東日本大震災から14周年の前後に、鼻の手術で入院して生還できたので、その記録を書くついでに、過去からの呪いの「お焚き上げ」を試みてみる。
さて、2025年3月ももうすぐ下旬ですね。私も、3月20日で56歳児になってしまいました。
この間何をしていたかというと、実は、手術で一週間弱入院していました。
これくらいの期間の入院は実は大昔してた(ひょっとしたら有料パートで触れるかもしれない…結局今回は触れられなかった)けれども、全身麻酔での手術というの自体生まれて始めてだったし、そもそも内視鏡検査で良性のポリープ見つかったから撮るとか、大怪我したんで縫い合わせますとか、そういう手術は経験があるけど、それ以上はなかった。ので、少しまとめておこうかなと思います。
今回、後半にかなりのレベルの「呪い」のお焚き上げというか「呪詛返し」の言葉がブチ込まれる予定なので、後半は有料にします。皆さま、見世物小屋のお代を払う気持ちでお買い上げされたり、「チップ」でご支援いただけると、非常に助かります。
前回は、こちら:
きっかけ
前史
私は、大昔・それこそ、小学校の四年か五年位から激しいアレルギー鼻炎に悩まされ続けてきました。常時鼻水が止まらない、鼻がつまり続ける、痰も相当出る。
原因は幾つかあったのですが、その中で、小学校の集団検診で「鼻中隔湾曲があるよ」と言われたものの、45年間くらい放置し続けて、その間に、通常の耳鼻科にかかってても症状良くならないし・ちょうど漢方の先生にかかれる環境に巡り会えたからお願いしよう。と診てもらって、そこで貰った漢方薬(※全てツムラ製の保険適用薬)がすごく効いて、一ヶ月もしたら鼻の中に巣食ってた鼻茸がドバドバ出だして、半年くらいかけて一旦アレルギー性鼻炎を根本的に治せた感じになったり、それから10年近く経ったら又鼻炎がぶり返してきて・今度は、副鼻腔という鼻の奥の空間で炎症を起こして膿が貯まる副鼻腔炎(ちくのう症)を頻繁に起こすようになって、そのたびにこじらせて熱を出したりとあった訳です。
で、コロナ禍で、場当たり的な治療しててもこりゃ駄目だなぁ。と腹を括って、漢方外来と耳鼻科がセットである大きな病院に紹介状書いてもらって転院して…。
そこでは、漢方使うまでもないと、生活指導込みでいろんな薬貰ったりして、かなり良い状況を維持できる感じになってたのですが…そこが、コロナ禍が続いてるのに「終わったこと」にして政府がお金締め上げやがったおかげで、締め上げてから一年くらいして病院経営がやばくなったのか耳鼻科をリストラすることになってしまい、仕方ないから、近所に耳鼻科あるのを探し出してそこに通うことになったんですなぁ。
近所のお医者さんから、手術するべきだと決断を迫られる。
そんなこんなで近所の耳鼻科の先生に通いだして、月一ニ回の通院をしながら症状が安定してきた、24年の秋。院長先生から、鼻の粘膜を焼いたり・鼻中隔湾曲を直したりするような手術を、体力がある年齢の間に行うべきだ。と迫られまして。
一ヶ月ニヶ月くらいどうしようかなぁ…と考えた末に、腹を括って、やるんで、紹介状書いてもらえないか。という事で、某大病院の耳鼻科に転院したのが、24年の末。
そこから、手術を前提とした検査やなんやが12月・1月・2月と続き、1月の半ばに、3月中旬に手術する前提でスケジュールを押さえましょう。2月の検査で色々調べて、手術の具体的な中身を決めましょうという話になった訳です。
2月末に「告知」を受ける。
で、2月の末。事前に必要な検査のデータが一通り揃ったところで、私の子供を付添人にする形で「告知」をするからと呼び出されました。
症状としては、
鼻の真ん中を仕切ってる軟骨・鼻中隔が極端に左に曲がっており、左に曲がってる骨を矯正する必要がある。
鼻の粘膜が肥大してる所があるので、切除する。
