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親の目が届かない時、子どもを守ってくれているのは誰だろう

いつからだろう。
「親の手だけでは、子どもを守れなくなってきた」と感じるようになったのは。

みなさんは、そんなふうに思ったことはありますか?


赤ちゃんの頃は抱っこしていればよかった。
幼児期はずっとそばにいて、手も目も届いていた。

でも、小学生になると……
少しずつ、一人で過ごす時間が増えていく。

通学路。放課後。友だちとの冒険。

親の目が届かない場所が、日常のあちこちに広がっている。
まだまだ小さくて、無垢な心を持った小学生。
その安全を守ることの難しさに、私は日々直面しています。


それでも、最近になってふと思うのです。
「私の目が届かないところで、子どもを守ってくれている存在がいる」と。

今日は、そんなある平日の午後に感じた
小さな奇跡と、あたたかな見守りの物語を綴らせてください。



小学生2年生の娘・きなこは、普段は放課後に学童へ通っています。
でも私が平日休みの日は、「今日は下校班で歩いて帰りたい!」と言うことがある。

近所の子たちはほとんどが学童へ通っているので、帰り道は途中から一人に。
なんだか心配で、月に数回、“お迎え散歩“に出かけるのが私のちいさな習慣になりました。

通学路を自分の足で歩きながら、
子どもたちが見ている景色を確認して、様々な危険性も想像してしまう。
急に不安になって、きなこに早く会いたくて、少し足早になることもあります。


でも、そんなふうに歩いていると、不思議なことに気づきました。
私が迎えに行く日には、たいてい決まって、地域の高齢者たちが外にいるのです。

淡々と農作業をする、寡黙なおじいさん。
にぎやかに笑いながら井戸端会議をしている、おばあさんたち。


私はすれ違いざまに、ニコッと笑って挨拶をします。
「こんな時間に若い人が歩いてるなんて珍しいね〜」なんて、声をかけてくれることも。

「今日は休みなんです。子どもが歩いて帰るって言うので、ちょっと心配で迎えに」と答えると、
「あら、そうなの〜。ご苦労様」と、あたたかな言葉が返ってくる。


歩きながら、ふと思い出す。
私が小学生だった頃のこと。

春夏秋冬、風の匂いや草の感触を感じながら、毎日友だちと歩いて帰った。
オオバコ相撲をしたり、猫じゃらしでふざけあったり、用水路に笹舟流して競走したり。

車の影を踏んじゃいけないゲーム、なんてのもあったな。

そんな日々の中に、親の姿はなかった。
友だちと自分だけの、子どもたちだけの時間。
それは、とびきり自由で、心に残る宝物のような時間でした。

だからきっと、私もその時間を邪魔しすぎてはいけないのかもしれない。
そんなことを考えながら、通学路を歩いていきます。


遠くに、小さな2〜3人組の子どもたちの姿。
手を振ってくる子がいる。

「あ、きなこたちだ」
その瞬間の安堵感。
無事に帰って来てくれた、そんな小さな奇跡に、心から感謝したくなる。


「今日ね、◯◯くんから秘密の道を教えてもらったのー!」
と、きなこは嬉しそうに話す。

“秘密の道?!通学路から外れて帰ってきたな?“と内心ムムっとしつつ、
「どんな道だったの?」と聞くと、
「ママには教えなーい」なんて言われて、ますますムムム……。

「通学路じゃない道は、何かあった時に心配だから気をつけてね」
と、親らしいことを言うと、近くにいた子どもたちみんなが口をそろえて言う。

「はいはい、何回も言われてるよ〜!すぐそこの道だから大丈夫!」
……ああ、これは完全に「口うるさいおばちゃん」認定されてしまったかもしれない。


途中からお友だちとはバイバイして、きなことふたりで帰る道。
さっきのおじいさんが農作業をしていた畑の横を通ると、
やっぱり一瞬こちらを見る。
挨拶をすると、軽く会釈してくれるだけだけど、なんだかそれだけで心強い。


井戸端会議をしていたおばあさんたちにも、また出会う。
すると、こんなふうに言ってくれた。


「あら!その子のママだったの!?
いつも朝に会うと、大きな声で挨拶してくれるのよ。

最近の小学生は、こちらから挨拶しても返さない子も多いから……
ちゃんと挨拶できて、偉い子だと思っていたのよ。
挨拶も、お母さんから遺伝するのね〜」

そして続けて、こう話してくれた。


「私たちね、毎日小学生の登下校の時間に合わせて、
こうやって集まって井戸端会議をしているの。

最近は物騒でしょう?
こんなおばあさんたちじゃ、何の力にもなれないかもしれないけど、
おばあさんがこうやっておしゃべりしている横で、
悪さしようって人はあんまり居ないでしょ?」

その言葉に、心の底から「ありがとうございます」と頭を下げた。

家に帰るまでの道。
私はきなこに、ゆっくりと語りかける。


「地域の皆さんにもちゃんと挨拶ができてて、すごいね。
挨拶はすべての基本だよ。それが自然にできているきなこは、素晴らしいよ」


すると、きなこは照れくさそうに言う。

「ママがいつも元気に挨拶するから、真似してるだけだよ」

たまには良い母の背中を見せられたのかもしれない。
そう思うと、ちょっとだけ嬉しくなった。

「地域の人たちはね、誰かに頼まれたわけじゃなくて、
自分たちの意思で、小学生の安全を守ろうとしてくれているんだよ。
きなこたちは、地域の宝物なんだよ。感謝しないとね」

そう伝えると、きなこはまた照れくさそうに笑って、小さく頷いた。



子どもを完全に守る方法なんて、きっとどこにもない。
けれど、私はあの日の午後を通して、確信しました。

「親の目が届かない時間」に、子ども達の周りにある“まなざし“は、
決して親だけのものではないのだと。

挨拶ひとつで繋がる地域の人たち。
誰かの気配が、何気ない会話が、静かに子どもを守ってくれている。

こんなふうに、誰かの大切な子どもを、みんなで守る社会であってほしい。
防犯カメラも、パトロールカーも、もちろん大事。

でも、それと同じくらい、
やさしい“人の目“と“心“が、
子どもたちの未来を支えてくれるのだと思うのです。

きなこが、そしてすべての子どもたちが、
“誰かに見守られている“と信じられる日々でありますように。

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