(掌編)-蒼夢『夢書簡』
(1453文字)
私には、先生とお呼びして、ずっとお慕いしていた方がおりました。先生とはお会いしたことはありません。ただ、何かの縁でお知り合いになり、手紙を交わすようになりました。
先生は文学を語られ、私はその世界に身を投じ、うっとりと日々を過ごすのです。
ポストを開け、先生から届いた手紙をそこに見つけたとき、私の目は一瞬潤みそうになり、大切に胸に抱いて、履き物を脱ぐのももどかしく部屋へ上がります。封を開けるとき、持っていた荷物をその場に落とし、卵が割れていても気にもとめないぐらいの胸の高鳴りが、鋏を持つ手の邪魔をするのです。
私の先生への思慕は、じりじりと蝉の鳴き声のように日に日に募り、畳に横坐りになっては、裾からのぞく白い靴下を幾度となく引っ張っておりました。
白粉を叩いては手が止まり、紅を引いてはため息をつき、風呂に入っては、いつの間にか湯が冷めておりました。
先生は私に書き方の基礎を一から教えてくださり、何度も世に出してみなさいと背中を押してくださいました。なのに筆は進まず、私は手紙を書くときだけ頬が生き返ったように薄ら色づき、あとは惚けたように、日々をやり過ごしておりました。
月日が経ち、先生もまた、時折、胸の内を明かされるようになりました。日々の煩わしさや、周囲に理解されないもどかしさなども、手紙にしたためられるようになったのです。
私にとってはそれさえも、文学へと昇華しようとなさるお姿に思え、ますます心を奪われておりました。
「お互い、しばらくは創作に専念しましょう」
先生からそんな手紙が届いたのは、それからほどなくしてのことでした。私はその一文を、何度も読み返しました。
心がすっかり空虚になり、作品を書くこともできず、ご飯を食べても味がしないあるひと夏が過ぎた頃、湿度を帯び、ずしりと重く感じていた手紙の束が、ほんの少し乾いて、私の手のひらにありました。
涼しい風が頬を撫でる頃、先生との日々を無駄にはしてはいけないと、私はせっせと公募に応募するようになりました。初めて作品が冊子に掲載されたときには、これで先生にお知らせができると、小躍りいたしました。
掲載の翌日、ポストに分厚い包みが入っておりました。
中には書物が入っており、私は目を見開いたまま、しばらく息をすることを忘れました。
私と先生が交わした手紙が書簡小説になっていたのです。
どうこの事実を受け止めてよいものか分からぬまま、夜も更ける頃まで一心に読み耽りました。
最後のページに、小さなメモが挟んでありました。
「主人はこの夏、あちらの世界に旅立ちました。これは、あなたへの主人の気持ちです。」
私はその場で倒れ込み、先生の肌を探すように何度も畳を撫でました。
次から次へと溢れ出る涙は静かに広がっていき、手紙は全て溶け、私の体に取り込まれました。
頬が冷えて現実に引き戻されるように、薄暗い部屋の中、私はゆっくりと起き上がりました。
何度も撫でた畳は一枚もありませんでした。
白いテーブルの上には、文豪たちの書物が幾冊も積まれておりました。
一冊を手に取ると、「享年」という二文字だけが浮かび上がりました。
***
この作品は創作です。
***
坂本猫馬さまの記事がきっかけで、物語が浮かびました。創作のきっかけをくださり、心より感謝申し上げます。
これからも心に響く記事を楽しみにしています。
いつも私の心を刺激してくださる皆さまにも、ありがとうございます。
***
いいなと思ったら応援しよう!
応援していただけると、とっても嬉しいです。いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます。