アドラーはなぜ「哲学」ではなく「心理学」なのか①
私は、
今から約10年ほど前に
1冊の本と出逢い、
「AC(アダルトチルドレン)」
という言葉を知った。
そこから、
いろんな思想にふれてきた。
きっかけは、
・加藤諦三さんの本
そこから、
「生きづらさ」の理由を
探していたとき出逢ったのが
・アドラー心理学
そして、
・エーリッヒ・フロム
の影響を受け、
「愛の学び」が本格化していく。
アドラーはよく
哲学のようだと言われる。
人生観や人間観を語り、
「人はどう生きるべきか」
という問いにも答えようとするから。
でも、
アドラー自身は
哲学者ではなく、
心理学者だった。
なぜだろう。
最近の私は、
前回の話にも登場したとおり、
数々の哲学者たちと対話している。
これまでに私の人生に
登場した哲学者は、
・サルトル → 自由
・キルケゴール → 実存
・サルトル → 自由
など。
彼らが考えていたのは、
「人間とは何か」
「世界とは何か」
「どう生きるべきか」
つまり
世界の構造を考える学問
これが哲学。
アドラーはなぜ
「哲学」ではなく「心理学」なのか?
この疑問。
おそらく、
アドラーが知りたかったのは
「人はどう生きるべきか」ではなく、
「人はなぜそのように生きてしまうのか」
なのではないかと。
哲学は、
人間の存在や意味を問い続ける学問だ。
一方で心理学は、
人の心がどのように動き、
なぜその行動をとるのかを
理解しようとする。
アドラーは、
人間の苦しみを「思想」
としてではなく、
実際の人生の問題として扱った。
だから彼は、
哲学ではなく心理学
という形を選んだのではないだろうか。
でもーー
おもしろいことに、
私はアドラーとは逆に道をたどる。
私はまず
アドラー心理学を通って
人間を、自分を理解しようとした。
そしてその先で、
いままさに哲学と出逢っている。
もしかすると、
アドラーから哲学へ来た私は
途中に道で
哲学からアドラーへ向かう人たちと
すれ違っているのかもしれない。
そう思うと
とても不思議な気持ちになる。
同じ山を目指している人が
違う登山道から登っている
そんな感覚なのだ。
人間を理解しようとするとき、
心理学から入る道もあれば、
哲学から入る道もある。
私の場合はたまたま、
アドラー心理学から始まり、
いま哲学の入口にたどり着いた。
だから
私のとって哲学は、
これまでの体験の「答え合わせ」
のように感じられたのだと思う。
ここまでが私の中での
想像のお話。
次回、
AIとの壁打ちの中で知った
アドラーが哲学ではなく、
心理学を選んだ本当の背景
を書こうと思う。
読書が大好きな私だけど、
心理学にはどうもハマれなかった。
でも、
哲学にはなぜか惹かれる。
読んでもまるで理解できなかったのに
昔からものすごく惹かれていた。
その理由も、
最近少しずつ見えてきています^^
Aru.
