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哲学は「答え合わせ」だった

「哲学」には昔から興味があった。
これまでの私にとって哲学は、
「人生訓」のようなものだった。

名言のような言葉で、
これからを生きるヒントを
教えてくれているもの。

でも、
今は少し違う捉え方をしている。

哲学は、
答えを教えるものではなく

問いを深めるもの

なのかもしれない。

ただ不思議なことに、
その問いを考えていると

「ああ、それわかる・・・」

そんな瞬間がある。

自分の中にある感覚に、
誰かがすでに言葉を与えていた。

だから私にとって
「哲学」は

答え合わせ

のように感じられるのかもしれない。

少し前に
OSHOの本を読んだときは
また違う感覚だった。

このとき思ったのは、

「この思想は、これから先の地図なのかも」

これからをどう生きるのか
どう世界を見るのか

そんな方向を
示してくれるような感覚だった。


でも、
ニーチェやサルトルの言葉は
少し違った。

新しい考えというより、

今の自分の感覚を言語化すると
これなのかもしれない。

そんな感覚。


たとえば、

人生は自由で、
でもその選択の責任は
自分で負う。

この考え方。

これを読んだとき、

「ああ、これは
 私が体験からたどり着いた
 場所と同じだ」

と妙にしっくりきた。

私は、

神や宇宙は
どこか外側にあるのものではなく、

自分の中にあるもの

だと感じている。
だから、

外から正解を与えられたり、
外側で正解を探すのではなく、

自分で選び、
自分で生きる。

これが、
自由ということなんだと思う。


哲学というと、
とても難しいものだと思っていた。

でも今は少し違う。

もしかすると哲学は、

新しい思想を学ぶことではなく、
自分の中にある問いに
言葉を見つけていくこと

なのかもしれない。


自分の中で
日々ぼんやりと浮かんでいる
思想のかけらたちが
「言葉」を授かり輝き出す。

人の心っておもしろいなって
つくづく思う^^


Aru.


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