20260319【記事】空気を読めてしまう子の話-支援の落とし穴
みなさんこんにちは。星河雨里です。
私が昨年4月から児童指導員のお仕事を始めて、およそ一年。
日々の支援は正解がないので、いつもやじろべえのように、
いろんなメリットデメリット、
お子さんの支援課題を考えたときのその行動の良しあし、
その場でのベストはどっちだった?
いろいろな観点から考えて支援したり、後から振り返ったりしています。
今日は、そんな子どもの支援の落とし穴「空気を読めてしまう子」のお話です。
空気を読めてしまう子
今その『児童指導員』として子どもたちを見てる中でも、
来ている多くのお子さんが特性的に空気がわからない/人の気持ちが読めないといったことで、
本人や家族が苦しんだり悩んだりして来ているような子も結構多いんですが、
一方で、空気が結構読めてしまう子もいるんですね。
ちょうど、今回の記事のサムネイルの画像のような、ニッコリ顔で
「私がやるよ」と引き受けてくれたりする。
あえて、自戒の念を込めて、「読めてしまう子」と表現しています。
それは大人からすると「助かる」子である
支援者からすると非常に助かるんです、そういう子たちって。
私が働いている事業所に来る子どもたちは、学校よりも小集団のなかで過ごします。
例えば事業所内で、集団で何かしようとなったときに、
空気が読めない子たちや「やりたくない」と自己主張を結構強くしてくる子たちが多く居て、
大人(支援員)と色々やりとりや対応している中で、
そういった空気を読むことがよくできる子どもたちから
「僕やりますよ」「私やりますよ」など言ってもらえるとすごく助かるんです。
でも、私は、その申し出を受けるかどうか、考えます。
こういう場でこの子どもは何度くらいやるって言っているかな。
何回くらいお願いしてきたかな。
それも、本当はやりたいというより、空気を読んでやるって言っている感じなのかな、と。
お願いする時もあります。うん。お願いねって言って、
彼らのその役割としてできた、認めてもらえたという他者からの承認を受ける経験もいい経験ではあるでしょう。
一方で、そういう子たちに全てを・常にお願いねっていう風にしない。
と決めています。
なぜなら、彼らは空気を読めてしまって、大いに苦労してる部分があると思うからです。
どういうことかっていうと、
空気を読めてしまうから「今はこうした方が他の人たちが助かりそう」と判断して自分を後回しにしてしまうとか、
その場の雰囲気に合わせて選んだものの全然自分は正直好きじゃなかったとか、
本当は心の底ではやりたくなくて嫌だったんだとか、
そういう、一見その場では表面化していないフラストレーションを抱えやすいと思っています。
そうなんです。これが起きるというのは、空気が読める子たちは
「その場の空気の調整を引き受けすぎてしまっている」のです。
全部支援者がやるor子どもに頼る方が楽
支援員の大人から考えると、
大人が全部まとめてやるよりも、
「やります」と言ってくれた子にお願いするよりも、
どこの部分をお願いして、どの部分をお願いしないかといった見極め・線引きを常に行いながら支援をする方がはるかに手はかかります。
こういった空気を読める子どもたちは、すごく大人や周りの行動を見ています。
もしかしたらそういった、だれかが困っているとか怒っているといった状況が苦手なのかもしれません。
だから、彼らはすぐに言うのです。
「僕が・私がやるよ」
と名乗りを上げたり、
「○くんのそういうの良くないよ」
と支援者側と協力しようと自ら進んで仲裁に入ることも。
そうすると、大人は安堵するでしょう。
そして、子ども同士ではまた一つトラブルが収まるかもしれません。
そのことも空気を読める子は理解しています。
どうにかすると、「先生も大変ですね」などと、
優しいことを言ってくれるような、そんな子まで居たりします。
支援員はふっとニコニコしますよね、ありがたいですよね。
でも、正直、私はこういった、大人を労うような言葉が出てくる子どもは心配になります。
空気を読めることの生きづらさ
では、常に空気の読める子どもがコミュニティでそうやって調整をやっているとどうなるでしょうか。
自分がその場の空気をよくする経験をたくさんしてきた。
そういった潤滑油のような存在だ。
本人がそういった方向で成功体験をたくさん積んでいます。
すると、どこのコミュニティでもすぐに頼られるようになる。
すぐにお願いされるようになる。
なんならお願いされなくとも、「分かった、僕・私がやるよ」とまた言う。
「ああ僕は・私は、この役割があるからここにいられるんだ」
「ああ僕は・私は、今日も役目を果たせたからこれで嫌われることはしばらくない」
一見、空気を読めて、場が安全に回っていて、周りの人は気づきづらくなっていますが、
残念ながらその子は良い場にするために発案しただけで、
別に自分がやりたいことじゃないのです。
当然、ストレスも膨大に溜まっていきます。でも続いていきます。そしてまたお願いされていくのです。
空気が読めてしまうことが、逆にそのお子さんの生きづらさにつながってしまうのです。
場の空気を引き受けない練習が必要
ここまでよんで気づきましたかね?
