされて勝てないのがおれだよなぁ」と自然に考えてしまっていたくらい自己肯定感も低い、成功体験の少ない人生だったため、運が良かっただけではありますが、この経験は、人生において非常に重要なターニングポイントだったんだと思います。

家族やコーチへの報告。「おめでとう」という言葉に、少しだけ恩返しができた気がしました。
同時に、今まで持っていなかった「武器」や「強み」、何か特別なものが、自分の中に芽生えた瞬間でもあったように思います。

想定外の試練 ー アジア選手権への道

日本選手権が終わってからも、勢いは止まりませんでした。
あの日の成功体験をバネに、練習量はさらに増やしました。

体力には自信がありました。なにより、中距離種目での泳ぎ方を徹底的に研究しました。自分のペースを保ちながら、いかにレース全体を組み立てるか。それは、後の大一番で大きな意味を持つことになります。

アジア選手権では、50m、100m、200mのビーフィン種目に出場。さらに、ほとんど練習できていなかったものの、400mサーフィスというモノフィン種目にも挑戦することになりました。

手応えと不安 ー 大会初日から最終日へ

大会初日。人生初の海外でのレースとなった100mビーフィンでは、まさかの銀メダルを獲得!いきなり誰もが驚く結果となりました。

まだフィンスイミングを始めて数ヶ月の新人が、国際大会で表彰台に立つ。その事実は、私自身の中に小さな自信を灯してくれました。

続く50mビーフィンは、また違った経験となりました。
予選、決勝と駒を進めたものの、メダルには手が届かず。
短距離では、まだまだ実力不足を痛感する結果でした。

そして、400mサーフィス。
これは完全なる挑戦でした。ビーフィンとは全く異なるモノフィンでの種目。
ほとんど練習もできていない中での参戦は、予想通りの結果に。日本選手権でのビーフィンの記録の方が速いという、どうしようもない記録でした。

種目を重ねるごとに、一つの事実が明らかになっていました。
海外の選手たちが使っているビーフィンと私が使っているビーフィンの機能性が違いすぎることでした。と言うのも、国際ルールの改訂により、ビーフィン種目は、この年から正式種目に採用されたばかりで、ルールが不明瞭の部分がいくつかありました。

競技に使用できるフィンの規定についてもそのうちの1つでした。日本の大会で使用していたFRP素材のフィンは使用できないと言う事はわかっていたため、日本チームはゴム製の普通のフィンで出場していました。
しかし、海外のチームはほとんどがプラスチック製のフィンを使用しており、明らかにひと蹴りの推進力も違い、日本チームは不利な状態でした。

そんな中、迎えた最終日。
大会最後の本命種目となる200mビーフィンを前に、菊池監督が一つの決断を下します。なんと、海外の選手が使っているプラスチック製のフィンを1つ調達してきてくれたのです。

人生を変えた200m ー 0.01秒の軌跡

最終日。最後の種目、200mビーフィン。

朝のウォーミングアップで初めて使う新しいフィン。
今までとは全く違う感覚に戸惑いながらも、明らかな推進力を感じました。
時代を感じさせるようなエピソードではありますが、ここで勝負を賭けることに決めました。

スタート台に立ち、両隣の選手たちを見渡す。
「こいつらに勝ってやる!」
その瞬間、今までにない闘争心が湧き上がりました。

それと同時に冷静さを保つため、これから泳ぐ自分のレーンを1周見渡してからスタートの構えをしました。スタートの合図とともに飛び込んで、運命のレースがスタート️。

レースは、練習通りの感覚で始まりました。
しっかりと15mギリギリまでドルフィンキックをしてバッチリの浮き上がり。

最初の50mのターンで先頭集団にいることを確認し、そこからが中距離レースの分かれ目。
ペースを維持することだけを考えて、次の50mを泳ぐ️。

ここから各選手がそれぞれの戦略でレースを展開していく中、隣の選手が隣に並んできたところで100mのターンへ。

周りの様子を把握するくらい余裕をもって順調に自分のペースを刻んでいた矢先、先ほどの左隣の選手がペースを上げて仕掛けてきた。身体半分前に出られたものの、驚くほど冷静な自分。その状態で150mの最後のターンに差し掛かる。

ここで自分のペースを崩せば、最後に失速する。相手もこのペースじゃきっとこの後に失速するはず。自分のペースを守って最後に勝負を仕掛けよう。

その判断が、勝負の分かれ目となりました。
予想通り、相手との差は徐々に縮まっていく。
でも、最後の詰めが縮まらず、抜き返すまでのあと一歩が届かない。

ラストスパート。
まだ届かない…!
ラスト5m。もう冷静な判断などできず、がむしゃらに全身を動かしてとにかくタッチを急ぐ!

