終末夜話 13
第3章 ~真実
食事を取りながら貴仁が静かに言った。
「陸、ごはんを食べたら
話したいことがある。
由紀子、君も
居たほうがいい。」
陸が中等部に通い出すタイミングで、きっと本当のことを躊躇なく伝えるだろうと由紀子は思っていた。
「はい。」
返事をすると、静かに食事を続けた。
いつもそうだ。
ぼくの意思は何一つ反映されたりしない。お父さんが言ったことがこの家では絶対でお母さんはそれに逆らったり、口ごたえしたりしないんだ。
だって、対等じゃないから。
お母さんはお父さんの。
お母さんはお父さんの、奥さんじゃないから。オカネで雇われた女の人だから。
そしてぼくはそんなお父さんとお母さんのこどもだから。
「考える時間を頂戴できませんか。」
貴之は
「わかった。」と言い
「私の仕立てと同時に、
……良い、返事を期待している。」
この前生地を決め採寸した貴之のコートの仕上がり予定日が返事をする日時になった。おそらくこのためにふたりで新調したのだろう。
由紀子はろくに口も利けないまま、部屋を出て行く貴之の後ろ姿を見送った。
まだ部屋の中には貴仁がいる。
気が抜けない。
荷物をまとめ「失礼致します。」と頭を下げて部屋を出て行こうとした時、貴仁に呼び止められた。
他人の顔を札束でひっぱたくような人道無視も甚だしい頼み事だ。呼び止められても断るのが人間としての、女としての尊厳だと思う。けれど人間はどうしても甘い方、甘い方へと流される生き物でもある。「おいしいよ。たべてごらんよ。」と林檎をそそのかされたアダムとイヴのように。
テーラーに戻った由紀子はもうなにもかも投げ出したい気持ちでチーフに
「少し具合が悪いので申し訳ないのだけど早退させて欲しい。」と言い、返事も聞かないうちに帰り支度をして帰路についた。帰りのバスの中で考えたが答えは出ない。翌朝になっても答えは出ない。
仕事を3日休んだ。
そろそろ貴之のコートに取りかからねば約束の日時に間に合わない。
4日目の夕方、電話をかけた。
インフルエンザにかかったと嘘を付き、貴之のコートを家で仕上げるとチーフに伝え、他の職人が帰った頃作りかけのコートを取りにテーラーへ赴いた。
チーフに頭を下げて荷物を持ちアパートに帰るとひたすら手を動かし、なめらかなウール地をコートに仕立てていった。
仕立てながら心が静かになるのを待ち、考え続け一週間経った頃、自分の住むアパートから直接「楠家」に向かった。
覚悟は出来ていた。
今日が、テーラーの最後の仕事だ。
自分はもう、もとには戻らない。
いつも通り外門のインターホンを鳴らす。「お約束より少し早いのですが、仕上がりましたコートをお持ちしましたとお伝え願います。」中にいる家政婦さんが、外門のカギを開けてくれた。
アプローチを歩き玄関に行くと貴之がドアを開け待っていた。
「入りなさい。」
仕上がったコートを渡し「いえ、ここで。」と答えた。
「お話、お受け致します。」
そう言った。
「本当かね?」
「はい、こちらにも条件がありますが。」
「聞こう。」
玄関の中で家政婦が出ようか出まいか迷い、うろうろしていたので貴之は由紀子の持ってきたコートを家政婦に渡し
「すぐに貴仁に連絡をとりなさい。家に戻るようにと。」
由紀子にあとについてくるように目配せをして廊下を先になり歩いていく。
この前の居間ではなく、おそらく貴之の書斎と思われる部屋に通された。
黒い本革の大きなソファーに深々と腰掛け由紀子に「座りなさい。」と命令した。
「あんたの条件とやらを聞こう。」
すべての子供の認知。
その将来の保証。
人員の補助。
生活すべての金銭的援助。
この家には "その時" がくるまで子供を連れて来ない。
貴仁には父親としての生活を望む。
子供が「楠」姓になり仕事を覚えるようにになったら、関わりを断つ。
そして最後に
人工受精は断る。と伝えた。
「ほう。」
最初の7つの提案はよくわかる。
でも最後のひとつは。
「貴仁さんをどうこうしようと言うのではありません。」
「どうしたい。」
「そちらの家族はそちらの家族で大事にして差し上げてください。
でも、生まれた子供を奥様の子供と同じように可愛がって欲しいのです。
人工受精は仕組まれたもの。
それでは、すでにそちらのお子さまたちと立ち位置が違い過ぎます。」
貴之は大きな体を揺らしながら声をあげて笑いだした。
「おもしろい!
その条件をすべて呑もうじゃないか。」
世の中は金だ。
金を持っている人間だけが自分の人生を思い通りに動かすことが出来る。
コツコツと働いて、小さな家を建て家族で笑ったり泣いたりしながら一生を終えるなんてまっぴらだ。
由紀子はこの提案をチャンスとは思わない。またなにかあった時下へ下へと落ちるだけなのだから、期待などしない。
少し、楽がしたいだけだ。
そう、少しだけ。
食事が終わり、由紀子はいつもどうり片付けを終えるとすでにダイニングでお茶を飲んでいる貴仁の前に、陸とふたり並んで座った。
緊張した顔を見て気の毒に思い、陸の右手を取り握ってやると、陸もことのほか強く由紀子の左手を握り返してきた。
あと三年あまり。
きっと高等部に入る頃には会社関係者に陸の名前が知れ渡り家裁で姓名変更の手続きを取れば陸は「半井陸」から「楠陸」に変わるのだ。その時にはもう自分の子供ではないと突き放してやらなければ。
陸は何よりもかわいい。
自分で生んだ子どもだからとか
自分で育てた子どもだからとか
そんな簡単な理由ではなくて、陸という存在すべてを愛しいと思える。
それは由紀子の
たったひとつの真実だ。
終末夜話 13
つづく
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