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『僕の自意識がシュヴァルツシルト半径を超えて世界を救う』①

あらすじ

 自意識過剰な文学青年・赤城鏡也が片想いの神楽坂美咲に告白した瞬間、彼女は物理的に宙へ浮いた。
 原因は「世界の軽量化」——人々が痛みも摩擦も重さも捨て去ったせいで、地球の重力が失われつつあるのだという。気づけば鏡也の部屋には、使命を告げる亀の姿をした重力管理局長が居座っていた。

「君の自意識の重さで、世界を救え」

 就活に敗れたパンクロッカー、公務員試験浪人の法律オタク、重たいトートバッグを手放せない後輩——それぞれの「重さ」を抱えた仲間たちと共に、鏡也は浮遊する世界へ戦いを挑む。  
 笑えて、泣けて、ちょっと悔しい。不完全な人間たちの、地に足のついた青春SF。

『僕の自意識がシュヴァルツシルト半径を超えて世界を救う』

第1話:告白、それは一方通行の形而上学


 僕は神楽坂美咲への告白を決意した。

 誤解しないでほしいが、これは決して春の陽気に当てられた発情ではない。

 愛とは引力であり、告白とはその引力を証明するための荘厳な天体ショーである。

 今日の僕のコンディションは、驚くほど完璧に仕上がっていた。

 朝、鏡の中。僕の顔は、どことなく初期のルネサンス彫刻を思わせた。
 それも、作者が途中で「これじゃない」と首を傾げながらも、魂だけは過剰に注ぎ込んでしまった失敗作のような顔である。

 静謐な知性と、行き場のない情熱が、連日のエントリーシート作成で寝不足に浮腫んだ瞼(まぶた)の下で複雑な和音を奏でている。

 この顔ならば、いける。たとえ玉砕したとしても、それは「悲恋」という名の芸術作品として昇華されるだろう。

 場所は大学の講義棟裏、欅(けやき)の木の下だ。

 五月の風が、新しい若葉の匂いと誰かの朝食の味噌汁の香りを含んで吹き抜けていく。

 ジャケットの右ポケットの中。紙束の角を指先でなぞった。それは昨日から何度も推敲を重ねた「手紙」という名の質量兵器だ。市販の封筒には収まりきらず、輪ゴムで留めてある。

 手紙と言うよりもそれは、原稿用紙二十枚に及ぶ「僕と君がいかにしてこの宇宙で巡り合い、そして高め合うべきか」という壮大な論文に近いものだ。言わば僕の魂そのものだ。

「神楽坂さん」

 彼女に呼びかけた。

 男子の声は低い方が魅力的に響くと誰かが言った。僕は腹の底から響く声を意識して、できるだけ落ち着いた声を出した。それは古いジャズのバリトンサックスのような声だった。

 神楽坂美咲が振り返る。

 彼女は今日も暴力的なまでに完璧だった。少し茶色がかった髪は空気抵抗を極限まで計算し尽くされた航空機のように滑らかだ。白いブラウスには皺ひとつない。

 彼女は大手総合商社の内定をすでに持っている。彼女を包んでいるのは「正しさ」という名の、磨き上げられたステンレスの壁だ。

「……あ、赤城くん。どうしたの?」

「単刀直入に言う。僕たちの魂は、おそらく同じ周期の波長を持っている」

 僕は一歩踏み出した。右足の靴底が、乾燥した土を踏みしめ、ジャリッという不快な音を立てた。その時、不意に足の裏に鋭い痛みを感じた。

 靴の中に迷い込んだ小石だ。それは僕の歩みを阻害する「不純物」でありながら、同時に僕がこの地球の皮膚に接触していることを教える、唯一の感覚器官でもあった。

僕は彼女の目を真っ直ぐに見つめた。

「君の美しさと、僕のこの溢れんばかりのポテンシャル。それらが混ざり合えば、世界は今よりずっとマシな場所になる。僕と付き合ってくれないか。これは提案ではなく、運命の確認、宇宙的な要請だ」

