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【連載小説】「私」を再起動(リブート)!〜ママの学び直しコミュニティ〜13:女王・一ノ瀬エリカの襲来。

「市役所の壁」にぶつかってから一週間。
私たち「Project U」は、活動の場所を公民館から、駅前にあるカフェの二階のレンタルスペースへと移していた。

一時間千円の部屋代は、杏奈(あんな)さんの提案で集め始めた「一回五百円の参加費」から捻出している。
自分たちのお金で借りた、自分たちだけの空間。
公民館のような冷たい長机ではなく、温かみのある木のテーブルを囲むメンバーたちの顔には、「自分たちでこの場所を守っている」という誇らしい笑顔が浮かんでいた。

今日の参加者は十名。
佳代(かよ)さんが作ってくれた単語カードを使って、みんなで和気あいあいと英語のニュース記事を読み解いていた、その時だった。

カツン、カツン。

階段を上がってくる、やけに響くヒールの音。
そして、遠慮のない手つきで、部屋のドアがバタンと開かれた。

「へえー、ここが噂の『秘密の特訓部屋』ね」

甘い香水と、最新のブランドバッグ。完璧に巻かれた髪。
ドアの枠に寄りかかるようにして立っていたのは、公園の「キラキラママ」の頂点に君臨する、一ノ瀬エリカさんだった。

「エリカさん……!」

私が驚いて立ち上がると、エリカさんは部屋の中をぐるりと見渡し、フッと鼻で笑った。

「インスタ、見たよ。最近ずいぶん熱心みたいじゃない。なんか宗教でも始めたのかと思って、心配でちょっと見学に来ちゃった」

悪気のない、でも確実に見下したようなその言葉に、部屋の空気が一瞬で凍りついた。
元ベンチャー気質の杏奈さんが、眉を吊り上げて立ち上がろうとする。私は慌てて手で制し、エリカさんに向き直った。

「わざわざありがとう。でも、ここは参加費を払って真剣に学ぶ場所だから、冷やかしなら……」

「五百円でしょ? 払う払う。ほら」

エリカさんは、ブランド物の財布からワンコインを取り出すと、テーブルの上にポンと投げ出した。
そして、勝手に空いていたパイプ椅子を引き寄せ、足を組んで座った。

「で? 何やってるの? 英語? ……ふふっ、なんだか高校の補習授業みたい」

エリカさんの視線が、佳代さんの手元に止まった。
杉ノ森市で「完璧な主婦」として知られていた佳代さんが、百円ショップのペンで、必死に単語のフリガナを書き込んでいる。

「あれ、佐藤佳代さんじゃないですか。PTAの副会長までやってるのに、こんなところで英語のやり直し? パートでも始めるんですか?」

「っ……」

佳代さんが、恥ずかしそうに手元のノートを隠した。

その姿を見て、私は胸の奥で、静かに、けれど激しい炎が燃え上がるのを感じた。
以前の私なら、エリカさんのこの「空気の読めなさ」と「無自覚な暴力」に圧倒され、引きつった笑いを浮かべてやり過ごしていただろう。

でも、今の私は違う。
私は、自分の後ろにいる大切な仲間たちを、そしてこの「Project U」という居場所を、絶対に守らなければならない。

「エリカさん」

私は、低く、はっきりとした声で呼んだ。

「見学は自由だけど、他人の学びを笑う権利は、あなたにはないわ」

私のまっすぐな視線に、エリカさんは少しだけ驚いたように目を瞬かせた。でも、すぐにいつもの余裕の笑みを貼り付けた。

「笑ってなんかないよ。ただ、本気で不思議なだけ。ねえ、凛さん。こんなことして、一体何になるの?」

エリカさんは、組んだ足を組み直しながら、部屋の全員に聞こえるような声で言った。

「私たちが今さら英語のニュース読んだからって、外資系企業に就職できるわけじゃないでしょ? なれるのは、せいぜい『ちょっと英語がわかる主婦』くらい。五百円払って、貴重な時間使って、そんな自己満足みたいなことして、何が楽しいの?」

自己満足。
その言葉が、部屋の中に重く響いた。
美香(みか)さんがうつむき、他のママたちも不安そうに視線を泳がせる。

エリカさんは、自分のブランドバッグを愛おしそうに撫でた。

「女の幸せって、もっと別にあると思うんだよね。旦那さんに愛されて、綺麗な服を着て、美味しいランチを食べる。私たちはその『特権』を持ってるのに、どうしてわざわざ苦労して、男の人みたいに学ぼうとするの? 目的のない努力なんて、ただのヒマつぶしでしょ?」

