笑いの理論 ~或いは、その体系化への試論~(4)
*本記事は「笑いの理論 ~或いは、その体系化への試論~(3)」の続きです。未読の方はそちらを先にご覧ください。
本記事は第5章の一部と第6章と「おわりに」のみの掲載で、本稿の最終篇です。
第5章 おかしさ・おかしみ以外による笑いの説明
7・社会的な笑い
前記事で説明しきれなかった笑いについて書いていきます。やや長くなりますが、最後の「11・笑い顔の万国共通性」が、次の第6章の人類の “新世界進出性” へと繋がり、それが笑いの “芸術” としての根拠になりますので、ご期待ください。
9・笑いの感染性
まずは、我が “警戒解除論” が、他の理論とは違い かなり楽に説明できる「笑いの感染性」についてです。これは第1章で本家のラマチャンドランの誤警報理論を紹介した際に触れましたが、改めて説明します。
先述の通り、この笑いの感染の一つに「つられ笑い」があります。誰かに(理由は無くとも)笑い掛けられたら どういうわけか笑い返すことがありますし、友人とでも笑劇作品を観ていて、相手が笑ったら自分も一緒に笑うことは普通にあります。(反対に、相手がずっと笑っているのに自分は一切笑っていなかったら、関係は崩壊します。) また、ある実験によれば、複数の被験者に同一の笑劇作品を二度見せると、二度目に観た時はもちろん一度目より笑いの量が減るが、ある被験者には、二度目の視聴の際に実験者が同席し、あるシーンで実験者が笑うと被験者も笑い、しかも、一度目に一人で観た時よりも大きく笑ったそうです。(志水彰『笑い/その異常と正常』前掲、pp.129-130) だから、笑いのライブでお客さんがたくさん来ているというのは非常に大事なのですが、この笑いの感染性の起源は何か?
ここでは、プレーリードッグを例に考えてみます。
プレーリードッグは体長30-40cmほどの齧歯類で、巣穴を掘り 群れで暮らしていますが、天敵のオオカミ等が近づいてきたら彼等は皆、巣穴の中へ隠れ、“警戒” します。しかし、そのオオカミが去ったなら、群れの誰かが巣穴の外に出てオオカミがいるかどうか確認するはずです。そして、オオカミがいなくなったことを確認できたら、「ほっという言葉のとおり少し息をはく。」 プレーリードッグの場合は、鳴く。そして、それを聞いた まだ巣穴の中にいる者達は「誰かが “解除” したぞ」と思い、巣穴の外に出てオオカミがいなくなっていることを確認し、自分も同じように鳴くでしょう。そうして、他の個体も、他の個体も…… と、つられて=感染・伝染して笑う、ということです。
ちなみに、この考え方は僕だけでなく雨宮先生もされていて、先のラマチャンドランの誤警報理論を紹介する際に、彼の理論は笑いの感染性を主な論拠にしているとして、以下のように書かれています――
笑い声が伝える安心と感染しやすさ、集団のまとまり維持の機能に着目して立てられた説である。たとえば、プレーリードッグは、捕食者のコヨーテが去ると、穴から出てぴょんぴょん跳ねて、互いに声を出し合い、声がどんどん広がっていく。
これには異論は無いと思います。
初期人類の場合では、例えば、サバンナを群れで歩いている時に草むらがゴソゴソし 、皆 “警戒” 状態になるのだが、勇敢な(あまりにも勇敢な!)先頭の一人がその草むらの中を覗き込み、居たのがヒョウではなくサクソ・グラマティクスで、「あぁ、なんだ、サクソ・グラマティクスか! あはははは……!」と言うと、群れの他のメンバーも「あぁ、なんだ……!」「サクソ・グラマティクスか!」「あはははは……!」と連鎖していくのだと思います。これには異論は無いと思います。
10・挨拶の笑い
挨拶の笑いについても何度か触れましたが、確認します。
志水先生の『笑い/その異常と正常』によれば、「口に入った有害なものに対する防御反応」が長い進化の結果、「自分が攻撃する意図はないが、攻撃を受けるかもしれない相手に近づく時に敵意のないことを示す意味で用いられるようになり、これがマカク類のサルの「劣位の表情」となった。」 そして、「この表情がさらに人間のあいさつの際などのほほえみへ発展した」そうです。また、現代のマカク類も劣位の表情を使うそうですが、種によってはさらに「親和の表情」へと進化しているそうです。(同書 p.10)
