写真詩|最後に見る彩
おしゃれなカフェというのは、だいたい信用ならない。
壁に絵が掛かっていて、照明はやさしく、椅子は妙に高い。
こちらの生活だけが野暮ったく見えるように、うまく設計されている。
絵は黙っている。
黙っているのに、こちらのことをよく知っている顔をしている。
額縁の中の世界は、やけに整っていて、
僕の人生だけが、妙に散らかって見える。
ああ、僕は今、「整っているもの」に嫉妬しているのだ、と気づく。
嫉妬はみっともないが、気づけるだけまだ救いがあるだろう。

コーヒーは黒い。
飲むたびに味が変わる。
こちらの心のほうが勝手に変わるからだ。
苦い日は、苦さが増える。
甘い日は、甘さを疑う。
大人になった証拠か
或いは素直でいる体力が減っただけか。
人生とアートのつながりなんて、
本当は、単純だ。
上手く生きることが作品ではなくて、
上手く生きられなかった部分に、色が残る。
むしろ色は、失敗のほうに濃く滲む。
成功はだいたい白く、失敗はやたら鮮やかだ。

涙にも色がある。透明だなんて、あれは嘘だ。悔しさの涙は、鉄の匂いがして、少し錆びた赤。諦めの涙は、薄い灰色で、声にならない分だけ重い。流した涙の色を見れば、人がどんな努力をしてきたかが分かる。努力というのは、成果より先に、どこかで泣かされるものだから。
ふと最後に見るものは何だろう、と考える。
名画でもなく、夜景でもなく、
誰かの成功でもなく、
ほんの小さなものかもしれない。
指先の温度。
窓の外の光。
誰かが置いたカップの輪。

もし最後に見るものが、そんな取るに足らないものなら、少し救われる。
僕は派手な結末より、静かな色のほうを信じたい。
最後に見るものが、やさしい色でありますように。
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