死が怖い。幸せになりたい。――それを感じているのは誰だろう
はじめに
ふとした瞬間に、理由もなく不安が立ち上がることがある。
死のこと、将来のこと、うまく言葉にできない焦り。
同時に、少しでも安心したい、幸せでありたい、という気持ちも顔を出す。
そんなとき、こんな問いが浮かんだ。
「怖れている“それ”は、私か?」
【筆者活動】
▼作品販売 ▼画集 ▼最近のこと
🏬Creema|一点ものをお迎えいただけるショップ
けん (ニックネーム) https://www.creema.jp/c/artinnature_k
📕画集|「生命のあわい」体感型アートブック
https://www.amazon.co.jp/dp/B0FPX1K91R/ref=mp_s_a_1_1
📷Instagram|制作の息づかいをリアルタイムで
@artinnature_k https://www.instagram.com/artinnature_k
第1章 何もない感覚の中で、なぜ恐れは現れるのか
何も考えず、ただ感じているだけの時間がある。
良いとも悪いとも言えない、空白に近い感覚。
それなのに、そこへ突然、
「死が怖い」
「このままでいいのか」
という思考が割り込んでくる。
このとき感じるのは、
自分は今、穏やかなのか、それとも不安なのか
という小さな混乱だ。
何もないはずの場所に、なぜ恐れが現れるのか。
そのこと自体が、少し不思議に思えてくる。
第2章 恐れは「考え」よりも先に動いている
よく見てみると、恐れは「考えた結果」ではない。
むしろ、考える前にもう始まっている。
危険を避けようとする反射
失わないように身構える反応
安定を探し続ける動き
これらは、選んで起こしているものではない。
気づけば、もう動いている。
そう考えると、
恐れは「意見」ではなく、「反応」に近い。
人格というより、仕組みのようなものだ。
第3章 「見ている」という感覚
恐れが湧いたとき、完全に飲み込まれる場合もある。
でも、ある瞬間から、少し距離が生まれることがある。
ああ、また不安が出てきたな
今、脳が先回りしているな
そうやって眺めている自分がいる。
ここで、ひとつの違いがはっきりする。
恐れは強くても、それを見ている位置は静かだ。
恐れているものと、
恐れを意識している場所は、どうやら同じではない。
第4章 「私」と呼んでいるものの正体
では、「私」とは何なのだろう。
恐れが消えても残っているもの。
安心しているときにも、変わらずそこにあるもの。
言葉が止まっても、まだ感じている何か。
それは、
安心でも不安でもない
正解でも失敗でもない
幸福でも不幸でもない
ただ、在る。
恐れはそこに現れるが、
そこそのものではない。
雲が空を覆っても、空が雲になるわけではないように。
第5章 問いをそのまま置いておく
怖れている“それ”は、私か?
この問いに、はっきりした答えを出す必要はない。
むしろ、答えを急がないほうが、この問いは生き続ける。
恐れが湧くたびに、
少しだけ立ち止まって、同じ問いを置いてみる。
完全に分かれなくてもいい。
混ざっていてもいい。
ただ、
「同じではないかもしれない」
と思えた瞬間、その分だけ視界は広がる。
恐れを否定せず、
自分を持ち上げることもせず、
静かに問いと並んで立つ。
それだけで、この問いは十分役目を果たしている気がする。
【この続きをさらに深く、感じてみませんか?】
置くだけで内省・気づきを促す、アートインテリアを。
ー速さと正しさが善とされるAI時代に、意図的に”自分に帰る時間”を設計。デスクの小さな景が、本当に大切なものに気付かせてくれるー
▼作品販売 ▼画集 ▼書籍 ▼フィールドノート
🏬Creema|一点ものをお迎えいただけるショップ
けん (ニックネーム)
📕画集|「生命のあわい」体感型アートブック
📷Instagram|制作の息づかいをリアルタイムで
@artinnature_k

📝note|制作コンセプトや想いを届ける
けん (クリエイター名)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
リアクション・フォローいただけると大変励みになります。
本投稿が、あなたの日常に小さな灯をともすきっかけとなりましたら幸いです。
いいなと思ったら応援しよう!
この小さな灯に心を寄せてくださりありがとうございます。お寄せいただいたチップは『生の灯』創作へと灯を繋ぎ、応援の気持ちを形に変えてお届けします。