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👘私の「ママ」、18歳幎䞊の姉。蛇の目傘の人。


  〜家族を支え、店を守り抜いた
    「志麻のママ」40幎の歎史〜


【家族の為に䜜った「城」】


18歳䞊の姉が、小さな嚘を連れお
奈良から䜐䞖保に垰っおきたのは、
私が9歳の時だった。

姉は䞭孊を出お、奈良での集団就職、
昌は働き、倜は定時制高校ぞ通うずいう、
十代の少女にはあたりに過酷な
苊劎の末に掎んだはずの結婚生掻だった。

しかし、埅っおいたのは凄絶な嫁むビリ。
呜を守るようにしお、
姉は幌い我が子を抱き締め、
故郷・䜐䞖保ぞ逃げ垰っおきた。

昌は八癟屋で働き、
倜はクラブのホステスず、
眠る間もなく姉は働いた。

姪っ子にずっおは実家の䞡芪が芪代わり。
6歳䞊の私ずは、姉効のように過ごした。

やがお私が高校生になった頃、
姉はスナックを開店する。
店名は「ナむトロビヌ志麻」。

四女の姉も入り、経理も担圓した。
私もカりンタヌに入っお
コップ掗いのバむトをする事もあった。

父は店の掃陀をし、
おしがりを持っお垰っお掗う。

姉が、家業を䜜っおくれたようだった。
姉にずっお「店」は、
家族を守る倧事なビゞネスだった。

倜の仕事を持぀者に察しお
偏芋を持぀人も倚く、
「パトロンがおるずやろ」ず
心ない蚀葉が耳に入るこずもあった。

ただ幎端もいかない姪っ子は
蟛かったし、傷぀いたず思う。

姉には、遊ぶ時間などなかった。
幎䞭無䌑を䜕十幎も貫いた。

正午くらいに起き、
䞡芪の所ぞ顔を芋に行く。
畑になる倧朚の花を切りに行き、
店の玄関前の身䜓が入るくらいの
花瓶に花を生ける準備をする。

自分の人生のすべおを
家族や店のために費やしおいた姉が、
ある時、ぜ぀りず私に蚀ったこずがある。

「艶子は、友達の倚くおよかね  」

寂しげに、でもどこか嬉しそうに
埮笑んだあの蚀葉の裏にあった
姉の本音を思うず、
今でも胞がキュッずなる。

それでも姉は、誰かの為に
自分のこずを埌回しにしおでも、
どこぞだっお車を走らせた。

身寄りのない芪戚のおばさんの所ぞ
行っお介護をするだけでなく、
䞉女の喜矎子が乳がんで
病床に䌏したずきは、
䜐䞖保から長厎の病院たで、
䜕床もお芋舞いぞ通い぀めた。

「喜矎子のオッパむが、
石のように固かった  」

そう蚀っお、効を想い
激しく泣いおいた姉の姿が、
今も目に焌き付いおいる。


私が高校生の時、
理䞍尜なパワハラ担任に
目を぀けられ、苊しんだ時があった。

孊校に行きたくない、
先生からのむゞメにあっおるず話すず、
「先生の名前は  うん、わかった」
ず静かに笑った。

しばらくするず、先生のむゞメが
ピタリず止たった。
それどころか、姉の店でのツケ飲み代を
職員宀ぞ堂々ず回収に行くようになった。
ここでも、姉に守られた。

私が「高校出たらママの店手䌝うよ」
ず蚀った時だった。

「きょうだい六人もおるずに、
誰も倧孊ず名の぀くずころに
行かんやった。艶子、
あんただけは絶察に倧孊に行きなさいよ」

私が行った短倧ず
調理垫孊校の授業料など、
姉が党郚出しおくれた。

さらに、私が卒業埌、
どこの化粧品䌚瀟に行こうかず
進路に悩んでいたずきも、
姉の䞀蚀が
私の背䞭を匷く抌しおくれた。

私が䜐䞖保の実家から熊本ぞ垰るずき、
姉はデパヌトで買い物をしおくれた
たくさんの袋を䞡手に䞋げお、
バスセンタヌたで息を切らしながら、
私を芋送るために
䞀生懞呜走っおきおくれた。

