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【歴史総合講義録】#53 パリ講和会議と国際連盟、ワシントン体制

今回のテーマの立ち位置
みなさん、こんにちは!
以前の授業で、史上初の全土を巻き込んだ大惨事、第一次世界大戦の激戦とその終結までを見てきましたね。
今日扱うのは、「じゃあ、この壊滅的な大戦争のあと、世界はどうやって平和を作り直そうとしたのか?」というお話です。
実は、歴史総合において今回のテーマは「第二次世界大戦へのカウントダウンが始まった瞬間」でもあるんです。「せっかく平和のための仕組みを作ったのに、なぜ20年後にまた大戦争が起きてしまったのか?」という疑問を胸に抱きながら、当時の首脳たちの駆け引きを見ていきましょう!

1. パリ講和会議:勝者の論理と理想の衝突
1919年、フランスのパリ近郊でパリ講和会議が開かれました。
ここで主導権を握ったのが、アメリカ大統領のウィルソンです。彼は開戦中に発表していた「十四ヵ条」という平和原則をベースに、「二度とこんな悲劇を繰り返さない国際秩序」を作ろうと提案します。
ここで大事な問いです。
【問い】
この会議には、当時の主要国のうち「呼ばれなかった大国」があります。一体どこでしょう?
ヒント: 敗戦国と、社会主義革命を起こした国です。
答えはドイツ(敗戦国)とソヴィエト=ロシア(旧ロシア帝国)です。
そう、最初から「全員で話し合う」のではなく、「勝者(連合国)だけで敗戦国の処分を決める会議」だったんですね。これが後々まで響いてきます。

敗戦国ドイツへの過酷な処遇
1919年6月に調印された対独講和条約がヴェルサイユ条約です。内容を整理してみましょう。

  1. 領土の削減:普仏戦争(1870年)でドイツに奪われていたアルザス・ロレーヌをフランスへ返還。その他にも東部領土などを失います。

  2. 軍備制限:徴兵制の廃止、陸軍兵力は10万人に制限、潜水艦や軍用機の保有禁止。

  3. 天文学的な賠償金:戦争の全責任をドイツに負わせる形(悪名高い「戦争責任条項」第231条)で、後に1320億金マークという莫大な賠償金が課されました。

ドイツ国民からすれば、「言われるがままにサインさせられた(強要された平和)」という強い屈辱感が残りました。これが後にヒトラーを台頭させる土壌になっていきます。

2. 「民族自決」の光と影、そしてアジアの叫び
ウィルソンが掲げたスローガンの中で、世界中に最も強いインパクトを与えたのが民族自決(それぞれの民族は、他国の干渉を受けずに自分たちの政治的地位を決める権利がある)という考え方です。
これにより、東欧ではロシア帝国やオーストリア=ハンガリー帝国から、ポーランド、チェコスロヴァキア、フィンランドなどが次々と独立を果たしました。
しかし!ここには巨大な「ダブルスタンダード(二重基準)」がありました。

ウィルソンが言った「民族自決」は、実は「ヨーロッパ(主に対独・対露の緩衝地帯となる地域)の白人社会」に向けたものであり、アジアやアフリカの植民地には適用する気がさらさら無かったと言われています。
アジアやアフリカのドイツの植民地はどうなったかというと、独立ではなく委任統治という名目で、勝利したイギリス、フランス、日本などの大国に引き継がれ、実質的な植民地支配が続きました。

アジアで巻き起こった抵抗運動
「自分たちも独立できるのでは!?」と期待したアジアの人々は、裏切られたことで激しい抵抗運動を起こします。

  • 朝鮮(1919年3月1日):日本の植民地支配に対し、ソウルから全国へ広がった三・一独立運動

  • 中国(1919年5月4日):パリ講和会議で、日本が主張した「旧ドイツ権益(山東省の権益など)の継承」が認められたことに反発して起きた抗日・反帝国主義運動(五・四運動)。

特に中国では、この講和条約への不満からパリ講和会議の代表団が調印を拒否するという事態にまで発展しました。

3. 国際連盟の成立とその「弱点」
史上初の全般的な国際平和機構として、1920年に国際連盟(本部:スイスのジュネーヴ)が設立されました。発案者はもちろんウィルソンです。
しかし、この国際連盟には誕生した瞬間から3つの大きな欠陥がありました。共通テストでも頻出のポイントです!