 僕はポケットから、分厚い原稿用紙の束を取り出した。

 パチン。

 劣化した輪ゴムが弾ける音が、静寂なキャンパスに響いた。それは恋の始まりを告げる号砲にしては、あまりにも間の抜けた音だった。

 遠くでカラスが鳴き、誰かが自動販売機でコーラを買う音がした。

 ガコン。

 そして、一瞬の空白の後、周囲のざわめきが、急速に引いていく。

 昼休みのキャンパスを行き交う学生たちが、まるで交通事故の現場を目撃した野次馬のような、残酷な好奇心に満ちた沈黙を共有しているのがわかった。

「あいつ、マジかよ……」

「原稿用紙……?」という囁きが聞こえた。

 僕はそれを「あまりの熱烈さに気圧(けお)されている声」だと受け取った。凡人には理解できない高みでの対話に、彼らは魂の奥底から畏怖しているのだ。

 神楽坂美咲は、しばらくの間、何と言えばいいのか見当もつかないという風に唇を微かに震わせていた。

 彼女の瞳には、同情でも拒絶でもなく、もっと根源的な「困惑」が浮かんでいた。それは、庭先に隕石が落ちてきた時の住宅所有者の顔に似ていた。

「ごめん、赤城くん。私……あなたの言っていること、半分もわからない。だって私、廊下ですれ違ってもあなたのことを認識したことすらないのよ。正直それくらい視界にすら入っていなかったわ」

 彼女の言葉は、完璧に調律されたピアノの鍵盤を、ハンマーで叩き壊すような響きを持っていた。

 周囲から失笑が漏れる。それも、控えめなものではない。喉の奥に詰まった粘土を吐き出すような、粘り気のある笑いだ。

 しかし、僕の脳内にある高性能なフィルターは、その言葉を瞬時に変換した。

『私には、あなたという存在が深淵すぎて、理解が追いつかない。だから今はまだ、ほんの少しだけ距離を置かせてほしい』

 なるほど、そういうことか。僕の知性が、彼女のキャパシティをオーバーフローさせてしまったらしい。

「なるほど」と僕は頷いた。

「君の言いたいことはわかったよ。準備が必要なんだね。宇宙が膨張を続けるように、僕への愛が君の中でむくむくと育つのを待つことにする」

「……えっ、いや、そういう意味じゃなくて」

 彼女が絶望的な顔で後ずさりした、その時だった。

 ふわり、と。

 神楽坂美咲の身体が浮いた。まるで、見えない手品師がシルクの布を引き上げたかのように。

 最初、僕は自分の三半規管が貧血を起こしたのかと思った。そうでもなければ、五月特有の気圧配置が光の屈折異常を引き起こしたのかと。

 だが、違った。

 彼女の磨き上げられたローファーの底と、乾燥したアスファルトの間に、決定的な「断絶」が生まれていた。そこには、蟻一匹が通り抜けられるほどの、絶対的な空間が横たわっていた。

 影が、薄くなった。

 彼女が地面から離れたことで、足元の影の輪郭がぼやけ、この世界への定着度を失ったように見えた。それはまるで、彼女という存在そのものが、この不潔で重たい現実から一方的に「削除」され始めたかのようだった。

 誰も何も言わなかった。誰かが落とした教科書のページが風にめくれる音が聞こえた。パラ、パラパラ。その乾いた音が、事態の異常さを際立たせる。

「え?」

 ようやく美咲自身も気づいたようだ。彼女は慌てて地面を踏みしめようとしたが、まるで水中を歩くように足が空を切るばかりだった。

「きゃっ、な、なにこれ!?」

「すごいな」僕は感嘆した。

「僕の告白が、君を重力の楔(くさび)から解き放ったのか。愛とは翼だと言うが、まさか物理的に作用するとは」

「違う!助けて!なんか、ふわふわして……気持ち悪い!」

 彼女は泣きそうな顔で、近くの欅の幹にしがみついた。スカートが不自然に膨らみ、長い髪が無重力空間のように広がる。

 周囲の学生たちも、スマホを向ける者、悲鳴を上げて逃げ出す者、ただ呆然とする者に分かれ、現場はカオスに包まれた。

「なるほど、そういうことか」

 僕は満足げに頷き、混乱する彼女に背を向けた。

 これ以上彼女を動揺させてはいけない。今の彼女は、僕という愛の突風に煽られて空へ舞い上がろうとしている綿毛のようなものだ。

 静かに見守るのが紳士の務めだろう。——彼女はまだ、僕の原稿用紙の束を放していなかった。

「また連絡するよ、神楽坂さん。地面に戻れたら、珈琲でも飲もう」

 僕は颯爽と歩き出した。

 背後で「待って!置いていかないで!」という悲鳴が聞こえた気がしたが、それは「行かないで、愛しい人」という熱烈なラブコールに変換され、僕の足取りをいっそう軽くした。

 ザッ、ザッ、ザッ。

 足の裏に伝わる地面の感触と、一歩ごとに鈍く響く小石の痛みが、僕がこのろくでもない世界にまだ「所属」していることを証明しているようで心地よかった。

 やはり、重力こそが正義だ。

 僕は地面を踏みしめ、誰にも見向きもされない背中で、孤独な凱旋を続けた。

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