BlurのB面はなぜこんなに多いのか:90年代UKシングル文化の話
私が洋楽をちゃんと聴き始めたのは00年代からで、当時はアルバムが出たらアルバムを買う、以上…みたいな感じだった。洋楽のシングルを買った記憶はないし、シングル単位で聴く感覚もあまりなかった。
YouTubeやサブスクの時代になってからは、「先行シングル」としてアルバム発売前に曲を聴くのがかなり普通になった気がする。
で、Blurに関しては完全に後追いファンなのだけど、遡っていて最初に引っかかったのは、Disc 2って何? なんで全部のアルバムにこんなに分厚い2枚目が付いているの?というところだった。
最初からこういう形だったのか、それとも後から足されたのか。そもそもこれはBlur特有の文化なのか…
先日BlurのB面まとめを作っていて改めてそこが気になったので、せっかくだから少し調べてみたら、どうやら90年代UKのシングル文化とB面の仕組みがかなり関係しているらしいので、今回はそのあたりをまとめてみる。
まず、「B面」って何
「B面」は、もともとはアナログ・シングルの裏面に入っていた曲のこと。A面には売りたい表題曲、B面にはそれ以外の曲を入れる。
CD文化になってからの日本では「カップリング曲」という呼び方のほうが馴染みがあったと思う。
今のサブスク時代だと、アルバムもシングルも配信でフラットに並ぶのでこの区別は見えにくくなっている。
でもかつてB面は「そのシングルを買わないと聴けない曲」だった。そして90年代UKでは、このB面がどんどん増殖していく。
90年代UKには「マルチフォーマット」という仕組みがあった
BlurのDisc 2がこれほどまでに巨大な理由は当時のイギリスのチャート文化にある。
当時のUKでは、シングルの初登場順位をいかに高くするかがかなり重要だった。そこで広く行われていたのが「マルチフォーマット販売」。
同じタイトルのシングルを複数の形態で発売する。たとえば、
CD 1(表題曲+B面1、B面2)
CD 2(表題曲+B面3、B面4)
7インチ(表題曲+別のB面)
といった具合。
当時のチャート・ルールでは一定数までの複数形態の合算が認められていた。ファンに「全曲聴きたければ何枚か買ってね」と促すことで売上を積み増し、チャートを押し上げることができた。かなり露骨に商業的な仕組みだけど、この「同じシングルを何枚も買わせる」構造の中で大量のB面曲が必要になった。
1枚のシングルを出すために、表題曲以外に3〜4曲、時にはそれ以上の新規曲が必要になる。
これが、Blurに膨大なDisc 2が存在する出発点だ。
というかBlurだけではなくて、Oasis、Suede、Pulp、そしてRadioheadあたりまで含めて、あの時代のUKバンドを掘っていくと「これがB面?」と思うような曲がかなりある。
つまり、まず前提として90年代UKには全体に濃いB面文化があった。
あの時代のシングル文化そのものが、質の高いB面を大量に生みやすい仕組みだったのだと思う。
バンドの苦悩と「自由な遊び場」としてのB面
Blurのギタリストのグレアム・コクソンは、この時代の制作を「休息の暇もない、疲れ果てるようなベルトコンベア」のようだったと振り返っている。シングル1枚のために何曲も新規曲が必要になり、時にはツアー中にレーベルから「急ぎでB面が必要だ」と言われて、その場でスタジオに駆け込んで録音することさえあったらしい。
ただ面白いのは、その過酷さと引き換えにB面制作がバンドにとっての「自由な遊び場」にもなっていたことだ。
大きなスタジオでプロデューサーと作るA面とは違い、B面は小さなスタジオで自分たちだけで録る。そこではレーベルの干渉から少し離れて、より実験的で、変で、自由なことができた。
BlurのB面が単なる“余り物”ではなく、今聴いても独特の魅力があるのは、この解放感があったからこそだと思う。
今から見るとかなり過酷だけど、私たちが今「Disc 2」として楽しんでいるものは、まさにその過酷な体制の副産物でもある。
USでは少し事情が違った
このあたりは、UKとUSのチャート文化の違いを見るとわかりやすい。90年代のUKではシングルそのものの売上が強く意識されていたため、B面違いの複数フォーマットを出す意味が大きかった。
一方USでは、シングル売上だけでなくラジオでの放送回数やアルバム売上の比重がより大きく、UKほどB面に新曲を大量投入する必要はなかったようだ。だからUSのシングルでは未発表曲を大量に入れるより、リミックスやライブ音源で済ませることが多かった、という傾向がある。
もちろん例外はあるけれど、UKの方がB面文化がずっと濃かった。
こういうチャートの仕組みの違いがそのまま音楽文化の違いになるのは面白いところだと思う。
「本編からこぼれた理由」が見える面白さ
その上で、BlurのB面が面白いのは「本編からこぼれた理由」がはっきり見えるからだと思う。
Blurはアルバムごとにかなり顔を変えるバンドだ。
初期はまだバンド自身の発言力がそこまで強くなく、レーベル側の判断で曲がかなり削られていたらしい。
中期以降になると、今度は逆にバンドの美学が強くなっていく。曲自体の出来が良くても、「このアルバムのコンセプトには合わない」とか、「昔のBlurっぽすぎる」という理由で、あえて本編から外される曲が出てくる。
だからBlurのB面には、単なるボツ曲ではなく「本編に入っていてもよかったのでは?」と思うような曲が普通に混ざっている。出来が悪いから落ちたのではなく、その時期のBlurが作ろうとしていたアルバムの形から少しだけはみ出した曲だったからだ。
B面を時代ごとにまとめて聴いていくと「この曲はなぜ本編に入らなかったのか」「この時期のBlurは何をみせようとしていたのか」がちょっとずつ見えてくる。Disc 2は単なるレア曲集ではなく、本編の外側から読み直すための補助線みたいなものでもある。
Blur 21での整理整頓
今、各アルバムに当然のように付いているDisc 2は、2012年の大規模な再発プロジェクト『Blur 21』でつくられたらしい。
デビュー21周年を記念して、バラバラに散らばっていたB面、デモ、レア音源が、各アルバムの「同時期の記録」として体系化された。
この整理の仕方がかなり上手くて、単なるレア曲集ではなくBlurの変化の歴史をDisc 2でアルバム本編と並行して追えるようになっている。2012年にこの膨大なアーカイブが整理し直されたからこそ、今の私たちはこれらを「本編の外側にあるもう一つのBlur」として聴くことができる。
過酷な時代の副産物は、今ではちょっとありがたい
00年代以降、音楽はデジタルへ移り、B面という概念は少しずつ消えていった。
Disc 2は、無理難題を突きつけられたバンドの副産物だったのかもしれないけど、そのおかげで今こうして本編の外側までまとめて聴けるのだから、ありがたい話でもある。
ありがとうDisc 2。ありがとうBlur 21。
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