20260516【記事】生きづらさのお話-「空気を読めてしまう子」の続き
みなさんこんにちは。星河雨里です。
みなさん、5月の新しい記事、「大変」お待たせいたしました。
今日は久々に支援のお話です。
先日は…といってももう2か月前ですが、『空気を読めてしまう子の話』という記事をUPしました。
たくさんの方に読んでいただいて本当にありがとうございました。
その『空気を読めてしまう』子の話をアップしてから、いろんな方から速いスピードでリアクションや閲覧数をいただきました。
もしかしたら世の中で空気を読めることで辛くなっている人や、こういった人に興味を持った方がいらっしゃったのかなと思いつつ、
今回は「生きづらさ」についてもう少し深く考え、少しずつ書き進め、今回公開しました。
『空気を読めてしまう』というお話と絡んできますが、
今日は『生きづらさ』についてのお話をしたいなと思います。
あくまで、私が日々自分の過去を振り返ったり、日々子どもたちの支援をしていて考えたことのお話になりますので、みなさまが苦しくない範囲で読んでいただければ幸いです。
「空気を読めてしまう」もう一つの理由
なぜ『その子は空気を読めてしまうのか』というのを改めて考えました。
一つは先日書いた、周りの大人や環境によりどうしても読めるようにせざるを得なかったというのも、きっとあるとは思います。
もう一つの理由は、そういった『空気を読む』ことの方が他の日常生活のその他のいろんな能力よりも長けていて、その子がそこの部分をすごく頑張ろうとしてしまうという部分もあると思いました。
もしかしたら前回の記事を読んで、
『空気を読めてしまう』のは周りのせいなんですか?
と思ってしまった人がいたかもしれませんし、逆に
「あの子に『空気を読ませ続けてしまう』ように自分がしたかな」
と思った方も居たかもしれません。
でも、周りの環境だけで起きるとは限らないし、
たとえ環境が良くても、空気を読もうとしすぎてしまうことは起きてしまうかもしれないとも改めて思いました。
子どもが日々社会生活を送る中で、
『自分はこれまでに出会ってきた環境で、
空気を読んで行動すると評価を高くもらえるから、私はこれが得意なんだ。
じゃあ、私は人の空気を読んでいい感じに場を整えよう』
と、頑張りすぎてしまう機会が多くなってしまい、生きづらさにつながっているのかもしれません。
そういう背景の子どもであってもやはり、断る練習や自分の主張をする練習は必要なのは以前書いた記事と同じですね。
そんなわけで、環境だけでなく、子どもの性格などによっても空気を読みすぎるのを頑張ってしまうのかもしれないと私は思うのです。
『生きづらさ』とは
ではここからは、「空気を読めてしまう子」の話から一歩進めて、
『生きづらさ』について考えていきたいと思います。
『生きづらさ』っていうのは、要は良くも悪くも、
一般の世の中で想定されていることと大幅に違うこと・ズレてしまうことで苦しくなることなのだと私は思います。
一般で想定されることよりもできないかもしれないし、
一般で想定されることよりも出来すぎることも、時には『生きづらさ』につながると考えています。
出来すぎることによる生きづらさとは
例えば『パッと見た時の記憶力がすごくある』方がいたときに、
短時間で吸収する能力が高かったとか、あまり学校の勉強で苦労したことはないとか、そういった良いこともあったかもしれません。
一方、記憶力が良すぎるために
『嫌な場面がずっと頭でフラッシュバックしてしまって忘れることが困難』とか
『情報が入る量が多すぎてすぐに疲れてしまって日常生活に影響が大きい』
といったこともあるかもしれません。
一方ができるからといって、できる人が生きやすいかっていうと
必ずしもそうとは限らず、
それが強みにもなるし、
正直弱みにもなる部分はある、
と私自身も思っておりますし、日々子どもたちを見ていてもそう思います。
できる人というのは長所だけ注目されがち
『資本主義の社会』では何かにおいて長けていること、人より出来ることっていうのはただ単に良しとされがちです。
もちろん長けていることで良いことはいっぱいあり、本人の長所として使っていってほしいですし、生かして幸せに生きていってほしいと願ってはいるんですけれども。
一方で。
諸刃の剣で、自分の本来の長所が逆に自分を苦しめる材料になってしまって辛くなることがあるということです。
たとえば、私はゆっくり考えて文章で表現するのが得意であり、
また自分自身を癒す手段でもあります。
一方で、何かとっさの反応を必要とする際に、弁が立つ人に速いスピードで返さなくてはいけないときに、
様々なリスクや状況を脳内で読み込み、今までの経験や知識と結び付けすぎてしまって頭が疲れてしまうことや、
こちらがあまり言えないまま言い負かされてしまって苦しくなることも正直よくあります。
後でそのシチュエーションを思い出して苦痛に思ったことも数知れずあります。
だからこそ私はどんなときでも、文章を書いて自分を表現することを手放さなかったのでしょう。
もしもあなたが今苦しかったら
もし、今この記事を読んでくださっているあなたが「できることで苦しい」と思っているとしたら、
そういう自分を責めないでほしいなって思います。
自分はできない人よりもできるから、辛いと思っちゃいけないんだとか、
できない人で苦労している方が大変なんだ
といった思い込みで生きてほしくないなと私は思います。
できてしまうからといって、できない人よりも苦痛が和らげられるっていう訳ではなく、
できない人はもちろんすごく大変な一方で、
すごくできる人がこの社会で生きやすいかっていうと、
実はそんなことはなくて、
できるからこそ、人より頼まれすぎてしまうとか、
結果を出せてしまうからこそ、ずっと期待を受け続けてアウトプットを求められ続けてしまうとか、
そういった生きづらさも世の中にあるのかなと私は思っています。
なので、これは前回の記事と同じであり、先ほどの話に戻ってくるんですが、
そういう出来すぎてしまっているが故に、
一般的に求められる『普通』とずれてしまって生きづらいという人も居るということです。
私はそういった出来すぎてしまって苦しいという人にも支援をしていけるような自分でありたいなって思います。
まとめ
世間から想定されることと大きくずれると生きづらい社会になっている、というのが現状だと思います。
だからこそ、ある意味でどんな人にとっても、
合う環境を探すための、自己分析や伴走を一緒にしてくれる専門家やピアによる支援やサポートを受けられたらいいなと願っています。
ついしん:絵
今回もチャットGPTで画像を作ってみました。
プロンプト一回でこんなに笑顔の人たちを描いてくれるとは。
この人たちの笑顔が心からの笑顔になれたらいいですよね。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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