一、ハバネラ(恋は野の鳥)⑥
「テストの結果、どうでした?」
挨拶もそこそこに万堂哲人がそう訊いてきた。
「おおいに参考になりましたよ。ご協力どうも、ありがとう」
万堂は特に目立った反応はしてこなかった。
「で、今日からは何を?」
「そうね、まずは世間話でもしようかしら。あなたも、見ず知らずの精神科医になんて何も話す気にならないでしょう」
否定も肯定も返らない。私は構うことなく続けた。
「好きな女性のタイプは?」
「はは、なかなかセクハラ指数高めですね」
「あなたに言われたくないわねえ」
軽い手応えを感じたので私は万堂の目を覗き込んだ。
「たとえば髪型で言ったら、ロングとショート、どっちが好きなの?」
「ねえ、それのどこが世間話なんですか」
上目遣いになるように敢えて大きく顎を引いて、万堂が口先だけ笑った。悪くない反応。もう一歩踏み込んでみることにする。
「私はショートカットの女の子って、かわいいと思うわ。若い子は特に」
「ロングヘアの女性を目の前にして、ショートカットが好きと言い切る勇気は僕にはありませんけど?」
「あら。お気遣いありがとう」
意外と乗って来るなと感じた。ずっと黙っていられるかと思ったのだが、どうもこの男、おしゃべりなタイプらしい。口がよく回るし、何より反応が普通の人より速い。頭がいいのだろう。だがその割に学歴は高校卒業。大学へは行っていないのだという。
家庭の事情か。それともいじめとか。出身は東京都下、この年代だったら進学していない方が少数派だ。これは後で調べてから聞いてみよう。タイミングは今じゃない。
どちらにせよ喋らないよりはずっと仕事がやりやすい。たとえ本当のことを一言も言っていなかったとしても。
「性格はどう? 活発な女性と、物静かでおとなしい女性。スポーツタイプとか芸術系とか、どういう子が好きかしら」
「女性の性格なんて、僕ら男からしたらまったく判別できませんからね。おとなしそうな女の子が裏では援助交際、かと思うと派手なメイクで踊ってる女の子が処女だったりするから、ほんと何がなんだか分からないですよ」
「ふうん。処女が好きなの?」
「あはは、なんなんですか、センセ。職権乱用でセクハラしに来たんですか」
「面接の様子はすべて録音しているから、人権侵害で訴えたくなったらいつでも貸してあげるわよ。で? 処女が好きなの? それとも玄人好みかしら」
「僕の知る限り処女が嫌いな男はいないな。そして僕は男だ」
私たちの会話を録音機の隣で堀くんがハラハラしながら速記していた。
「大人しくて真面目な女性が、残業で遅くなった帰り道を狙い定めて暴行するのも、男はみんな好むのかしら」
万堂哲人の薄い口元は緩やかな弧を描いて黙っている。
ぺらぺらと私は続ける。世間話。そうだこれは世間話。
大事なのは内容ではなくて、彼の反応。見逃すもんか。
「黒髪のロングヘアの若い女の子。皆タイプが似ているのよ。やっぱり犯人はそういう女性が好みなのかしら。親切な女の子ばかりだそうよ。荷物を持って初対面の男の車まで運んでくれるような」
「初対面の男? それは軽率なんじゃないかなあ。心配ですよ」
「その男が怪我をしていたら、どうかしら。これ見よがしにギプスなんか括りつけて、申し訳なさそうに紳士的に声を掛けてくるんですって。すぐそこまでなんですが、松葉杖なものでどうしてもうまく運べなくて、って」
「へえ、松葉杖ですか」
よく考えるなあ、なんて言って朗らかに笑っている。
面接室の白い壁に天窓から差し込む太陽光が切り取られて斜めに刺さる。熱は遮断されているはずなのに、そこだけ浮かび上がったように暑く見える。スポットライトに照らされてキラキラと埃が光って見えるように。
「その上、その男、あなたみたいに奇麗な顔をしていたそうよ」
万堂の顔から微笑みは消えたが、驚きは見せなかった。
「うん。それで? だから、何」
抑揚の質は変わらない。声の圧もまったく変調しない。
たいした面の皮だこと。だんだん、チェスでもやっているような気分になってきた。
無色透明のチェス盤を挟んで。今、どっちが圧してる? 手番は、私。
「最低のクソ野郎だと思うわ」
「それは同感だけど。でもそれ、僕に関係ないよね。それから、あなたにはもっと、関係がないだろう」
「どうしてそんなことしたの」
わざと軽い調子で訊いたら即答が返ってきた。
「どうして? それを調べるのが、あんたの仕事だろ、センセ? やったかやらないかを調べるのはあんたの仕事じゃない。だけど……」
そこで言葉を切って、じっと私を見つめ返す。
「僕、ほんとにやってないからね。あんたの仕事は時間の無駄だってことだ」
「あなたがやってないのを信じるのは、私の仕事じゃないわね。弁護士にでも言いなさいよ」
「ご忠告どうも。でも僕、弁護士断っちゃったんだよね」
それを聞いて、私は目を見開いてしまった。
「え、なんで?」
「僕より頭の悪い人間に弁護されて失敗するのが、どうしても我慢ならないから。だから、あんたも僕より頭が悪いと判断した時点で僕はあんたを拒否するから、そのおつもりで」
「せいぜい気をつけるわね」
「ははは、今のところ、そんなにバカではなさそうだね。僕、気に入っちゃったよ。それにセンセも僕のこと、好きなんだろ? 分かるんだよねえ、僕。ひと目見た瞬間に僕のことを好きになる女の人って、一人や二人じゃないんだから」
またチロリと舌なめずりするその先端が、私には二手に分かれて見えた。蛇と違って真っ赤で肉厚の男の舌先。
「さっそくひとつ分析できたわ。あなた、そうとうの自惚れ屋ね。今日はここまでにしましょうか、お疲れ様」
「センセ? 今日は僕の顔、褒めてくれてありがとう。自惚れというよりは客観的事実として、僕もこの顔、奇麗だと思っているんだ。あんたは正直だと思うよ。それにあんたも、トシ食っちゃいるがブスではないよな。最近の女の人ってババアんなっても頑張って奇麗にしててえらいよね。あんたも四十路にしちゃなかなか奇麗だし、僕も努力したら抱けるかもしれないなあ。努力して欲しかったらもうちょっと色気のある服着てきなよ。ミニスカートでガーターベルトとか。ああそれか、ノーパンでもいいよ、僕は!」
ギャハハとわざとらしい声を立てて万堂はご自慢の美しい顔を思いきり歪めた。
ついに私はぽかんと口を開け、気の利いた言葉を返すことができなかった。
堀くんは無音の唇をぱくぱくさせて、職員に連行されて退室していく万堂の後頭部を見送るのに忙しく、この日は録音装置を止めるのを忘れたまま鞄にしまって研究室に戻った。
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