サルの段階で挨拶の笑いはかなり完成していそうですが、人類にはこの笑いがより強く必要になった契機があると思うので、それを以下で書いていきます。
11・笑い顔の万国共通性
何度も書いた通り、ここから何万年も遡らねばならないので、この項は長くなります。しかし、その終わりと次章の始まりで登場する人類の “新世界進出性” が、笑いの “芸術” としての根拠になります。そして、そこまで接続できたら本稿は終了になります。
現代の実験
まずは現代での実験結果ですが、人間の表情というのは基本的に世界共通だそうですが、どの国でも、怒りや悲しみや嫌悪や驚き等の表情よりも、笑い顔が最も正しく読み取れるそうです。(志水彰・角辻豊・中村真『人はなぜ笑うのか ~』前掲、pp.153-155) エクマンやイザードという学者達が調査したところによると――
ある表情写真を見せてその表情がどの感情をあらわしているかを答えてもらうのだが、国が変わってもおおむね正しく表情が読み取れることがわかったのである。なかでも笑い顔の的中率は群を抜いており、どこの国で調査をしても一〇〇パーセントに近い高率であった。ちなみに悲しみや恐れをあらわす顔の表情は五〇~六〇パーセントの的中率の場合もある。
このように、他の表情とは違い、笑い顔はどこの国でも的中率が「一〇〇パーセントに近い高率であった」そうで、笑い顔は「万国共通」だと言えそうです。志水先生はこう書かれています――
笑顔が文化圏を問わず、ほぼ一〇〇%笑顔として認識されるというこの結果は、他の研究とも一致している。また判断に要する時間も、笑顔が最も短く、判断に必要な写真の大きさも最も小さくてすんだ。この結果は笑顔が最も短時間で、最も正確に判断できる表情であることをあらわしており、笑いのもつコミュニケーションの道具としての役割の重要性と普遍性を示している。
しかし、これは なぜなのか? “警戒解除” とどう関わるのか?
イラク戦争中の笑い顔による和解
前掲のNHKスペシャル取材班『ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか』(pp.93-97)には、アメリカのクリストファー・ヒューズ大佐が2003年のイラク戦争中に体験した笑い顔の力について書いてあります。
ヒューズ大佐はイラクのナジャフ市という街を確保する任務を与えられ、地元の有力な聖職者と話し合いをしようと市内に向かったのだが、ヒューズ大佐達が聖職者を殺しに行くと勘違いした群衆が暴動を起こし、石を投げたり 道に止めてある荷車を押し倒したりと、場を収束させるのが困難になったそうです。銃で脅したり撃ったりという武力での制圧は可能ではあったのだが、ヒューズ大佐は自分達も殺されてしまうことを危惧し、「どのようにコミュニケーションをとろうか」と考えたそうです。「言葉がしゃべれないので、私がこの状況を打開するには言葉を使わない方法でなければなりません。視覚的に相手に訴える形で何かをしなければならなかったのです。」 そして、混乱した群衆に「私たちには敵意はないのだ。話し合いをしたいのだ」ということを印象付けるにはどうしたらいいか、ヒューズ大佐は考え、次の瞬間、部下たちにこう叫んだそうです――
「笑え、笑うんだ」
そして、戦場で笑い顔になることに不慣れな兵士達がなんとか笑い顔を見せると、群衆達はアメリカ兵達に対して微笑み返したそうです。その結果、双方が笑い顔を浮かべ、交流ムードに包まれ、一触即発の “警戒” 状態が解消されたそうです。しかし、なぜヒューズ大佐はそのような判断をしたのか?
私は世界の89ヵ国に行っていますが、言語の壁、文化の壁、民族や宗教の壁があっても、笑顔の力が働かないのを見たことはありません。この世界で、笑顔は一つの意味しかありません。ですから暴力があり、不安があり、怒りがあり、混乱がある状況だったとしても、あなたがその人に笑顔を見せたら、少なくとも対話がはじまります。そこで、私は笑顔になりました。
このように、笑い顔には攻撃的な相手とも和解する力があることを経験的に知っている人もいるようです。しかし、これもなぜなのか? なぜ笑い顔にはそのような効力があるのか?