電光掲示板を見上げる瞬間。
1位と2位の差は、わずか0.01秒。

隣のレーンとの接戦だったため、すぐには順位が分からず。
冷静に自分のレーンに書いてある数字と電光掲示板の数字を指差し確認して、ようやく理解できました。

勝ったんだ!たった0.01秒差で!もってるじゃん!
その瞬間はこの上ない喜びと達成感に満たされていました。

勝利の理由

自分がやってきたことを信じ、それを貫き、いつでも冷静さを保ち、最後まで諦めなかった。
スポーツに重要な要素が全て詰まった1分48秒間でした。

もしかしたら、競泳で結果を残せなかった日々があったからこそ、この勝負強さを身につけられたのかもしれません。

レース後、真っ先に日本にいる競泳のコーチに電話をしました。
どんな言葉を交わしたのかは覚えていません。
ただ、ニコニコしながら電話をしていたことだけは、鮮明に記憶に残っています。

変わりゆく日々 ー 成功体験がもたらしたもの

帰国後、私の周りの空気は大きく変わりました。

新聞やラジオの取材。全校生徒の前での表彰。卒業式での特別賞。
競泳では県大会の予選すら突破できなかった選手が、突如として学校の誇りとなった。

特に印象に残っているのは、クラスメートたちの反応でした。
単純に結果を祝福してくれるだけでなく、私との友情を誇らしく思ってくれている。そんな彼らの気持ちが、心に深く響きました。

でも不思議なことに、おごることはありませんでした。
それは、谷川選手という絶対王者の存在が大きかったのかもしれません。
口が裂けても「私が一番だ」なんて言えるわけがない。
まだまだ挑戦者の気持ちを、自然と持ち続けられました。

それに自分より速い競泳選手がフィンを始めたらどうせすぐに抜かされる。そんな気持ちもあった。だからこそいずれは、フィンスイミングの花形種目モノフィンに挑戦して、競泳では歯がたたないような選手にもフィンなら勝てる、というフィンスイミング選手になろうと決めた。

気づかされた本質

たった数ヶ月の出来事だったが、この経験は私の人生観を大きく変えた。

それまでは、目標や夢は「達成できないもの」だと思い込んでいました。
ただ理想を語るだけで終わる。そんな諦めが、どこかにありました。

でも、この経験で気づいたのです。
目標を立てるだけではダメで、ただ頑張るだけでもダメ️。
達成するために必要なことを考えて、一つ一つ実行していく。
その当たり前のことを、身をもって学べた。

そしてそれは、私の人生の扉を開けるきっかけとなりました。

新たな使命

実は、この記事を書くのに相当悩みました。

なぜなら、フィンスイミングに対する私の当時の偏見を、さらけ出すことになるから。
「フィンを付けて泳ぐなんてズルい」
「競技というか遊びでしょ」
今でも、この言葉を思い出すと胸が痛みます。
今も、同じような偏見を持っている人がいるはずだから。

でも、だからこそ書く必要があると思ったのです。

そして、その偏見のために、新しい可能性との出会いを逃している人がいるかもしれない。

だからこそ、私には使命があります。

かつて偏見を持っていた私だからこそ。
その偏見が完全な間違いだったと身をもって知った私だからこそ。
フィンスイミングの本当の魅力を、より多くの人に伝えていく。

それが、あの頃の私への「償い」であり、このスポーツへの恩返しなのだと思っています。

終わりに

17歳で出会ったフィンスイミングも、気づけば19年目を迎えました。

私の人生を180度変えてくれたこのスポーツに、今度は私が恩返しをする番です。
誰かの偏見が、新しい可能性との出会いを邪魔することがないように。
より多くの人が、水の中の新しい景色に出会えるように。

そして何より、このスポーツを通じて、誰かの人生が豊かになれるように。

「フィンには、まだ見ぬ可能性が眠っている」

私は、そう信じて走り続けます。


ということで、ここまで長きに渡り読んでくれてありがとうございます。
この内容良かった!よく書いたなぁ!など思っていただけたら「スキ❤️」と「フォロー✅」、「シェア♻️」、「チップ💙」で応援していただければ嬉しいです…!

また、これからも読者の皆さんに役立てるような発信をしていきたいので、「コメント欄」に質問や気になるエピソードを入力して教えてください!

また次の記事で会いましょう!
またね〜

フィンスイミングスペシャリスト
足ひれ社長 関野 義秀

泳ぎの悩みを足ひれ社長に相談できるLINE公式アカウント

☆続きを読む👇☆

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集