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投資心理とは何か──100年後の投資家へ

相場師ジェシー・リバモアの言葉が、私の心にずっと残っています。

「ウォール街には、昔から何の新しさもない。今日起こることは、以前にも起こったことだし、これからも繰り返される。なぜなら、人間の本性は変わらないからだ。」

初めてこの言葉を読んだとき、私は少し立ち止まってしまいました。

相場の世界は、いつも新しい顔をして現れます。
新しい制度。
新しい金融商品。
新しいニュース。
新しい投資アプリ。
新しいテーマ株。
新しい投資手法。

画面に並ぶ数字も、流れてくる情報の速さも、昔とはまるで違います。

スマートフォンを開けば、世界中の市場がすぐに見える。
SNSを見れば、誰かの利益も、誰かの損失も、ほとんど時間差なく流れてくる。
ニュースは次々と更新され、為替も、金利も、株価も、休むことなく動いているように見えます。

けれど、その画面を見ている人間の心は、どれほど変わったのでしょうか。

損をしたくない。
もっと資産が増えてほしい。
今売らないと、利益が消えてしまうかもしれない。
もう少し待てば、買値まで戻るかもしれない。
みんながうまくいっているのに、自分だけ遅れている気がする。

そういう心の動きは、きっと昔からあったのだと思います。
そして、おそらくこれからも残っていくのだと思います。

私が「投資心理」について書きたいと思うようになったのは、たぶんこの感覚があったからです。

相場で起きていることは、いつも新しく見える。
でも、その奥で揺れている人の心は、案外、昔から同じような動きを繰り返しているのかもしれない。

それなら、その心の動きを書いておきたい。
今この文章を読んでくれている人に向けて。
そして、もしかしたら100年後にどこかで読むかもしれない、まだ見ぬ投資家に向けて。

そんな気持ちが、私の中にあります。


1. 相場は、いつも新しい顔をして現れる

投資をしていると、「今回は今までとは違うのではないか」と感じる場面があります。

新しい技術が出てきたとき。
大きな金融政策の変更があったとき。
予想外のニュースが出たとき。
市場全体が大きく上がったとき。
あるいは、大きく下がったとき。

そのたびに、相場は違う顔をして現れます。

最近であれば、NISAによって投資は以前よりも身近なものになりました。
スマートフォンで簡単に注文でき、少額から投資でき、世界中の株式に分散投資することもできます。

情報も、昔とは比べものにならないほど早く手に入ります。
企業の決算、要人発言、為替の動き、海外市場の反応。
どれもすぐに確認できます。

便利になった。
選択肢も増えた。
個人投資家にとって、投資の入口はずいぶん広くなったと思います。

けれど、入口が広くなったからといって、心が揺れなくなるわけではありません。

むしろ、情報が増えたことで、迷いも増えたのかもしれません。
他人の成績が見えやすくなったことで、比較もしやすくなったのかもしれません。
パソコンやスマートフォンの発達により、簡単に売買できるようになったことで、余計な行動も取りやすくなったのかもしれません。

道具は進化します。
制度も変わります。
投資環境も変わります。

それでも、そこにいるのは人間です。

不安になる人間。
欲が出る人間。
後悔する人間。
希望を持つ人間。
そして、ときどき自分に都合よく相場を見てしまう人間です。

私自身も、投資を続ける中で、そういう心の動きを何度も経験してきました。

2. それでも、人の心は同じように揺れる

投資を長く続けていると、何度も同じような感情に出会います。

損失への恐怖。
含み益が消える不安。
利確したあとにさらに上がったときの後悔。
持ち続けたあとに下がったときの悔しさ。
買えなかった銘柄が上がっていくのを見たときの焦り。
他人の利益を見たときの、少しざわつく気持ち。

どれも、投資をしていれば自然に出てくる感情だと思います。

私も、損失への恐怖はよく覚えています。

含み損が大きくなると、証券口座を開くのが嫌になります。
数字を見るだけで、血の気が引き、胃のあたりが少し重くなるような感覚があります。

「なぜあのとき買ったのだろう」
「なぜもっと早く売らなかったのだろう」
そんな言葉が、頭の中で何度も繰り返されます。

一方で、含み益が増えているときにも、別の不安があります。

増えているはずなのに、落ち着かない。
嬉しいはずなのに、「これが消えたらどうしよう」と考えてしまう。
まだ利益を確定していないのに、すでに自分のものになったような気がしてしまう。