ボトルネック効果
これらを説明する前に、確認しておかねばならないことがあります。それは「ボトルネック効果」というものです。これは、ある時期に人口が極端に減少し、その結果として遺伝的多様性が著しく失われる現象のことです。
およそ20~30万年前にアフリカで誕生したと言われる現生人類は、現在 地球上の至るところに生息していて80億以上の数に上っていますが、その遺伝的違いはかなり少ないそうです。(全人類の遺伝的差異は0.1%未満とも言われています。) そして、それはボトルネック効果によるものだとされています。現生人類は世界中に拡がっていますが、もし生まれ故郷・アフリカを出た(「出アフリカ」)後に進化していたのなら(てんでバラバラに?)、遺伝子の多様性は大きくなっていたはずです。しかし、現在の人類には遺伝的違いが少なく、ボトルネックは出アフリカ以前に起きたと考えられます。そして、差異の少ない遺伝子と人間性を持ってアフリカを出ていったのですが、ここに「笑い顔の万国共通性」と「笑い顔の的中率100%性」の根があるはずです。
しかし、では、そのボトルネックはいつ起きたのか?
人類絶滅の危機 ~トバ火山大噴火~
それは約7万4千年前だとする説が有力です。この時期にインドネシアのスマトラ島のトバ火山が大噴火を起こし、ニューヨーク大学のマイケル・ランピーノ教授によれば、その影響で当時 地球上に10万人はいたとされる人類が1万人以下にまで激減したそうです。(参考:NHK BS『コズミック フロント☆NEXT』「人類絶滅寸前! 超巨大噴火」前掲、NHKスペシャル取材班『ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか』前掲、pp.136-146) この噴火の規模は過去10万年の間でも最大で、200年前の有史で最大の犠牲者を出したインドネシアのカルデラ噴火の噴出物は50立方キロ程度だそうですが、このトバ火山の噴火では3000立方キロだったそうです。当時の人類はまだアフリカにいたのですが、遠く離れたインドネシアの噴火がなぜアフリカにまで影響を与えたのか?
さすがの大噴火といえど、火山灰や衝撃波(音も含め)がアフリカにまで到達したわけではなく(そして、当時の人類には噴火が起こったことなど知る由もなかった)、人類を絶滅の危機にまで追いやったのは、「火山の冬」と呼ばれる寒冷化だったそうです。
その火山の冬の主な要因は硫黄ガスで、大量に噴出されたガスが空気中で水に反応して硫酸エアロゾルになり、それが核となって厚い雲を作り、太陽光を反射し、地球の気温が下がっていったそうです。気象庁気象研究所の田中泰宙 博士によれば、噴火後から約10日ほどで雲が地球全体に拡がり、地球の平均気温は10~15度も下がり、夏でも平均気温が5℃くらいにまでなったそうで、それが引き金となって氷河期さえ始まってしまった可能性があると言います。(『コズミック フロント☆NEXT』「人類絶滅寸前! 超巨大噴火」前掲) そして、それが何年も続いたそうなのですが、常に「冬」では植物が育ちません。すると、それを食べる草食動物は生きていけません。すると、それを食べる肉食動物も生きていけず、結果、人類の食べる物は無くなり、また寒さ自体もあり、相当の数の人類が命を落としたそうです。
アフリカ最南端の岬・ピナクルポイント へ
しかし、陸の食べ物は無くなっても、水の中はまだ大丈夫だったそうです。即ち、海。海の中はそこまで寒冷化の影響を受けなかったようで、人類は海岸に集まっていったそうです。アリゾナ大学のカーティス・マリーン教授によれば、アフリカ大陸の最南端にある岬・ピナクルポイントの洞窟内で見つかる石器や貝殻等の数が、トバ火山の噴火以降の地層で激増したそうです。(同前) つまり、この洞窟は人類の避難所になっていて、皆ここで生き延び、そして、洞窟内の人口は増えていったそうです。
しかし、イリノイ大学のスタンレー・アンブローズ教授によれば、トバ火山噴火以前の人類は強い縄張り意識があり、激しい争いをしたり仲間を殺したりもしていたそうで(チンパンジーの生態もかなり これと近いようです)、さらに共喰いさえも行なっていたそうです。(同前) が、トバ火山噴火以降(およそ数千年~1・2万年後)にはそのようなことは減り、仲間同士で食糧を共有するようになり、そして、見知らぬ相手でも争いをせず 共に困難に向き合っていった、と。これは一体どういう変化なのか? 一つの洞窟内において、攻撃的であった種族がいつか仲間と一緒に暮らしていけるようになった、というのは?
