25.12 Peace for every child
12月22日、ユニセフハウスを訪れた。日本ユニセフ協会主催の「小曽根真コンサート for ファトマとガザの子どもたち」を聴くためだ。ファトマとは、今公開されているドキュメンタリー映画「手に魂を込め歩いてみれば」に登場するフォトジャーナリストのファトマ・ハッスーナ。カンヌ国際映画祭でのこの映画の上映を前に、空爆で命を奪われた。コンサートにユニセフサポーターを先着順でご招待くださるということで、申し込み開始時刻になるとすぐに申し込んだのだが、受付番号を見ると82番。申込みが殺到したようだ。
ガザ地区のユニセフの統括者からのビデオメッセージ、ファトマさんが生前撮影した写真の投影、ファトマさん作の詩の朗読に合わせた小曽根さんの演奏などもあり、短い時間ではあったが、とても濃いコンサートだった。悲しみ、希望、祈りがともにあったように思う。
小曽根さんはジャスピアニストだが、クラシックも弾く。きっかけはなんと、ガーシュインを弾くのだと思って受けた仕事が実はモーツァルトを弾く仕事だった、という早合点なのだそうだ。それまではクラシック音楽について、何で三百年も前の音楽を自分が弾く必要があるのか、と嫌っていたそうだ。それがモーツァルトを弾くことになって勉強してみると、素晴らしい、音楽で聴く人を喜ばせようと自分たちが工夫していることをとっくにモーツァルトがやっている、恐れ入りました、となった。無知がいけない、知ることが大事、知ったら怖くなくなる、と。そんな風に楽しく、でも今日の紛争の問題にも通じるお話をしてくださった後に、
「今日来られている皆さんはとっくにご存知ですよね、釈迦に説法でごめんなさい」
そうなのだ。こうした催し、集まるのは最初からその問題に心を寄せている人が大半だ。本当にメッセージを届けたい人はなかなか来てくれない。ジェンダー多様性や女性の理工系選択支援といったテーマのイベントに多く関わってきたが、毎回届けたい人に届いていないもどかしさを感じてきた。
それでもそこに集ってくださった方がまた誰かに伝えてくれるかもしれない。ひとつくらいは新たな何かを受け取ってくれるかもしれない。小曽根さんが、Friendという曲を演奏される前に、客席の方に手を広げて、「New friendsに」とおっしゃったのは、あなたたちは思いを共有して広げてくれる仲間だよ、という意味だったのかも、と後から思い至った。
コンサートの後に見学したユニセフハウスの展示は、知らなかったことを教えてくれ、忘れていたことを思い出させてくれた。例えば今、ガザの問題に心を痛めているが、その前から起こっている紛争は世界のあちこちで未だに人々を、特に子供たちを苦しめている。例えばシリア、例えばスーダン、例えばミャンマー、例えば、例えば… いくら寄付をしても、焼石に水ではないか。ユニセフが入ったとて、すべての子供に行き渡らないかもしれない。そもそもユニセフの手がまだ届いていない子供たちもいるかもしれない。ユニセフが今日の食料を届けたとして明日は、来年は。暗澹とした気持ちになる。いつになったら子供たちが安心して暮らせるようになるのか。
それでも、と思い直す。
明日世界が滅びるとも、今日私はりんごの木を植える。
それに、明日はまだ滅びないかもしれないのだ。そして、少なくとも自分たちの手で滅ぼしてはいけないのだ。だって、この地球は、未来の子どもたちから借りているのだ。

ユニセフハウスの階段に飾られた、アメリカ先住民の言葉。
ニューヨークの本部にも掲示されているそうだ。
サンタクロース(サンタクロースはもはや特定の宗教の人だけのものではないと思う)が地球を駆け巡っている今夜、どうかすべての子どもたちに、平和と安全が届けられるようにと強く願う。
I wish you, and every child, evernal peace.