手術は全身麻酔で行う。
内視鏡を使って見える限りでは、副鼻腔に腫瘍などがあるわけではなさそうだ。
日帰り手術を行ってる病院も紹介できるがどうか?と訊かれたのですが、ここ十年間以上、心に隙間ができると、鼻茸を摘出するような手術とか、内視鏡で鼻の中を見ながらいろんな手術をやったり膿を出したりするような、YouTubeなどの動画を見るのが癖になってた私からしたら、これを意識がある状態で・局所麻酔でやった場合、私は暴れるんじゃないか?せん妄の問題もあるし。と、最近最高裁からの差し戻し審で無罪判決を再び勝ち取った、乳腺外科医事件のことなんかも頭にあったんで、「全身麻酔でお願いします」と速攻で返事しましたよ。理由込みで。
※2025-03-26 おことわり:
ここに、鼻の手術の動画を何本か貼ってましたが、流石にグロ動画すぎるので、無料部分の最後に「おまけ1:鼻の手術の動画の例だけどグロ動画に近いので、閲覧には注意してください!!!」として移動いたしました。
「せん妄起こしたら動画撮ってくれ」と医師に話したら、子供から怒られた。
で、ついでに、お医者さんに対して「もし、全身麻酔解く時にせん妄起こしたら、オイシイから動画撮ってくれ」って言ったら、息子からどつかれて、すごい怒られましたよ(・д・)チッ
しかも、お医者さん、「あなたはまだ若いからまずせん妄起きないと思いますよ」とか笑顔で答えてくれちゃうし。
オイシイ体験できるのになぁ…(´・ω・`)
3月頭から準備に入る。
お役所関連を回るだけではなく、一週間弱とはいえ入院生活を送るので、その間の日常品で先んじて持っていたほうがいいものを、マツモ◯◯ヨシだなんだで買い集めていったりする訳ですね(´・ω・`)
そして、前に友人から「いらなくなったから」と貰ったけど、どうもWindowsじゃ使い勝手悪いんで放置していたネットブックに、改めてDebian GNU/Linuxを入れ直したりとか。家の機械へのリモートログインやX11転送なども込みで。
後、子供に対しては、遺書に近いものも書きました。0.01%でも「戻ってこれない」可能性があり得るのならば、その場合に備えて、何をどう処分してほしいとか、非常事態になった場合は、まず誰と誰に連絡しろとか、優先度込みで色々と…。
そして、入院。
1日目。
正午過ぎに入院手続き始める予定で、当日起きた。が、荷物の選別を行うのや身じたく(手術の前日に、できるだけ自宅で風呂に入ってほしいと言われてたので…)で手間取り、結局一時間半遅れになるのが予想できてきたので、お昼前に「ごめんなさい、遅れます」と病院に電話。担当のナースステーションの方では、「そのくらいの遅れなら大丈夫なので、焦らないで来てください」と言われて、とにかく荷物をまとめて身じたく続けて、電車とバスで、病院へと向かいました。
で、病院で手続きした後、「夕食の後は、水以外のむな」などの色々な説明を受け、荷物を出してお店を開き、ごろりとしました。院内で入院患者向けのWifiがあるというので、それとの接続チェックを始めたりとか。
ただ、大部屋住まいになるので、病室内ではノートパソコンが使えず、スマホだけになるという感じで、それでもまぁ、食堂などの共有スペースでは使えるというので、共有スペースに電源とか持ち込んで、接続性のチェック。
ここで、予想外の事態が。
IPv4しかアドレスを振ってくれない上に、X11転送のスピードが悲劇的に遅い。実は、自宅ルータのリセットが必要になる事態が手術後にあったりしたんですが、この時にちょっとした地獄を見ました。
あれよあれよと言う間に、お食事などとなり…。
大部屋とはいえ、広い部屋に6人入ってて、カーテンで病床が仕切られてるので、コロナ禍が怖い私としては、カーテン閉めっきりでマスクもしながら寝起きする中で、食事は楽しみでした。