「笑い顔の万国共通性」と「笑い顔の的中率100%性」の起源
ここに、「笑い顔の万国共通性」と「笑い顔の的中率100%性」の起源を求めてみたいと思います。
トバ火山噴火後、人類は絶滅の危機に瀕し、ピナクルポイントへ集まって来たのですが、後からこの洞窟に入って来た者はすでに先にいた者に対して、どうしたでしょうか? もちろん、争うことはあったはずです。そして、何人もの人達が戦って命を落としたでしょう。しかし、結果として人類は生き残っているので、この局面における人々は なんとか この場を乗り越えたはずです。が、どうやって? 或いは、後行者が先行者達に受け入れてもらうためには? また、先行者の方からも(襲われることや無駄な争いを避けるために)後行者を受け入れることを示すには……? 「自分が攻撃する意図はないが、攻撃を受けるかもしれない相手に近づく時に敵意のないことを示す」には……? ここで、人類の挨拶の笑いの必要性・重要性がかなり高まったはずです。そして、この人類絶滅の危機の中で、また、生きるか死ぬかの一触即発の状況で、相手の表情・感情・意思を読み違えてはならなかったはずです。
人類はこの岬に数千年~1・2万年間ほどいたそうですが、その間に、攻撃的であった者達が共に暮らしていけるほどになりました(人体的にも大きな変化があった)。最初は戦闘していたとしても(食べ物や居住スペースや雌を力づくで奪ったとしても)、長続きはしなかったでしょう。その時は良くても、中長期的には、他の群れから排他され遺伝子を残すことはできなかったでしょう。この狭い世界では戦闘をしてはならなかったはずです。そして、数千年~1・2万年間という長い時間を掛けてだが、他族に対して、“警戒” ではなく、“解除” をしなければならないということを学んでいったのだと思います。
そうして、笑い顔は誰もが確実に認識できるようになったのでしょう。そして、その能力を持った人間だけがこの局面を切り抜け 生き残ることができ、アフリカを出て世界各地へ拡がって行ったのだと思います。或いは、その先で、怒りや悲しみや嫌悪等の表情は変わってよかったとしても、笑い顔だけは変えてはならなかった・変えることができなかったのだと思います。
第6章 新世界へ!
1・ドーパミン ~快楽物質~
ところで、第5章の「5・遊びの笑い」で取り上げた「学習」についてですが、これにはドーパミンという脳内の快楽物質が関わっているそうです。玉川大学脳科学研究所の坂上雅道 所長によれば、ドーパミンは――
学習しなくちゃいけないというシグナルとして私たちに快感をもたらす。
ドーパミンは そもそも食糧を確実に得るために使われているそうで、名古屋市立大学大学院理学研究科の木村幸太郎 教授によれば――
ドーパミンは体にとって栄養があるというプラスの状況になったときに快楽を感じるように使うことが一番生物にとって効率が良かった。
そして、人類がアフリカを出る直前に、ドーパミン神経細胞に関わる一つの遺伝子に変化が起きたそうで、その結果、ドーパミン放出量が多くなり、不安をあまり感じにくい性格になったと言います。東北大学の河田雅圭 教授によれば――
不安傾向が少ないと、新たな環境にチャレンジして拡がっていきやすい。それに伴って、不安傾向を感じにくい遺伝子が増えていった。
実際に、不安傾向を感じにくい遺伝子を持つ人の割合はアフリカから離れた地域ほど多くなるそうで、アフリカよりもユーラシア大陸の方が、ユーラシア大陸よりもアメリカ大陸の方が多いそうです。(同前) そして、坂上雅道 所長によれば――
ポジティブでもネガティブでも、とにかく驚き。予測できていなければ出るドーパミン細胞もある。罰でも。とにかく驚くということが重要。驚きもドーパミンの放出によるもので、しかも「快感(=学習)」に関わっているのかもしれない。そのことが、(ジェットコースターやお化け屋敷など)驚きで出るドーパミンが、新しいものを開拓する、開拓精神を生んだのかもしれない。
本稿では おかしさ・おかしみ による笑いには常に「驚き」があるとしていましたが、それはドーパミンによるものだったそうです。しかも、「予測できていなければ出るドーパミン細胞もある」そうで、N400という脳波も予期・予測に反した事象・言葉に出会った際に出るのでした。そして、「驚きで出るドーパミンが、新しいものを開拓する、開拓精神を生んだのかもしれない。」 “驚き” とドーパミン―― “快” ――を以って人類は、“新世界” へ進出していったそうです。