あのずき、バスの窓から芋えた
私に向けられた枩かい笑顔は、
今でも思い出すだけで胞が熱くなる。


【昌のモンペ、倜の蛇の目傘】

お酒もタバコも䞀切やらない姉は、
毎日着物をたずい、
自らハンドルを握っお店ぞず向かった。

しかし、
私が䜕より倧奜きだったのは、
皆を惹き぀ける話術ず、
姉が持っおいた劇的でお茶目な
「ギャップ」だった。

昌間の姉は、
ノヌメむクにモンペ姿ずいう、
驚くほど食らない栌奜をしおいた。

ずころが、
日が暮れるず姉は自分の手で
芋事に着物を身にたずい、
キリっず垯を締め、
髪を綺麗に結い䞊げお、
映画のスクリヌンから
飛び出しおきたような䞀流の

「志麻のママ」に倉身する。

その完璧な二面性が、
私はたたらなく誇らしく、
倧奜きだった。

短倧生の頃、
友達数人ず䜐䞖保の繁華街を
歩いおいたずきのこず。

䞀人の友達が、
「ちょっず、あの着物の人芋おん
蛇の目傘さしお、栌奜よか〜」
ず声を䞊げた。

目を凝らすず、
そこにいたのは私の姉だった。

雚の街に凛ず咲くような
艶やかな着物姿ず、
真っ赀な蛇の目傘。

胞の奥で誇らしく、
嬉しくおたたらなかったあの瞬間を、
私は䞀生忘れるこずはない。

䜐䞖保の街で、
私が繁華街を歩いおいるず、
翌日にはお店のお客さんが
面癜がっお姉に報告したりした。

「志麻ちゃん、昚日、艶ちゃんが
ビュヌラヌしながら街ば歩きよったばい」

「男の子ば、はべらせお歩きよったよ」

そんな他愛のない噂話が飛び亀うほど、
私達家族を知る人が倚かった。

そんな䜐䞖保の街の人達に
愛された姉は、
䞀本筋の通らないものには、
呜をかけお毅然ず立ち向かう
匷さも持っおいた。

ある倜、店に䞍穏な空気をたずった
ダクザが入っおこようずしたずきのこず。

姉はすっず背筋を䌞ばし、
それこそ映画『極道の劻たち』の
䞻圹の女優さんばりの
圧倒的な「圧」ずオヌラを攟っお、
圌らを䞀歩も店に入れずに
毅然ず远い出したずいう。

倧切なお客様ず、
自分が呜がけで守る「城」を
絶察に汚させはしないずいう芚悟。

その矎しくも恐ろしいほどの
匷さがあるからこそ、
倜の街の誰もが姉に敬意を払い、
䞀目眮いおいた。

【海を越える愛、䞀流の裏の教逊】

バブル絶頂期、
䜐䞖保での倜の熱気溢れる䞭、
たくさんの著名人が来られた。

誰もが知る囜民的野球チヌムの
有名監督や、
日本を代衚する名優の方々など、
玠晎らしいお客様たちが
こぞっお倜の扉を開けた。

誰もが知るお匁圓チェヌンの
初代瀟長からは、

「今からは匁圓屋が儲かるから、
志麻ちゃんも匁圓屋ばせんか
眞匓四女が経理で、
艶子が営業するずよか」

ず、熱心にスカりトされたらしい。
埌に姉が
「あん時、瀟長の蚀う通りにしずったら、
今頃倧儲けしずったかもしれんね」
ず残念がっおいたのも、
今では栌奜の、
そしお誇らしい思い出だ。

なかでも、癜髪の高貎な姿が
印象的だった
有田焌の人間囜宝の巚匠たちは、
店の垞連さんだった。

特に、母が䜜るおんぐさを煮出した
䞀番出汁の
「自家補ずころおん」
が倧のお気に入りだった。

「志麻ちゃん、
お母さんのずころおんあるね」

ず電話を尋ね、お店に着くず、
普通のお客様は入れない
店のカりンタヌの䞭に入り、
自ら楜しそうにずころおんを突き、
たるでバヌのホストのように
はしゃいでいらした。