これが、食事が悪いと入院患者の病状にも悪影響が出ると考えてる病院だったのか、徴収される食費で間に合ってるのかどうか心配してしまう程度には美味しくて。ああ、病院食どうこうとTwitterで度々恨み言飛び交ってるけど、まともな病院も未だにあるのね。と感心してしまいました。
そして、消灯。
寝られません。
横の患者さんなんかエラく苦しんでわけわからんこと言ってるし、私は私で、なんか精神状況的にアレだったのか、紙の本を既に持ってる(それも、単行本として販売されたのも愛蔵版もだ!)、田中ユタカの「愛人 [AI-REN]」の電子愛蔵版の上下巻を(コインバックセール期間中だったので思い切って)買ってしまい、上巻を一気読みして、やっと日を廻った後くらいに気を落ち着かせて眠ったのでした。
2日目:手術当日。
起床してから手術まで
さて、起きました。色々チェックしていき、子供や友人達に「なんかあったら後はよろしく」とメッセージも送って、病床で体温血圧を測ったり、往診をしてもらったりして、ゴーサインが出て、手術室へ。
スタッフの先生方や看護師さんたち・技師さんたちと一通り挨拶を終えて、全身麻酔の導入に入りました。
技師の方に、「命お預けしますので、よろしくおねがいします」と小声で挨拶し、指示通りに、まずは、麻酔中に空気などを通すための管を口から入れるための治具を咥え、そのご点滴経由で眠らせる薬を入れてもらい、眠りにつきました。
生還。
そして、次に意識が戻ったのは、手術室で色々な装置のアラームやブザーが鳴り響く中で、「大丈夫ですかー!?」と看護師さんやお医者さんかた声掛けがあった時。
「手術は成功したと思います。両鼻の中に止血帯を当分入れるので、苦しいとは思いますが大丈夫ですよ」と。細かい話は後となり、病室へ戻されたのでした。
特にせん妄もなく(つまらないなぁ…(・д・)チッ)、後は、指示に従って、点滴を受けながら、夕方から食事を再開しましょう。となったのでした。
病室に戻ったら、抗生物質と止血剤の点滴セットが入れられたり、心電図と血中酸素濃度を記録するロガーを付けられたりしました。
そして、多少頭が廻りだしたタイミングで、子供や主要な友人達に、無事手術が成功したようだ。詳細はのちほど。と短くメッセージを送り、確かTwitterにも短文を出した気がするけど、その後力尽きて眠ってしまったのでした。
夕食
さて、夕食時間少し前ともなると、ある程度意識もしっかりし始め、何度かお医者さんの回診や看護師さんのチェックもあるものの、眠い…そして、夕方。食事の配膳少し前ともなると多少は歩けるようになったので、フロアの自販機に水を何本か買いに行き…走行してるうちにお食事が来ました。
確か、豚丼か牛丼の具とサラダ的なものをメインとしたやつで、分量はともかくガッツリ普通の内容でした。
味覚や嗅覚に変化があったか…というと、嗅覚が少しマシになった気がしなくもない。けど、単なる思い込みに過ぎないかも。と危機センサーは全開のまま。
食後は出された薬を飲んで、電子書籍を読んだり少しだけツイッターをチェックしたり書いたりしつつ、なんだかんだで消灯時間過ぎて少ししたら寝ました。
手術当日の夜中の地獄。
さて、寝だしたのはいいのですが、時折苦しくなって目が覚めます。
血だか鼻水だかが溢れ出し、鼻の穴を伝いだしたり、鼻の穴の中に溜まったそれらが不快になったりなどして、ティッシュペーパでちょくちょく拭ったり少し鼻水出そうとしたりとして、ゴミ袋やゴミ箱に溜まる溜まる…。たまにナースコール押して、ベッドの上で処置をしてもらうも、出てくるものも溜まるものも止まらない。
なんか苦しいし粘液も血もえげつないのでたまに目が覚めたりだなんだとしつつも、結局、起床時間前後まで過ごすのでした。
