「カーテンコールの灯」で映画初め-喪失と再生、そして表現の力。
先日、今年はじめの映画館での鑑賞に出かけた。映画は家や移動中にたのしむ事もあるが基本的には劇場での鑑賞を想定して作られた物だし、できれば月に1.2回は足を運びたいと思っている。

不器用な建設作業員のダンがある日市民劇団と出会い、演劇を通してこれまで抱え込んできた自身の心の葛藤にむきあうのが大まかな筋。シェイクスピアの名作'ロミジュリ'に50歳の演劇初心者がいどみ、比較的大きな"喪失"というテーマを扱いながらもアメリカらしさというのか仄かな明るさが全篇で貫かれ重くならずに鑑賞できる。
鑑賞していて思い出したのがブレイディみかこさんのヒット作、通称'僕イエ'でのイギリスの教育についての記述。シェイクスピアを生み出した演劇大国である英国では幼児教育からカリキュラムとして演劇が取り入れられ、中学ではDrama(演劇)が正式な教科として学ばれている。英国がこうした教育を重視する目的はエンタメ業界に大量の人材を送りこむことではなく、生活の中で言葉を使った表現力・創造性・意思疎通のスキル等を高めるために他ならない。
「気持ち」と「それを表現すること」、そして「それを伝えること」はリンクしていると教え、自分の感情を正しく他者に伝えられるように訓練する。
わたしが勤めていた託児所は失業率と貧困率が非常に高い地域の慈善施設の中にあり、D V、依存症などの問題を抱えた家庭の子どもが多く通っていた。彼らは表情に乏しかったり、 うまく感情を伝えられないことが多かった。他人に自分の感情を伝えられない子どもは、他人の感情を読み取ることもできない。
主人公のダンはまさに感情表現が苦手なタイプで、悲しみを抱えこみそれが自身や周囲にも影響を及ぼしているが、いざ感情を話してみようという場面になるとキレたり回避したりと自己防衛的な反応をするばかりで、このあたりは日本の中高年をみてもありがちな事のように思えるし、何なら自分もこうした言動をしてきた事を思い出し見ていて胸がいたむ。
おもえば、実社会はほぼお芝居でなりたっているようなもので英国の教育やこの映画のように感情表現のトレーニングに演劇を取り入れるのは理にかなっているのだと思う。ダンが劇団仲間に何故自分を芝居に誘ったかを訊ね"あなたは違う場所や役柄を欲していると思ったの"というような返事を受けるシーンが印象的だったが、苦しそうな人生というのは1つの役柄に閉じ込められていたりまた自ら1つのキャラクターに強く依存して過ごすケースだったりする。
それらを回避するのに演劇的に生きるのは効果がありそうに見えた。急に劇団に所属する事は難しいが、家族・親戚がいればその続柄の役をやるし恋人なら恋人役を、仕事や趣味や地域活動を通じて仲間・先輩・後輩・指導者・補佐の役など実は実生活で出来ることはあるので、多様な関係性の人に会うよう予め生活を組んでしまうのが再現性が高い方法のような気がしています。
本編では苦しい場面ばかりではなく、劇中劇となる本番の舞台のシーンの演出も素晴らしく、この市民劇団の芝居を観てみたいとすら思えるラストで映画・お芝居好きは楽しめるのではと思います。素敵な作品と出会えていい映画初めとなりました。