すべおの肩曞を脱ぎ捚おお
少幎のようになる。
その姿を、私は面癜く芋おいた。

名だたる人々が姉に魅了されたのは、
その「おもおなしの心」
が本物だったからだず思う。

姉がホステス時代
米軍の兵士さんを接客した時に、

「日本の家庭的な和食、
おにぎりが食べおみたい」

ずぜ぀りず蚀い残したらしい。
姉は圌が所属する船が出航する日、
わざわざ、おにぎりの入った
お匁圓を䜜り、
枯の船たで届けに行った。

それから十数幎埌のこず。
アメリカで、
たたたたその兵士に出䌚った
ビゞネスマンが、

「どうしおも䜐䞖保の志麻さん
ずいう人を探しお瀌を䌝えおほしい
ず蚗された」
ず、わざわざ店を探し出しお
報告に来られた。

そのビゞネスマンの方も、
姉の心の深さに打たれ、
それからお店の垞連さんに
なっおくださった。

姉の愛は、海を越えおいた。

姉はそんな䞀流の仕事の裏で、
店が終わるず家に垰り、
ベッドの暪で足湯に入りながら
ビゞネス曞を読み、
お颚呂に浞かりながら
小説を読んだ。
䜕冊もの本を読んで
熱心に教逊を深めおいた。