3日目:東日本大震災から14年目の日だが、それどころではない。
目が覚める。諸々血まみれ…(;´Д`)
朝食。中身はあんまし思い出させないけど、和食でした。そして、鉄分とかが強化されてる牛乳がセットだったりと、まぁ、よくあるやつ。
牛乳は苦手だけど、ここまで来ると、「とにかく、生き残るため。きちんと回復させて早期にシャバに出るため。」という意識も出始めて、とにかくどうしても食べれないもの(納豆とか)以外は食べる。という事で喰いました。
まだ、心電図と血中酸素濃度を測るセンサーがついてて、血中酸素濃度を測るセンサーは指を挟むやつなんだけど、これが、挟む力の問題なのかエラく不快で、寝てる間に何度も外れるし、同じ指をはさみ続けてるときつくなるので、ちょくちょく変える羽目に…。
頻繁に体温と血圧やらなんやらを看護師さんが測りに来て、担当のお医者さんも昼前に回診に来る。点滴を喉とかを見て、「血がのどにおちてきてないから、多分大丈夫でしょう」と言われつつ、細かい話をある程度まで訊けました。概ね成功だと思うので、2日後(5日目)の午前に止血帯を外して、その後内視鏡で鼻の中をちゃんと診ましょう。その結果が悪くなければ、更にその翌日(6日目)の午前に退院という予定で。と話を頂いたりなどして、その後、体力回復のために寝てはたまに看護師さんに起こされたりなどしながら寝て食べて、水やお茶を飲んで。という一日でした。
気がつくと、3月11日の14時46分などの、東日本大震災で重要な時間、全てについて眠ってしまってました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250311/k10014745681000.html
この日は、メシ食って寝て起きて、喉が渇いたら飲んで、動ける時にトイレに行ったり自動販売機で水やお茶を買い漁ったり。で一日が終わった記憶があります。
3日目夜中:やっぱり血などが出てくる。
で、夜中、寝ていても、血や粘液は溜まるので苦しいからティッシュに吐いたり鼻を噴いたりする。
でも、余りに余りなんで看護師さんを呼んでて、鼻の入口に入れてる綿の玉をちょくちょく変えてもらう。で、この綿の玉…綿球(めんきゅう)と言います…を自分で交換できたことをようやく知り、ワンセット置いておいてもらい、自力で交換繰り返していたら、どんどん出てくる血も溜まるなにかも止まってきたのでした。
4日目:なんだかんだで眠れなかった気がする。
4日目は、ゴロゴロ寝転がりながら、メッセンジャーで子供や友人達とやりとりしたり、ツイッターに少し本格的に入り浸ったりしてました。この頃になると、血がにじみ出てきたり、鼻に粘液が溜まるのも一気に減ってくる。
で、夕方。Wifiの速度がそこそこ出るので、スマホで家にあるデータを引っ張ってきてDL同人や動画を持ってきてみてたり、録画データのメンテをしたりしてたのですが、突然できなくなる。
んー…と思い、しょうがないからノートパソコンを食堂に持ち込んで作業するけど、繋がらない。
しょうがないから、スマホのテザリングに切り替えて、IPv6で繋いだら、うまく行く。
突然、IPv4でだけ自宅と繋がらなくなる。
どういうことだ!?と散々考えた末に、家のルータがIPv4のポートフォワーディングをできなくなってる。ということだと見えてきて、仕方ないから、ルータにログインしてリセットを試みることに。ああ、これだから安いルータは(´・ω・`)
ところが、このルータかなり邪悪で、メンテナンスページでJavascript使いまくってたりして、w3mのようなテキストブラウザだとメンテができない。
仕方ないから、まずは、テザリング経由でX11 forwardingを用いて家のマシンのchromiumを立ち上げる方向でやってみたけど、テザリングの通信速度の細さもあって、描画速度が笑えない…。
