【連載小説】「私」を再起動(リブート)!〜ママの学び直しコミュニティ〜10:1円の重み。
「はい、今日の記事はここまで! みなさん、お疲れ様でした!」
私が声をかけると、公民館の会議室に「ふうーっ」という心地よい安堵のため息と、パラパラとした拍手が響いた。
杏奈(あんな)さんが「Project U」のSNSを立ち上げてから、約一ヶ月。
彼女の宣言通り、杉ノ森市周辺の「モヤモヤを抱えたママたち」が次々と検索からたどり着き、今日の参加者はなんと八人にまで増えていた。
長机をくっつけて、パイプ椅子を並べる。古ぼけた会議室は、すっかり熱気でムンムンしていた。
「あー、頭使った! 今日のお昼は絶対甘いもの食べよ」
「わかる。私、さっきから頭の中でずっとチョコケーキが回ってる」
ママたちが笑い合いながら、ノートやペンを片付け始める。
その和やかな空気を、パンッ!という鋭い拍手が切り裂いた。
「みなさん、ちょっと待ってください。帰る前に、すごく大事な話をします」
部屋の隅でノートパソコンを打っていたIT担当の杏奈さんが、スッと立ち上がった。
その真剣な表情に、部屋の空気がピリッと引き締まる。
「『Project U』、おかげさまで大盛況です。でも、このままだと来月には破綻(はたん)します」
「は、破綻!?」
私が驚いて声を上げると、杏奈さんはホワイトボードの前に立ち、キュッキュッとマーカーで数字を書き始めた。
「はい。ズバリ、お金の問題です。公民館の部屋代が、一回三百円。月に四回で千二百円。それに加えて、毎週この人数のプリント代。……凛さん、これ、今まで全部凛さんの自腹ですよね?」
全員の視線が、一斉に私に集まった。
「あ、ええと……うん。でも、大した金額じゃないし……」
私が口ごもると、杏奈さんはため息をついた。
「チリも積もれば山となります。それに、凛さんが事前準備に使っている時間も『タダ』じゃありません。私は、来週から参加費として、一回五百円の会費を徴収するべきだと提案します」
五百円。
その言葉が出た瞬間、会議室の空気が、サッと冷えたような気がした。
一番に難色を示したのは、PTA副会長の経験がある佳代(かよ)さんだった。
「あ、杏奈さん。おっしゃることはすごくよくわかるの。でも……ママ友同士で『お金を取る』っていうのは、ちょっと……」
「そうです」と、他のママも不安げに同調した。
「五百円とはいえ、お金が絡むと、後でトラブルになったり『あそこ、怪しいビジネスやってるんじゃない?』って噂されたりしないかなって……」
元看護師の美香(みか)さんも、申し訳なさそうに手を挙げた。
「私たちがプロの先生から教わるなら払いますけど、みんなで一緒に勉強してるだけなのに、お金を取るなんて、なんだかおこがましい気がして……」
その反応は、痛いほどよくわかった。
私も、杏奈さんに言われるまで「お金をもらう」なんて考えたこともなかったからだ。
私たち主婦は、毎日「時給0円」で働くことに慣れきっている。
家事も、育児も、地域の手伝いも、すべて「無償の愛」や「ボランティア」でやるのが美しいと刷り込まれている。だから、自分の行動に「値段」をつけることに、強烈な罪悪感とメンタルブロックがあるのだ。
でも、その結果がどうだ。
先週のランチ会で、エリカさんに笑われた言葉が、耳の奥に蘇る。
『一円にもならないんでしょ? ボランティアっていうか、趣味みたいなものだよね?』
お金にならないから、遊びだと言われる。
お金を稼いでいないから、夫から「養ってやってる」と見下される。
私たちが「お金をもらうなんておこがましい」と遠慮している限り、私たちは一生、社会から「都合のいい無料の労働力」として扱われ続けるんじゃないだろうか。
私は、ゆっくりと立ち上がった。
「佳代さん、美香さん。みんなが不安に思う気持ち、すごくよくわかります。私も、お金をもらうなんて嫌われたくないって思ってました」
私は、みんなの顔を一人ずつ見渡した。
「でも、聞いてください。津田梅子さんが『女子英学塾』を立ち上げた時、彼女が一番苦労したのは、英語の教え方じゃありませんでした。……資金繰りです」
「資金、ですか?」 佳代さんが目を瞬かせる。
「はい。梅子さんは、自分の理想の学校を作るために、有力者に頭を下げて寄付を募り、生徒たちからもきっちり『授業料』を取りました。当時、女の子の教育にお金を払うなんて考えられない時代だったのに、です」
私は、「梅子ノート」の一番奥底に記されていた、強烈な言葉を思い出した。
「どうして梅子さんが、無償のボランティアにしなかったかわかりますか? もしタダにすれば、もっとたくさんの生徒が集まったはずです。でも、彼女はあえてお金を取った」
会議室は、しんと静まり返っていた。
「それは、女性たちに『自分の価値』を知ってほしかったからです。梅子さんは、教え子たちにこう言っています」
私は、一呼吸置いて、その言葉をはっきりと口にした。
『自立とは、自らの価値に正当な対価を求めることです』
「正当な、対価……」 美香さんが、その言葉をなぞるようにつぶやいた。
「はい。もし私たちが『素人だから』『ママ友だから』と、いつまでも0円で活動し続ければ、それは『私たちの時間には一円の価値もありません』と、自分自身を低く見積もっているのと同じです」
私は、自分の胸に手を当てた。
「私たちは今、自分の人生を再起動するために、貴重な時間を使ってここで学んでいます。五百円を払うということは、誰かに奪われるということじゃありません。自分のためのこの一時間に、『ワンコインの価値がある』と、自分で自分を認めてあげることなんです」
私の言葉に、佳代さんがハッとしたように顔を上げた。
いつも「主婦は知らなくていい」と夫に価値を否定され続けてきた彼女の目に、強い光が宿る。
「……凛さんの言う通りかもしれない」
佳代さんは、静かに、けれど力強くうなずいた。
「私、家計簿をつける時、自分のための出費はいつも削ってました。化粧水も一番安いものにして、カフェラテも我慢して……自分が『お金をかけてもらう価値のない人間』みたいで、ずっと惨めだった」 佳代さんは、バッグの中からお財布を取り出した。
「私は、自分の人生に、ちゃんと価値をつけたい。だから、喜んで払います。五百円でも、千円でも」
その言葉に背中を押されるように、美香さんも「私もです!」と声を上げた。
「0円だから甘えてたんじゃ、いつまでたっても『おままごと』ですよね。ちゃんと対価を払って、本気でやりたいです」
他のママたちも、次々と「そうだよね」「自分への投資だと思えば、全然安いよ」と、明るい顔でうなずき始めた。
その様子を見ていた杏奈さんが、ふふっと得意げに笑った。
「よかったです。これでやっと、『Project U』はただの仲良しサークルから、自立した組織へとレベルアップできますね。じゃあ、来週から可愛い集金箱、用意しておきますから!」
会議室に、再びドッと明るい笑い声が弾けた。
たかが五百円。されど五百円。
それは、私たちが「時給0円の呪い」から抜け出し、社会に対して自分の足で立つための、重くて、尊い「一円の積み重ね」の始まりだった。
その夜、寝かしつけを終えた後、私は杏奈さんから送られてきたオンライン会議(Zoom)のURLをクリックした。
お金という現実的な壁を越えた私たちは、いよいよ次なるステップに向けて、深夜の作戦会議を始めるのだ。
(第11話:深夜のオンライン会議。 へ続く)