この子どもは……ここまで、一度も断っていないですよね??
コミュニティにおいて空気を整えるという、こんなに大きな役目を何度も担っているのに。
そうなんです。こうしてどんどん、面倒ごとも頼まれ、コミュニティでの係も頼まれ、ある程度こなせてしまって。
この子どもの苦手な、断る練習ができないのです。
これは嫌だ、とか、辞めたいといった意思を表現する練習が乏しいまま大人になっていきます。
学校や職場はもっと残酷ですから、そういった所に上下関係を持ち込んできて、厄介ごとをいろいろ押し付ける人も居るでしょう。
中にはそんな優しい人を集団のエスケープゴートにしてしまう人だっています。
テイカータイプの人が全部、優しい人に面倒ごとを押し付けて、なのに全部自分で出来たかのように手柄にしてしまうことだってあります。
だから、その子は断る練習は必要なのです。
こんな大きな断る練習からでなくとも。
「今日使う紙は何色がいいですか」
で、自分の好きな色を(いろんな空気を読むのでなく)選んでもらう。
支援者が「今日は別の人にお願いします」
などを伝えて、その子がやらなくても場が回ることを学習する必要もある。
なぜここにこだわるのか-幼少期の体験-
それは、まさに私が空気を読めてしまう子の人生そのもので、
これの連続でした。
場の空気を必死に読み、人からのお願いを断れずに生きてきて、
体を・心を壊してしまったからです。
別途記事で書いた、いわゆる「バーンアウト」です。
私はいわゆる「普通の家庭」でしたし、ありがたいことに不自由なく育ててもらっています。
ですが、私がこれだけ空気が読めるようになってしまったのは、
家の中での空気を良くする役を引き受けていたからだと思います。
ここでは、特に両親の愚痴や恨みを書きたいのではなく、ただ私から見た家族の状況の話です。
両親のことを尊敬しておりますし、感謝している部分もたくさんあります。
一方で、今思えばしんどかったなと思うこともあります。
父は昔から(私に限らず)あまり情緒的なコミュニケーションができない人でした。他人というよりは近いけど家族というにはよそよそしいような関係性でした。何か聞くと教えてもらったり、家族で出かけたりもしてきましたが、日常生活や学校での悩みはおろか、そういった雑談すらもあまり父とはできませんでした。父は母に対しても恐らく概ねそういった状態だったようです。
私は、母の抱える様々な気持ちを読み、時に愚痴や話を聞いて育ってきました。しかも私は長女だったので、余計に「しっかりしたお姉さん」になっていたのかもしれません。
だから、すごく空気を読んで、下の兄弟や母とのけんかの仲裁をしたり、母の話を沢山聞いたりしてきました。
それは外でもそんな感じでした。
学校の先生からも、「不登校気味のお子さんと話してくれてありがとう」「あの子を活動に入れてあげて」など言われ、
(自分で言うのはおこがましいですが)それなりに大人から信用される機会があったように思います。
そしてどんどん引き受けてしまって断れない私が出来上がりました。
お願いを断れなかっただけなら、まだよかったのかもしれません。
相手の思惑に振り回され、仲間はずれにされたり嫌がらせされたりということに何度も出会ってしまい、苦しい思いをしてきました。
そんなことすら、いやだ!やめて!という言い方が分からなかったのです。また、誰かに助けを求めていいことすら理解できていなかったのです。
私は、日々出会う空気の読める子たちにも自分を守る手段を持っておいてほしいと思っています。
持っている優しさを、利用されてしまうような苦しい人生を歩んでほしくないのです。
まとめ
私は、大人含めて空気が読めてしまう子は
正直今まで何らかの大きなものに出遭っているということも少なからずあると思っています。
家庭環境、学校、出会った大人との関係等々。
そういった環境に加えてご本人の性格や個性なども合わさっていることも。
だからこそ、支援の場では、そういったお子さんの傷つきや葛藤に気づき、
「場の空気を背負い続けない」練習のできる場所であってほしいと思っています。
空気や人の気持ちを読めなさすぎて苦労している子どもたちの練習と同じように、空気が読めてしまう子たちにも自分の気持ちを出せる練習ができる場を事業所で作っていきたいなと思っています。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
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