色々見てるうちに、スマホに入れてあるSSH端末に、SOCKS5プロキシ機能がついてるのがわかったので、これを使って、スマホのブラウザのプロキシを設定した上で、家のマシンに直接繋がってるのを確認し、その上で、ルータをリセット。
数分して、WifiからIPv4で接続し直したら、ちゃんと接続などできることを確認…えらく疲れましたが、テンションが下がらずに、結局日をまたぐくらいまで起きてしまってたのでした。
4日目夕方、ビーフシチューと初めての洗濯。
夕飯は確か、ビーフシチューがメインだった。おいしいのだけど、鼻がアレで香りをあんまし感じられずにちょっと損をした気持ちになったのを記憶しています。
そして、洗濯物も溜まってきたし…と、洗濯機と乾燥機を使おうと、一回の売店まで行ってお茶と洗剤を買い、洗濯機や乾燥機を使って、色々なものを洗いました。冷たいブラックコーヒーが欲しかったけど、退院までは、念のために我慢我慢(´;ω;`)
5日目:鼻の穴から止血帯を抜き診察を受けるが…ここで、予想外の大出費!!!
さて、5日目の朝。運命の審判の日。
処置室に呼び出されます。
まずは、鼻の穴から綿球を抜き、軽く洗浄した後で、止血帯を抜き取ります。ここを紹介してくれた近所の病院の耳鼻科の先生からは、止血帯を抜くときはすごく痛いぞぉ…と散々言われてたのでかなり身構えたけど、あっけなくスルリと抜けてくれました。それも両鼻とも。
血もそんなには付着しておらず、お医者さんが、内視鏡を使って、鼻と副鼻腔ののあらゆるところを洗浄しながら、写真に撮ったり汚れたものを吸い出したりして行ってくれる。
そのうち結構な塊なんかも引っ張り出されるようになり、最終的には、左鼻の奥の方でデカいものが引っかかり、それこそ、鼻と喉をつなぐ部分全体を塞いでたような、小指よりも大きな、赤・黄色・オレンジが混ざった塊が出てきました。
…で、
私 「これ、鼻茸なんですかね?(´・ω・`)」
お医者さん 「いえ、単なる鼻水です(´・ω・`)」
本当かなぁ…と思いつつも、診断を受ける。
手術の状況について質問したら、「鼻中隔の曲がり具合が、予想よりもひどかったので、完全な矯正はできませんでしたが”最善は尽くした”。日常生活が、これから劇的に改善していくはずだ」というお話でした。
ちゃんと回復してるし、明日退院ということにしましょう。と。
退院後にしないといけないことの練習…ここで、大問題が発覚!
で、退院の翌翌週にある再診までの間鼻うがいをするように指示を受けて、練習させられました。
この道具=洗鼻器とそれに入れるお薬(というか調合された食塩)を、自費で買わないといけないということが発覚!!聞いてないよー!!!(´;ω;`)
しかも、お医者さんから指示されてる内容と「目的」を踏まえると、小林◯薬あたりの一般品だと使えなさげな感じがある。
これ、病院の売店で売ってるのだけど、本体3300円・追加の薬剤ワンセット1600円ほど。と、笑えない金額なんで困り、幾つかの通販サイトを見てみたものの、さほど安くない割には納期が週明けになってたりするし、激安なのもあるにはあるけど取り寄せだったりして困ったなぁ。と思いつつ、まさか、在庫ないよなぁ?(´・ω・`)と、ヨドバ◯◯ットコムを覗いてみたら、しっかり、注文翌日納品可能で、機械も薬剤も在庫がありやがった!!!(^ω^)
しかも、お値段が一割くらい安い上に、更には、年末の買い物や入院準備で結構な金額のポイントも溜まってた。
不幸中の幸いとばかりに、貴重品ボックスから財布を出して、楽◯銀行のVISAデビットカードを引っ張り出し、残高確認した上で、退院日の夕方に到着するように時間指定して、発注しました。千数百円浮いてくれたので、エラく助かりました(´・ω・`)