そして、その含み益が少し減るだけで、まるで何かを失ったような気持ちになることがあります。

損をしているときだけ、心が揺れるわけではありません。

うまくいっているときにも、不安は出てきます。
むしろ、うまくいっているときほど、判断が雑になることもあります。

「もう少し取れるかもしれない」
「今回は大丈夫かもしれない」
「自分の手法は正しかったのかもしれない」

そう思い始めたとき、自分の中で何かが少し前のめりになっていることがあります。

投資では、知識が必要です。
決算を読む力も、金利を見る力も、為替や景気を考える力も大切です。

でも、それだけでは足りない場面があります。

知識としては分かっている。
分散が大事だと分かっている。
長期目線が大事だと分かっている。
余計な売買をしないほうがいいと分かっている。

それでも、心は普通に揺れます。

そして、その揺れに気づかないまま判断すると、あとから「なぜあんな売買をしたのだろう」と思うことがあります。

相場を読むことと同じくらい、自分の反応を読むことも大切なのではないか。

そう思うようになってから、私は投資心理に惹かれるようになりました。

3. 投資心理とは何か

私にとって投資心理とは、感情を消すためのものではありません。
感情に引っ張られすぎないために、自分の心のクセを見ておくことです。

怖がる自分を責めるためのものではありません。
欲が出る自分を否定するためのものでもありません。
後悔する自分を、下手な投資家だと決めつけるためのものでもありません。

そうではなくて、

「いま、自分は何に反応しているのか」
「この判断は、事実を見ているのか」
「それとも、不安や焦りに背中を押されているのか」

そうやって、一度立ち止まるためのものだと思っています。

相場で感情が動くこと自体は、悪いことではありません。
むしろ、感情が動くのは自然なことです。

大切なお金を市場に置いているのだから、下がれば不安になります。
長い時間をかけて増やしてきた資産が減れば、心がざわつきます。
他人の大きな利益を見れば、自分の投資が物足りなく見えることもあります。

それをすべて消そうとすると、たぶん苦しくなります。

感情をなくすことはできません。
少なくとも、私にはできません。

だから、消すのではなく、見る。
押さえつけるのではなく、少し距離を取る。
自分の中で起きている反応に、遅れてでも気づく。

そのために、私は投資心理という言葉を使っています。

4. 私が相場で見ているもの

投資をしていると、見るべき数字はたくさんあります。

株価。
指数。
為替。
金利。
決算。
配当。
利益率。
売上高。
市場予想。

どれも大切です。

でも私は、それと同じくらい、自分の心の動きも見ておきたいと思っています。

下落相場で、「全部間違っていたのではないか」と感じる自分。
上昇相場で、「このままもっと増えるのではないか」と思う自分。
含み益が増えたとき、それを守りたくなる自分。
含み損が増えたとき、見なかったことにしたくなる自分。
ニュースを追うことで、安心しているようで、実は不安を増やしている自分。
NISAの枠を埋めることが、いつの間にか目的になりそうな自分。
SNSで誰かの利益を見て、自分のペースを見失いそうになる自分。

