短編小説|境界線
クリスマスの夜、ふいにタカギが真面目な顔で俺に言った。
「来週来年って、すごくないか」
「来週来年?」
机にあった卓上カレンダーを見ると、『25』と印刷された次の週は空白で、よく見ると『1』の薄い数字が印刷されている。
「あ、そうか、え、今年もうあと一週間ないのか」
年々行事ごとへの関心も薄れているとはいえ、さすがにカウントダウンがはじまった気分になる。年内にやっておくことって何かあったっけ? タカギのグラスにビールを注ぎ足そうとしたら
「だめだめ、全部飲んでから」と手で蓋をされる。大雑把なくせにタカギは案外細かい。
実家住まいのタカギの部屋は和室で、幼少期から積み重ねてきた統一感のない物たちが古い部屋と相まって一体感を醸し出す。畳の上のパイプベッド。プラモデル。しましまの服。積み重なった雑誌。アコースティックギター。
そう、俺たちの共通点は音楽。それまでグループ内の仲間という感じだったのが、別の仲間の結婚式の余興に二人で演奏を頼まれ、それをきっかけに時々遊ぶようになった。
『チメクしよう』
タカギから意味不明なメッセージが届いたのは先週のことだった。
『どうせ25日ひまなんだろ』
『別にクリスマスだからってわけじゃないけど』
続々届くメッセージにクリスマス一人、嫌なんだな、と思う。
『25日はいいけどチメクって何』
『教えない。じゃ笠原精肉店に集合ってことで』
教えないって。検索すればすぐわかることだろうに。タカギ家近所のメンチカツが美味い肉屋を指定されたから、きっとメンチとコロッケでも買って飲むつもりなんだろう。
「このヤンニョムチキンと、塩味のやつ、五百グラムずつで」
当日、予想に反してタカギが買ったのは鶏の唐揚げだった。
「メンチとか買うのかと思ってたけど、そうか、クリスマスだからチキンか」
「だからクリスマスとか関係ないって言ってんだろ」
微妙にキレ気味なタカギが笑える。しかし笑うとさらに何か言ってきそうだから、そうか、と神妙なふりをして頷くに留める。
「チメクのチはチキンのチだからな」
なぜか勝ち誇ったようにタカギは言うと、次はビールだ、と大股でスーパーに向かったのだった。
「それで、『来週来年』はさらにいくと、『明日は来年』になるわけよ」
買ってきたビールがなくなるとタカギは冷蔵庫から家のビールを出してくる。瓶のビールはやっぱり美味い。けっこう量があると思っていたチキンも、甘辛いヤンニョムとシンプルな塩味を交互に食べるとキリがなく、残り少なくなってきた。
「なるほどね。大晦日ってそういうことだよな。『来年』ってすごい先のことって感じだから『明日は来年』って、なんか不思議だけど」俺が相槌を打つと、だろー、とタカギは嬉しそうにチキンをつまむ。
ふと、気がついて俺は言った。
「ということはさ、元旦になると『昨日は去年』だよな」
「ふぉのとーり‼︎」
口にチキンが入ったまま急にタカギが大声を出して、なぜか立ち上がる。
「ちょっとお前興奮しすぎだろ」
苦笑する俺の脇をすり抜けて机に向かい、引き出しを開けるとタカギは何か紙を取り出した。
「それでさ、俺、曲作っちゃったよ」
「は?」
ぬっとタカギが俺の目の前にコピー用紙を突き出す。何度も書き直した跡のある手書きの汚い文字に既視感を覚える。
“境界線“
明日は来年だけど 明日になれば
昨日は去年になる Year End and New
涙みたいなグレーの雨 夜は雪になるだろう
昨日今日と明日は隣り合せ だけど一日違うだけで
Last year and Next year
明日は来年 昨日は去年
心は置き去りでも 朝が来れば年は明ける
そこに何があるのか 解らないけれど
俺は見てみたいんだ そこに何があるのか
昨日と明日のその 境界線 Boundary Line
「これどう思う?」
「どうって」