2・立川談志師匠の落語論
落語とは「業の肯定」である、と立川談志師匠は言っていましたが、その「業」とは「非常識」のことで、「常識」に反したものです。その「常識」は人間が社会で生きるためには必要なのだが、「大変に狭いものであって、それらのなかで暮らそうとすると、不快な部分が出てくる。」(立川談志『談志 最後の落語論』梧桐書院、2009年、p.19)
織田正吉先生も「常識」を「ある社会、ある集団の共通の認識、慣習、行動様式」とし、「この枠組みは人間の理性が生み出したもので、まっとうに社会生活をいとなみ、生きて行くには必要なものだが、同時に人間の精神を窮屈な枠の中に閉じこめ抑圧する」と書かれていましたが、「常識」とは「大変に狭い」「窮屈な枠」です。
しかし、それを破った「非常識」を肯定しているのが落語である、と談志師匠は言っていました。
3・“DADA”
西欧での最大の「非常識」は、20世紀の “ダダ” と呼ばれる反芸術運動です。ダダとは、古代ギリシャ以来の論理・合理・理性的思考の結果が第一次世界大戦であったことに激怒した当時の若者達による、文化・芸術・思想・言語すべての面における反乱です。或いは、西欧文化の超新星爆発の如きであり、言語解体の祝祭が繰り広げられていました。その「ダダの革命を発明した男」トリスタン・ツァラは――
DADAは何も意味しない
と叫んでいましたが、これは表向きのことです。ダダは一般的には否定・破壊運動として(のみ)捉えられますが、カール・リーハの以下の分析ほど正しいものはありません――
『ダダ年鑑』には、アテナの誕生についての古代の神話にちなんで、DADAは時代の硬直とテンポとを、その頭から生み出したのであり、「ダダはそれ自身において創造的行為である」と書かれている。したがって、非芸術および反芸術という観点は、DADAを首尾一貫して把握するためには不十分である。DADAはまさに諸芸術とその可能性のラジカルな解放として捉えられねばならない。
このように、“DADA” は「諸芸術とその可能性のラジカルな解放」であって、「それ自身において創造的行為」でありました。それまでの(19世紀までの)芸術のルール・決まりごと・「枠組み」・「常識」を破壊し、新たな芸術を創出した――。
ダダに限らずとも19世紀後半~20世紀前半には、いわゆる “前衛” と呼ばれる芸術の革新派が台頭し、ピカソもマティスもクレーもカンディンスキーもマレーヴィチもストラヴィンスキーもシェーンベルクもベルクもウェーベルンもアルトゥール・ルリエもニコライ・ロスラヴェッツもアレクサンダー・モソロフもルイジ・ルッソロも皆、旧い芸術を打ち壊して新しい表現を追求していました。そして、19世紀までとは違った “新世界” へ進出したのでした。それから100年が経った現代の芸術では、「なんじゃ、こりゃあ!?」が讃辞と同義となり、必要条件にさえなっています。
大平具彦先生はこう書かれています――
ツァラはまた、「あの〈退屈しない〉という唯ひとつ考えられる偉業をなしとげる体力と精神的耐久性とが自分にあったならば」、自分は詩人よりはむしろ、「活気に溢れ身ごなしも敏捷な冒険家になっていただろう」と言っていたが、そうであれば、そのクリエーターたちをあえて芸術方面だけに限定する必要はさらさらあるまい。
「前衛」という言葉は、元々は軍事用語で、敵と最前線で戦う部隊のことであり、それが「先駆者」という意味に転用され、主には芸術運動に対して使われるようになったそうですが、しかし、スポーツでもファッションでも学術でも経営でも料理でもゲームでも何でも、“開拓者” というのは常に称讃されます。或いは、ユーリ・ガガーリンは人類で初めて宇宙へ進出したことにより、人類史で永遠に讃えられるでしょう。ツァラもこのようなことを言っていたそうですが、“前衛芸術家” というのは極地探検家のようなもので、誰も見たことのない・前人未到の地へ進出する者達のことです。20世紀の前衛達の掛け声は「前進せよ!」でしたが、21世紀の芸術家達のテーマは “新世界へ!” です。
4・ロシア・フォルマリズムから