こういう心の動きは、数字の画面には表示されません。

証券口座には、評価額は出ます。
損益も出ます。
保有銘柄も、配当金も、買付余力も出ます。

でも、そこに自分の焦りは表示されません。
後悔も表示されません。
比較して揺れた気持ちも、欲が膨らんでいる感覚も、画面には出てきません。

だから、自分で見にいくしかないのだと思います。

私はこれまで、投資について書きながら、実は自分の心の反応を何度も見にいっていたのかもしれません。

損切りの痛み。
利確後の後悔。
人の利益を見たときの揺れ。
ニュースを追いすぎる不安。
うまくいっているときの過信。
何もしないことへの罪悪感。

それらは、どれも投資の中で起きる小さな心の動きです。

けれど、その小さな心の動きが、売買の判断を変えることがあります。
本来の目的から、自分を少しずつ離してしまうことがあります。

だから私は、相場を見るとき、数字だけでなく、自分の反応も一緒に見るようにしています。

5. 心が揺れない投資家には、なれない

投資を始めたばかりのころ、私はどこかで「心が揺れない投資家」になりたいと思っていたのかもしれません。

下落しても慌てない。
上昇しても浮かれない。
人と比べない。
ニュースに振り回されない。
淡々と判断できる。

そんな投資家になれたら、どれほど楽だろうと思います。

でも、今は少し違う考え方をしています。

私は、心が揺れない投資家にはなれないと思っています。
少なくとも、完全にはなれません。

大きく下がれば不安になります。
大きく上がれば嬉しくなります。
売ったあとに上がれば悔しいです。
買わなかった銘柄が上がれば、少し残念な気持ちになります。

それでいいのだと思います。

問題は、揺れることではありません。
揺れていることに気づかないまま、判断してしまうことです。

不安なのに、冷静な判断だと思い込む。
欲が出ているのに、合理的な判断だと思い込む。
後悔を取り返したいだけなのに、新しい投資判断だと思い込む。

そういうときに、投資は少し危うくなるのだと思います。

だから私が目指したいのは、心が揺れない投資家ではありません。

心が揺れたあとに、戻れる投資家です。

自分の目的に戻る。
時間軸に戻る。
リスク許容度に戻る。
最初に決めたルールに戻る。
そして、「いま自分は何に反応しているのか」と見に戻る。

投資心理は、そのための戻る場所なのだと思います。

6. 100年後の投資家へ

私は今、この文章を読んでくれている人に向けて書いています。

同じ時代に、同じように相場を見ている人。
証券口座の数字に一喜一憂している人。
ニュースを見て不安になったり、含み益を見て少し安心したりしている人。
投資を続けたいと思いながら、ときどき心が疲れてしまう人。

そういう人に向けて書いています。

でも少しだけ、100年後の投資家にも向けて書いています。

100年後の投資が、どんな形になっているのかは分かりません。

いま私たちが使っている証券口座の画面は、もう残っていないかもしれません。
株式という仕組みも、今とは違う形になっているかもしれません。
通貨も、取引方法も、情報の受け取り方も、まったく別のものになっているかもしれません。

それでも、100年後の投資家も、きっとどこかで心が揺れているのではないかと思います。

損をしたくないと思う。
利益を逃したくないと思う。
人と比べて焦る。
もっと早く買えばよかったと後悔する。
もう少し待てばよかったと思う。
ニュースを見て不安になる。
うまくいっているときに、少しだけ自分を信じすぎる。

そんな心の動きは、形を変えながら残っているのではないかと思います。

もし、この文章が100年後まで残っていたら。
そして、広いネットのどこかで、まだ見ぬ投資家がこの文章を見つけたら。

「ああ、100年前の人も同じようなことで悩んでいたんだな」

そんなふうに思ってくれたら、私は少し楽しいです。

その人にとって、私の銘柄選びや、資産額や、その時代の相場環境は、ほとんど意味を持たないかもしれません。
けれど、損を怖がる気持ちや、利益を失いたくない気持ちや、人と比べて揺れる心は、少しだけ通じるのではないかと思います。

100年前の投資家も、きっと揺れていた。
今の私たちも、揺れている。
そして100年後の誰かも、きっと揺れる。

だからこそ、投資心理を書く意味があるのだと思います。

相場の予想は、時間が経てば古くなります。
ニュースも、数字も、テーマも、やがて過去のものになります。

でも、人の心の動きは、少しだけ長く残るのかもしれません。

私はそこに、投資心理を書く面白さを感じています。

7. おわりに

投資心理とは何か。

私にとってそれは、相場に勝つための特別な技術ではありません。
すべての失敗を防ぐ方法でもありません。
感情を消して、いつも正しい判断ができる人間になるためのものでもありません。

そうではなく、相場の中で揺れる自分を見失わないためのものです。

怖いときに、怖いと気づく。
欲が出たときに、欲が出ていると気づく。
後悔しているときに、後悔を取り返そうとしていないかを見る。
人と比べて焦ったときに、自分の目的へ戻る。

その小さな確認を重ねることが、私にとっての投資心理です。

相場は、これからも変わっていくと思います。
制度も、商品も、情報の速さも、今とは違うものになっていくのかもしれません。

それでも、人の心はきっとまた揺れます。

だから私は、投資心理を書いておきたいと思っています。

今この文章を読んでくれている人に向けて。
そして、100年後のどこかで、同じように相場と向き合っているかもしれない誰かに向けて。

心が揺れない投資家になる必要はない。
揺れたときに、自分の心を見に戻れる場所があればいい。

私はそう思っています。

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