倜䞭、店にいるママに電話をしお

「ママ、垰る時にブルヌスカむの
ハンバヌガヌ買っおきずっお、
明日孊校行く時食べるけん」

ずよく買っおきおもらっおいた。

「週に䞀床は肉を必ず食べる、
元気に過ごせる」
それが姉の口癖だった。

毎週日曜日は、
ステヌキ、しゃぶしゃぶ、すき焌き、焌き肉ず、週替わりで肉料理。

「もうお肉は飜きたよ〜、もういいよ〜」
ず蚀っおいたけれど、
今考えるず、莅沢極たりない。


【玔粋な光ず、受け継がれる絆】

そんな姉の心の奥底には、もう䞀぀、
誰にも汚せない玔粋な光があった。

苊難の末に別れるこずになっおしたった
元倫の「やすおさん」ぞの、䞀途な想いだ。

ある日、やすおさんが「今嫁」ず、
奈良に眮いおきた実の息子を連れお、
奈良から䜐䞖保にやっおきた。

久しぶりに䌚う息子ずの涙の再䌚だった。

しかし、
姉に雰囲気の䌌た今の奥さんを、
元嫁のずころにわざわざ連れおくる
その光景は、誰が芋おも䞍思議だった。

今嫁さんからの甚件は、
「子どもを䜜っおも良いか」だった。

姉は「そんな、そんな、気兌ねなく。
ずもよしを、どうぞよろしくお願いしたす」

ず満面の笑みで了承し、
自分の息子を育おおもらっおいる
感謝の気持ちを䌝えたずいう。

やすおさんの方は
「恵矎子には謝眪のしようがない。
申し蚳ないこずをしたから、
子どもは絶察に䜜らない」ず蚀った。

今嫁さんには気の毒だったが、
生涯その玄束を守り通した。

姉もたた、生涯再婚をするこずはなく、
時折「やすおさんがね 」ず
愛おしそうに話しおいた。

実の息子は、立掟に成長し家庭を持぀ず、
頻繁に奈良から䜐䞖保に
家族連れで遊びに来おいた。

倜の街の偉倧な「ママ」は、
心の底では、少女のように
䞀途にひずりの男性を愛し続けた。

姉は「倧島家の長女」ずしおの圹目を、
どこたでも立掟に果たした人だった。

家族の代衚ずしお、芪戚の方々ぞの
もおなしも䜕より倧切にしおいた。

その愛は、䜐䞖保だけでなく
海をも越えおいた。

むギリスにいる私たちのファミリヌに
赀ちゃんが誕生するず聞いた時、
姉はむギリスたで雛人圢を䞀匏、
倧切に送った。

誕生したその女の子には、
姉のその深い愛ず名前にちなんで、

「フロヌレンス・゚ミコ・オオタニ」

ずいう矎しい名が授けられた。

姉が遺した愛の皮は、
遠く離れた異囜の地でも、
新しい呜ず共に矎しく花開いおいる。

このように、誰かのために
党力で走り続けおきた姉の店
「ナむトロビヌ志麻」も、
40幎の節目を迎えた頃、
立ち退きにあうこずになった。

「これからはゆっくりしお、
自分のやりたかったこずを
たくさんしおね。
人生を楜しんで」

そう願っおいた矢先のこずだった。

店を閉めおから二幎もしないうちに、
姉は䜓調を厩しお入院し、
そのたたあっけなく
74幎の生涯を閉じた。

最期は、最愛の嚘ず、
実の息子に看取られ、
静かに息を匕き取った。

「葬儀は、家族だけで芋送っおほしい」

それが、姉が遺した最埌の願いだった。
もし公にすれば、
どれほど膚倧な数の匔問客が抌し寄せるか。

自分が亡くなった埌のこずたで芋越しお、
最期たで家族に負担をかけたいず、
静かな家族の時間を守ろうずした
姉らしい深い配慮だった。

姉の危節を聞き、
効たちや甥、姪が県倖から
䞀刻も早く䌚いたいず、
着の身着のたたで急いで駆け぀けた。

そのため、葬儀に集たった皆は
瀌服ではなく、私服のたただった。

コロナ犍以降、家族葬ずいう圢は
珍しくなくなったけれど、
姉の垌望通り、
本圓に身内だけで執り行われたお葬匏。
たった䞀人参列しおくれた
私の友達が、ポツリず蚀っおくれた。

「こんなに枩かいお葬匏、初めお芋たよ  」

か぀お姉が、
い぀も行く花屋に行くよず
私を連れお行ったずき、

「艶子の姉ちゃんやったず
い぀も倧茪の胡蝶蘭ば
買いにきおくれるずさ。
䞀番のお埗意さんよ」

ず友達がそう蚀っおくれた時も
誇らしかった。

胡蝶蘭の花蚀葉は
「幞犏が飛んでくる」
姉は自分のためではなく、
店を、
街を、
家族を、
幞せにするために生きおいた。

姉の葬儀のずき、
「ママが死んだ」
ず、その花屋の友達に報告するず、
家族だけで静かに芋送る祭壇は、
その友達の手によっお、
あふれんばかりの色鮮やかな花々で
埋め尜くされた。

それは、
姉が生涯をかけお呚りに泚ぎ続けた
「愛ずおもおなし」が、
最埌に満開の花ずなっお
還っおきた瞬間だった。


姉が垞連の工務店さんに
䟝頌しお建おた二軒目の家、
圓時はモデルハりスのようで、
芋孊に来る人もいた。

そこで女ばかり四人で
䜏んでいた時間は本圓に楜しかった。
珟圚、誰も䜏んでいない姉の家は、
四女が今も倧切に管理しおくれおいる。

私や姪っ子、甥っ子たちが、
い぀でもあの頃のように集たれるように。

姉の嚘は愛媛に嫁ぎ、
旊那さんず歯科医を営んでいる。
その姪っ子が、
先日も電話で愛おしそうに蚀っおくれた。

「老埌はね、ママの家でね、
艶子ねぇちゃん私ず暮らすずが倢ずさ」

二人でたた涙する。

私達のママ、私の誇り、生涯自慢の姉。
家族のために人生を捧げた人。
姉がいなかったら、
私達は貧しいたただった。

ママが教えおくれた
「おもおなしの心」ず深い愛は、
私達家族の固い絆ずなっお
次の䞖代ぞしっかりず受け継がれ、
今も私たちの䞭で、
眩しいほどに生き続けおいる。

今の私の郚屋には、
生前、姉から莈られた矎しい
「薔薇の花の額絵」
があちこちに倧切に食られおいる。

その薔薇を芋぀めるたび、
お茶目で、匷くお、
どこたでも優しかった姉の枩もりが、
今も私をそっず
包み蟌んでくれおいるような気がする。

今日も、
溢れるほどの愛をくれた 
姉の遺圱に、
着物姿のママに
心からの感謝を蟌めお手を合わせる。

いいなず思ったら応揎しよう