  1. アメリカの不参加

発案者の国であるアメリカ自身が参加できませんでした。アメリカ議会(上院)が「ヨーロッパの揉め事に巻き込まれたくない(伝統的な孤立主義)」として条約批准を拒否したからです。

  1. 主要大国の欠席(スタート時)

敗戦国のドイツや、社会主義国のソヴィエトは、当初参加を認められませんでした(後に順次加盟しますが、すぐ脱退することになります)。

  1. 制約手段の弱さ

制裁手段が「経済制裁」のみで、軍事的な実力行使をするための「連盟軍」を持っていませんでした。また、意思決定が「全会一致」原則だったため、一国でも反対すると何も決められませんでした。
理想は高かったものの、スタート時点から実効性に大きな課題を抱えていたのです。

史料読解対策:ウィルソンの「十四ヵ条」を読む
共通テストでは、実際の史料を読んで「どのような背景で書かれたか」「その後の歴史にどう影響したか」を問う問題が必ず出題されます。
以下の史料を読んで、設問に答えてみましょう!
【史料】ウィルソンの「十四ヵ条」(1918年1月)より抜粋

  • 第1条:公の平和条約は公に達せられるべし(秘密外交の廃止)。

  • 第5条:すべての植民地上の要求の自由にして公正なる公正な解決。…

  • 第14条:大国・小国を問わず、政治的独立および領土的保全を相互に保証する目的をもって、明確なる規約のもとに国際的な体制が結成されざるべからず。

【問い】
上記の「第14条」の構想に基づいて成立した国際機構の名称と、その機構の初期の課題として正しい説明を選びなさい。

  1. 国際連合が成立したが、冷戦の勃発により機能不全に陥った。

  2. 国際連盟が成立したが、提案国であるアメリカ自身が内政上の理由から不参加となった。

  3. 万国平和会議が成立したが、全会一致の原則が障害となり裁定が下せなかった。

【解説&解答】
正解は です!
第14条はまさに国際連盟の創設を提唱した条文です。アメリカ国内の孤立主義(モンロー主義の伝統)により、上院が批准を否決したためアメリカは不参加となりました。この史料と歴史的結末を結びつける問題は非常に頻出です!

4. ワシントン会議とアジア・太平洋の安定
ヨーロッパでできた平和体制をヴェルサイユ体制と呼ぶのに対し、アジア・太平洋地域で作られた新秩序をワシントン体制と呼びます。
1921年〜1922年、アメリカ大統領ハーディングの提唱でワシントン会議が開かれました。参加国は9か国です。
ここで結ばれた主要な3つの条約を押さえましょう!

1. 四か国条約(米・英・仏・日)
太平洋上の島嶼(とうしょ:島々)の現状維持を約束した条約。
これによって、なんと明治時代から続いていた日英同盟の解消が決定しました。アメリカが日英の急接近を警戒したためです。
2. ワシントン海軍軍備制限条約(米・英・日・仏・伊)
主力艦(主力となる巨大戦艦)の保有比率を制限した軍縮条約です。
比率は 米:英:日:仏:伊 = 5:5:3:1.67:1.67 となりました。日本は「5」を要求しましたが受け入れられず「3」に抑えられたため、日本海軍内部に強い不満を残すことになります。
3. 九か国条約(参加全9か国)
中国の主権尊重、領土保全、機会均等を約束した条約。
これにより、日本が第一次世界大戦中に中国に突きつけた「二十一ヵ条要求」の一部が放棄され、山東省の旧ドイツ権益も中国に返還されることになりました。

今回のまとめ表(一目でわかるヴェルサイユ&ワシントン体制)
今日学習した2つの体制を、共通テストの頭の整理用に表で整理しておきましょう!


次回予告:1920年代の西ヨーロッパ諸国
さあ、今日学んだ国際秩序(ヴェルサイユ=ワシントン体制)のもとで、1920年代のヨーロッパ諸国はどうなっていくのでしょうか?
次回は、「戦争の傷跡から立ち直ろうとする1920年代の西ヨーロッパ」を見ていきます!

次回のポイントと必修キーワード
戦争が終わった後、ヨーロッパでは「二度と戦争を起こさないための更なる歩み」と「経済の再建」が進みます。

  • シュトレーゼマン:激しいハイパーインフレに苦しむドイツを救った首相。新通貨レンテンマルクを発行して混乱を鎮めました。

  • ドーズ案:アメリカの資金援助によって、ドイツの賠償金支払いを緩和した計画。これによりアメリカの資本がヨーロッパに流れ込みます。

  • ロカルノ条約:1925年、西ヨーロッパの国境を互いに確認し合った安全保障条約。これによってドイツ国際連盟加盟(1926年)が実現!

  • 不戦条約(ケロッグ=ブリアン条約):1928年、「国際紛争を解決する手段として戦争を使わない」ことを誓った条約。

次回に向けた【問い】です。
【問い】
1920年代半ば、あんなに憎み合っていたフランスとドイツが歩み寄り、国際連盟にもドイツが入れるようになりました。なぜ、急にヨーロッパに「束の間の平和」が訪れたのでしょうか?
その陰で「圧倒的な金持ち国」としてヨーロッパを裏で支えていたあの国の役割に注目してみてください!
お疲れさまでした。

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