ところで、皆さんは「ロシア・フォルマリズム」というものを知っていますか? ロシア・フォルマリズムとは、20世紀前半にロシアで誕生した世界初の文学批評です。フォルマリスト達は、当時の文学批評が歴史学や哲学や文化史や心理学や政治イデオロギー等の寄せ集めでしかなく、文学に関する学ではないことを批判し、「文学批評」という、文学固有の特性に基づいた、それだけで自立・独立した学問を創ろうとしました。
その中心メンバーの一人であったヴィクトール・シクロフスキーは「手法としての芸術」という論文で、「異化(非日常化)」という概念を唱えました。彼は文豪・トルストイの日記を例に挙げ、そこでトルストイが、部屋の中を拭いた後に少し歩き回ってソファに近づくと、もうすでにソファを拭いたのかどうか思い出せず、これらの行動が習慣化して無意識的なものになっているからだとし、拭いたことを忘れてしまったのでは何もしなかったのと同じことであり、多くの人達の全生活が無意識のうちに過ごされるのなら その生活は存在しなかったのと同じである、と書いていたことを受け、こう主張します――
こうして無に帰せられながら、生活は消え去っていくのである。自動化作用は、ものを、衣服を、家具を、妻や戦争の恐怖をのみ込んでいくのである。
[…]そこで、生活の感覚を取りもどし、ものを感じるために、石を石らしくするために、芸術と呼ばれるものが存在しているのである。芸術の目的は、[…]ものを感じさせることである。また、芸術の手法(приём)は、ものを自動化の状態から引きだす異化(остранение)の手法であり、知覚をむずかしくし、長びかせる難渋な形式の手法である。
シクロフスキーによれば、「異化(非日常化)」とは、「ものを自動化の状態から引きだす」ことであり、それが「芸術の手法」であり、「知覚をむずかしくし、長びかせる難渋な形式の手法」だそうです。
ところで、自然界において「自動化」というのは非常に重要です。それが食べることが できるのかできないのかの判断に時間が掛かってしまっては、それを逃してしまうかライバルに取られてしまいます。また、それが敵かどうかの判断が遅れてしまっては襲われてしまいます。自然界では即断しなければなりません。無意識、或いは、反射のレベルに至るほどに。
現代では、毎回パンに何を塗ったらいいかを考えて家中の物を塗っていたらキリがありません。毎回 靴下を塗ったりドアノブを塗ったり冷蔵庫を塗ったりを試していてはエネルギー効率が悪すぎます。パンに塗るのはバターやマーガリンやジャム等と決め=自動化して、エネルギーの節約=効率化を図らねばなりません。
しかし、自動化(パンに塗るのはバターやマーガリンやジャム等と決めること)は、世界・思考の限定であり、「常識」という「大変に狭い」「窮屈な枠」に閉じ込めることです。本来、パンに塗るのは何だっていいはずです。〈うちぬゎけゑにょーびょ〉でも〈靊爨鸇櫼鹻齎櫺虁鬭鼷襺栾鑰瓛〉でも〈qみゃz靈靆デmど殱ー歠っXりょヌ〉でも塗ったらいいのです。(なお、これらは、ロシア未来派の詩人V・フレーブニコフ由来の僕の新造語です。) そうして、異化(非日常化)=ものを自動化の状態から引き出し、知覚を難しくして長びかせる=難渋にすること(或いは、“謎” を創ること)が “芸術” です。
「常識」という「大変に狭い」「窮屈な枠」(既存語や文法もここに含まれる)を打ち破り、“新世界を創出すること”・“新しい言葉を創ること” 、それが『笑芸』であり、“笑いの芸術” です。
おわりに
まとめ
長くなりましたが、本稿は以上です。以下に、本論のまとめをしてみます。
本稿では笑いの起源・統一理論を “警戒解除” として、すべての笑いを説明し、体系化しようとしたのでした。第1章では、笑劇で扱う おかしさ・おかしみ による笑いの説明をしました。その「1・笑うと力が抜ける」と「2・草むらのゴソゴソ」では、笑いの身体的・生物学的基盤を求め、笑いを生命活動として捉え、危険に対して “警戒” し 安全だと分かったら “解除” する、そして その際の顔・身体の弛緩が笑いであり、笑い声とは戦闘等のために蓄えたが不要になった酸素の放出でした。その “警戒” と “解除” がどの おかしさ・おかしみ による笑いにもあり、ジョークを例にして説明しました。そこでは、 “警戒” が「?」で “解除” が「あ!」として、その「?」の解消・解決(「あ!」)が笑いでした。また、その後には、この “警戒解除論” の基はラマチャンドランとブレイクスリーの「誤警報理論」であったことも書きました。