「いやだから、この曲。ちょっとやってみるから」
「今から⁉︎」
俺の反応に構うことなく、タカギは引き寄せたギターを弾きはじめた。
「あーしたーはらーいねーん、だけどー、あーしたーになーればー、きーのうはきょーねんー、になるー、イヤー、エンドアンドニュー」
前も感じたことだが、タカギの作る曲は「なんかどっかで聞いたような曲だな」と思わせるものがある。しかもネタもとの曲がすごく古い。それに気づく俺も俺だが、お互い親の影響で聞いてきた音楽に通じるものがあるから気づいてしまう。今回は出だしのメロディからすぐ奥田民生が浮かぶ。夜は雪になるだろうって。お前は山下達郎か。
しかし以前、作ってきた曲に「尾崎豊っぽい」と指摘してみたところ全力で否定していたので、どうも無自覚らしい。怖い。
前は結婚式の余興だというのに『悲しみの風景』というとんでもないタイトルの曲を勝手に作ってきて当然俺に却下されたけど、今回は不覚にも歌詞の一文が目に留まってしまった。
歌い切って、ジャン、と演奏を終えたタカギは期待を込めた目で俺を見た。
「どうだった? どうたった?」
「どうって……何またいきなり」
「一日違うだけで全然違うっていう、神秘を曲にしたんだよ」
「えー、と、よくわかんないけど、歌詞のここはいいと思う」
俺はコピー用紙の、その部分を指で指した。
「まぁ英語とかちょっと微妙だけど、なんか、ここはいいよ」
ふーん、と言いながらまんざらでもなさそうなタカギは、ギターを置くとにやにやしながらビールを飲む。
「でもよくよく読むと、いいこと言ってるようで意味わかるようなわかんないようなだよな、タカギの歌詞って」
思ったことを率直に言うと、タカギはふん、と鼻で笑い、突然言い出した。
「来年、バンドやろうぜ」
「は? バンドって? 誰と?」
「とりあえず俺らギターとベースで2ピースバンド、できるじゃん。俺もっと曲作り頑張るから」
バンドって。
確かに、結婚式の余興で久しぶりに集中して練習したのは面白かった、学生に戻ったみたいで。最初は音を合わせてもいまいち噛み合ってないのが、回を重ねて、ある時ふっと音が交わってひとつになる、あの体感。口に出さなくてもお互いに分かる、あの感じ。
でも。
「今さらバンドって。大した腕もないし、プロになれる訳でもないし、目的もないじゃん」
冗談を聞いた時みたいに笑ってタカギの方を見ると、笑ってるけど案外真面目な顔して、おもむろに歌い出した。
そこになにがあるのかー、わからないけれどー、おれはみてみたいんだー、そこになにがー、あるのかー
俺が気に入った、歌詞だ。
タカギは俺の目を見て言う。
「面白そう、以外の目的っている?」
不覚にもタカギの言葉がとすっ、と胸と胸の間の奥の方に刺さる。
だからタカギは、嫌なんだ。
普段へらへらしてるくせに、軽々と境界線を越えてくる。諦めたことも、無理だと思うことも、願うことすら忘れたようなことを、平気で掘り起こしてくる。
面白そう。
それだけで。
それだけで、良かったんだろうか。本当は、今までも。
「社会人になってバンドか」
下を向いて俺が笑うと、タカギは偉そうに言った。
「俺に境界線はない」
「出た、タカギのいいこと言ってるようで意味わかるようなわかんないような言葉」
「まぁ、来年になったら考えようぜ」
タカギは言うと、もっと飲め、と俺のグラスにビールを注ごうとするから、俺は慌ててグラスを空けようとしてむせた。
いやもう来年って、すぐそこなんですけど。
あともうちょっとで今年も終わる。
ほんの僅かな差で、もう、去年と来年になってしまう。そしたら新しい年の、新しい俺は、何を選んで、どこに向かうんだろう。
最後のチキンを頬張るタカギの横顔を見ながら、俺は昔やってたバンドでドラム担当だった仲間の顔を思い浮かべていた。
結局チメクってなんだったのか、わからないままで。