エリカさんの言う「幸せ」の定義。
それは、明治時代に津田梅子が戦った「良妻賢母」という価値観の、現代版のアップデートにすぎない。

『女は、誰かに養われ、綺麗に飾られていればそれでいい』。

私は、ゆっくりと息を吸い込んだ。 頭の中に、古い革表紙の「梅子ノート」のページが、鮮やかに広がる。

「エリカさん。そのバッグ、先月の新作だよね。すごく似合ってる」

私がふいにバッグを褒めると、エリカさんは得意げに「でしょ? 夫に買ってもらったの」と笑った。

「でもね」

私は、一歩だけ、エリカさんの方へ踏み出した。

「来年になったら、そのバッグは『型落ち』になる。五年後には、きっとクローゼットの奥にしまわれている。……もし、旦那さんの収入がなくなったら? もし、その綺麗な服やバッグを買えなくなったら。その時、あなたの中には、一体何が残るの?」

「……は?」

エリカさんの笑顔が、ピクリと引きつった。

「津田梅子が、百二十年前に教え子たちに贈った言葉があるの」

私は、うつむいていた佳代さん、美香さん、そして部屋にいる全員の顔を見渡しながら、ゆっくりと、かみしめるように口にした。

目的のない装飾(そうしょく)は虚飾(きょしょく)です。学びこそが、朽(く)ちない装飾です

「朽ちない、装飾……」

エリカさんが、呆然とその言葉を反芻(はんすう)した。

「そう。高いバッグも、若さも、夫のステータスも、いつかは朽ちてなくなるもの。誰かから与えられた『外側の飾り』に依存している限り、私たちは一生、それを失う恐怖に怯えなきゃいけない」

私は、エリカさんの目をまっすぐに見据えた。
もう、逃げない。

「でも、『学び』は違う。私たちがここで七転八倒しながら身につけた知識や、自分の頭で考える力、そして『私は私だ』という誇りは、誰にも奪えない。絶対に朽ちることのない、私たち自身の内側の美しさになるんだよ」

部屋の中が、水を打ったように静まり返った。

「私たちは、翻訳家になりたいわけじゃない。誰かを見返すためでもない。ただ、誰の付属物でもない『自分自身』を飾るために、ここで学んでいるの。……それは、あなたみたいに外側を飾ることより、ずっと本質的で、贅沢(ぜいたく)な時間の使い方だと思わない?」

私の言葉が終わっても、しばらくの間、誰も口を開かなかった。

エリカさんは、ポカンと口を開けたまま、私を見つめていた。
いつも自信に満ち溢れていた彼女の瞳の奥が、わずかに揺らぐのを、私は見逃さなかった。
彼女の強固な「特権階級の鎧」に、たった一本、ヒビが入った瞬間だった。

「……っ、意味わかんない」

エリカさんは、バッと立ち上がると、パイプ椅子を乱暴に押し退けた。
テーブルの上の五百円玉は、そのまま放置されている。

「朽ちない装飾だか何だか知らないけど、そんなの、ただの負け惜しみじゃない。せいぜい、お勉強頑張ってね!」

強がったその声は、いつもの女王様のような響きを失い、どこか上ずっていた。
エリカさんは、ひったくるようにブランドバッグを抱えると、逃げるように部屋を出て行った。
バタン!とドアが閉まる音が、階段の下へと消えていく。

静寂。

そして。

「……凛さんっ!」

最初に声を上げたのは、佳代さんだった。
彼女の目には、大粒の涙が浮かんでいた。

「すごいです、凛さん。私、今まであの人に会うたびに、自分が惨めで仕方なかった。でも、今の凛さんの言葉を聞いて……私、ここで学んでいる自分が、初めて誇らしいって思えました」

「私もです!」と、美香さんが立ち上がって拍手をした。

「朽ちない装飾。……これからは、安い服を着てたって、堂々と胸を張って歩けます!」

杏奈さんも、ふうっと安堵の息を吐きながら、ニヤリと笑った。

「やりましたね、凛さん。あの『杉ノ森の女王』を、見事に論破するなんて。最高のリーダーですよ」

部屋の中に、割れんばかりの拍手と、歓声が響き渡った。

私は、熱くなった目頭を押さえながら、みんなに向かって深くお辞儀をした。

「ううん、私一人の力じゃないよ。みんながここにいてくれたから、言えたんだ」

テーブルの上に残された、エリカさんの五百円玉。
私はそれをそっと手に取った。

エリカさんは、完全に悪人というわけじゃない。
彼女もまた、この社会が女性にかけた「愛され、飾られることが幸せ」という呪いに縛られている、一人の孤独なママなのだ。
彼女の余裕のない去り際が、その証拠だった。

いつか、彼女にもこの「朽ちない装飾」の意味が届く日が来るだろうか。

「さあ、邪魔が入っちゃったけど、続きをやろうか!」

私がパンッと手を叩くと、みんなが「はい!」と力強く応えた。

女王の襲来は、皮肉なことに、私たち「Project U」の絆を、かつてないほど強固な鋼(はがね)に変えてくれたのだった。

(第14話:名前で呼び合うということ。 へ続く)


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