第2章では、精神生理学・脳科学等や民俗学・民族学等の領域は本稿では取り扱えないということを書いたのですが、笑いの研究の広大さを知って頂けたかと思います。
第3章では古典的な笑いの理論として、アリストテレス・ホッブス・パニョル・ベルクソン・カント・ショーペンハウアー・梅原猛・スペンサー等の理論を紹介し、どれも正しいところはあるものの それは一部であり、笑いのすべてを説明できるものではないということを書きました。しかし、カント・ショーペンハウアー・梅原猛等の理論は “実践・実作” と相性が良いため、詳細に検討しました。
第4章では笑いの分類を行い、次の第5章でそれらを一つ一つ説明していきました。嬉しさ・喜び・楽しさによる笑いや遊びの笑いは、おかしさ・おかしみ による笑い(「常識」とのズレ)とは異なるものの、生物にとっての “快” を “前提としての不快の解消” とし、これも “警戒解除” として説明することができました。そして、挨拶の笑いと笑い顔の万国共通性を説明するために人類史を7~8万年遡り、その起源・発達をトバ火山噴火後のピナクルポイントでの洞窟生活に求め、それを身に付けた人類が世界各地に拡がって行ったのだが、最後の第6章では、その “新世界進出性” と20~21世紀=現代の芸術の性格を結び付け、笑いはその性格としても手法としても芸術と同質のものであり、“新世界を創出すること” が笑いの芸術としての根拠となりました。
こうして、“警戒解除論” ですべての笑いを説明することができ、また、芸術論にまで結び付けることができました。アリストテレス以来 数多の学者が挑んでも解けなかった難問を( “プレイヤー” の意地を以って)解いたと思います。本論が世界初の笑いの統一理論となり、笑いの研究史に残ることは間違いないでしょう。そして、さすがは我らが note 様のSEO対策で、「警戒解除論」と検索すると最上位に本記事が表示されます(核危機や気象庁のホームページを押し退けて)。有り難い限りです。
今後の課題
僕は『笑芸』なる「笑いの文学」というジャンルを創りたいと思っているのですが――それは詩でも小説でも随筆でもノンフィクションでも童話でもない――、文芸の世界には「批評が無いジャンルは廃れる」という言葉があるように、僕も「笑いの文学」における “批評” を創りたいです。しかし、この「批評」は簡単な問いに直すことができ、それは「良い笑い・良いギャグ・良い作品とは何か?」です。これに尽きます。ここまでに使った例で言うと、焼きたてのパンに塗るのは何が一番面白いか? となり、以下に挙げます――
・靴下
・靴
・足
・眉毛
・脳
・恋人
・地蔵
・国防長官
・象
・ドイツ
・ブルキナファソ
・溶岩
・モノリス
・アメンホテプ
・ヴィシュヌ神
・土星
・ベガ
・ブラックホール
・うちぬゎけゑにょーびょ
・靊爨鸇櫼鹻齎櫺虁鬭鼷襺栾鑰瓛
・qみゃz靈靆デmど殱ー歠っXりょヌ
色々と “大喜利” をしてきましたが、この中で(なくとも)どれが一番面白いのか? また、それは何故か? となるのですが、この答え・答え方は本論で示しているはずです(生物学的にも)。そして、これが今後の「笑いの文学」における “批評” の基盤・根拠になります。
おわりに
「はじめに」で述べた通り、本論は僕の「笑芸宣言2019」を元に書いたのですが、実はそれは2021年に一度かなり書き直しています。そして、今回はそれをさらに書き直したものです。説明の順序を変えたり無かった説明を加えたりと大幅に加筆・修正した結果、“笑いの理論” は学術的にほぼ完成したと思います。そして、先に、「アリストテレス以来 数多の学者が挑んでも解けなかった難問を( “プレイヤー” の意地を以って)解いたと思います。本論が世界初の笑いの統一理論となり、笑いの研究史に残ることは間違いないでしょう。」と豪語したのですが、実のところ、僕の理論が正しいかどうかは分かりません。だって、ぜんぶ勘で言ってるだけだから……
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