子供に、退院予定をメッセンジャーで送ったら、休みとるから退院予定教えてくれ。と。
無理するな。一人で帰れるから。と返事を出して止めたのけど、できるだけ行きたいから…というので、本当に無理するな。とわかってることを連絡したりなど。
そこからは、例によって点滴を受けつつ、メシのときだけ起きて、夕食が終わるまではひたすら寝て回復に専念したのでした。サバイバル意識が相変わらず高め。
5日目夕方;お風呂というか、シャワー。
さて、お医者さんのシャワーの許可も貰ったし、髪もベタベタだしで、シャワー室借りて身体を洗い、その少しあとに夕食。
その後は、お薬飲んだり歯を磨いたりしてから、帰り支度できるものはしてしまい、消灯時間すぎまでゴロゴロと。最近注目してる(かなりマイナーかもしれない)VTuberが配信してたので少し見たりとかしながら、まぁ、日付をまたぐ前に眠りについたのでした。
6日目:退院。
朝。起きたら、例によって体温と血圧を測られ「大丈夫ですね」と…
お食事を食べようと配膳を受けたら、「退院おめでとうございます!」という調理部からのカードもお膳に入っていて、少し幸せに(´・ω・`)
で、整理しつつ、最後の診察。
処置室で、再度鼻うがいの練習をしたり、最終的な所見を訊いたりで。
それから、着替えて、子供が来るのや退院手続きや会計が来るのを待つ。
そのうち、子供が来て、お仕事半休なん?(´・ω・`)と訊いたら、全休にした。と…無理せんでいいのに…(´・ω・`)
花粉症の市販薬を飲んできてしまったので、眠いとか…(;´Д`)
そして、手続きも終わり、次の診察まで飲むお薬や預けたお薬も受け取って、看護師さんたちにお礼をお話した上で、退院したのでした(´・ω・`)
帰宅。
わざわざ私のために休まんでいいのに…と帰りの電車の中で訊いたら、上司から「こういうときくらい親孝行してやれ」と言われたのも相当あった。と、で、親孝行ったって自分にはよくわからない。と訊かれたので、「親孝行」なんてのは、みんな誰もが全く違うはずだから。今の状況で、やりたいようにやらせてもらうことや、君(子供)の事を助けたい時に助けることを許してもらえること自体が親孝行なんだから。まぁ、それがきつかったりうざかったりするのも不本意だから、そういうのはバンバン言ってもらうほうが親孝行になるからな(´・ω・`)と話して、「わかった」と。
家までついてくる気だったようだけど、花粉症の薬の副作用で眠さがえげつないようで、私の家の最寄駅で別れて、大奮発してタクシー使って帰宅したのでした。
ここからは、呪いと恨み節になるので、絶対有料?です。
ここから先は、個人的な恨み言・長年抱えてきた「呪い」を、お焚き上げするために色々と描くのもあって、有料にします。
どうか、この物価高・実質賃金低下になんだかんだと皆さま経済的に大変だとは思いますが、できましたら、見世物小屋への投げ銭だと思ってご支援いただけると幸いです。
ここからは、資料映像だけどグロ画像っぽい感じなので、駄目な人はスキップしてくださいませ m(_ _)m
おまけ1:鼻の手術の動画の例だけどグロ動画に近いので、閲覧には注意してください!!!
おまけ2:こぼれ話。退院から数日経った日の、夕方。
例によって、洗鼻器で鼻うがいをして鼻を噛んだら、すっごくでっかい塊が出てきました。
長さ約35ミリ、幅約7ミリほどの、平べったい粘膜かなんか。見た瞬間、ヒラムシ(プラナリア)みたいだったのもあって、写真を思わず撮ってしまいましたよ(´・ω・`)
以下に貼っておきますが、グロ注意です(;´Д`)

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