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「もう壁を越えていますね」と言ってくれた戦場カメラマンの渡部陽一さん~人権啓発講演会での学び~


石川県金沢市での人権啓発講演会

2025年8月30日、石川県地場産業振興センターで開催された、人権啓発講演会に行ってきました。
今回の講師は、戦場カメラマンとして知られる、渡部陽一さん!

テレビなどで何度もお見かけして、その独特な話し方とにこやかな表情から、僕は大好きな方だったので、とても楽しみにしていました。

実際の講演でも、渡部さんは、一言一言ゆっくり丁寧にお話しするのは変わらないまま、身振り手振りを交え、講演舞台を所狭しと移動してお話をしてくださいました。

いかにして戦場カメラマンになられたのか

大学の授業で先生に教えてもらったアフリカのジャングルに住むというムヴティー族の人たちに会いたい!という一心で渡航費用などの準備をし向かった先で、子どもたちが銃を向け戦っていた。そして渡部さんたちに助けを求めてきた。
学生だった渡部さんはその時何もできず、助けることができなかったけれど、帰国してから、「紛争地の子どもたちに対して自分ができることは何だろう」と考えた時に、子どもの頃から大好きだったカメラが目に留まりました。「僕にはカメラがある!現地の状況を写真で伝えれば、戦場での子どもたちの様子を写真に収めて、広く世界の人たちに泣いている子どもたちの存在や惨状に気づいて知ってもらえるかもしれない」と思ったのがきっかけ。

14歳の女の子のメッセージ、戦地の医療の現場と子どもたち

タリバーンの軍事行動に反対して女性への教育の必要性や平和を訴える活動を続けた、マララ・ユスフザイさんの話。
そしてどの戦争でも幼い命が当たり前のように奪われていく悲しさを、主に目に傷や障害を持った子どもたちの写真を映してお話ししてくださいました。

「石の上にも十五年」~続けていくからこそ見えてくるモノ~

戦場カメラマンはたった一人で戦場に向かうわけではなく、ガイドさんやセキュリティガードの人たちなど複数のスタッフでチームを作って行くのです。でも、当時フリーランスだった渡部さんは、渡航費用からスタッフさんの費用、さらには日常生活費まで、全部自分で出さなくてはならない。そのアルバイトというのが、神奈川の大きな港で、日雇いでバナナをトラックに積める作業だったとのこと。
仕事を始めた頃、何年間も写真がメディアに一枚も採用されない日々が続き、写真のお師匠さんに「またバナナ行ってきます!」と言っていたそうです。
印象的だったのが「バナナ⇒戦場⇒バナナ⇒戦場」というフレーズでしたね。

渡部さんの写真の先生が、渡部さんに言っていたのが
「石の上にも十五年」。
どんな仕事であれ、自分で納得して覚悟を決めた仕事なら、毎日コツコツ続ければ、十五年という歳月があれば、足元に(成果を)引き寄せることができる、とのこと。
それで、何十年と苦労してやっと「サンデー毎日」に写真が掲載されたときは、いろんなところで買って人に配ったりして、とても嬉しかったそう。
もちろんお師匠さんのところにも持って行ったところ、先生は
「渡部、『石の上にも四十五年、だぞ』」と言ったのだそうです(笑)。

質疑応答において出た話題

1)戦場での撮影の苦労話について

①フィルムの交換ってどうしていたの?
フィルムカメラだった時期は、フィルムの交換をしないように、両肩と服の中とに合計6台のカメラを持って行っていた。その日のテントの中で、さらに埃などの侵入を防ぐためにもう一枚(ビニールのようなもの?を)かぶり、その中で交換していました。今はデジタルカメラだけれど、今度はデスクに写真データを送るスピードが命なのだそうです。

②戦地の子どもたちにカメラを向けて怖がられないようにするには?
扱いの慣れたカメラを顔の横にもっていって感覚で操作し、にこやかな表情で声をかけながら撮影するのだそう。
「扱いが慣れたカメラなら、こう向ければどんな構図でどんなふうに撮れているかが大体わかるからファインダーやディスプレイを見なくても撮影できるんです」
とのこと。

2)戦場の最前線での撮影の日々、頭と心が分離されて平常心を失ったときはどうしていますか?

①日記をつけること&読み返すこと!
メモ紙などに思ったことを殴り書きしておいて、ノートにペタペタ貼っていくのだそう。日記ノートはアコーディオンのようになっているとのこと。
そして、ことあるたびごとに見返すことによって“生きる原動力”にしているそう。
②掃除をすること!
仕事でお世話になったおうちのお風呂やトイレ、ベッドまわりなどをとにかく綺麗にする!そうすると心が整って平常心に戻れるのだそうです。

僕の質問にも答えていただきました

質問内容

SNS…主にXには、自分の現状や社会を憂い嘆く投稿、発達障害や精神疾患を単純に“悪いもの”と決めてかかる投稿、生きていても辛いだけだから「国は安楽死や尊厳死を認めろ」などの訴えといった生きづらさ投稿が散見される昨今ですが、発達障害の一つASD(自閉症スペクトラム障害)の僕は、時々それに引っ張られてしまうことがあります。
そして、日本は平和で教育を受けることも学校へ行くことも当たり前にできますが、戦争などの外的要因ではなく、内的要因(心の負担、人間関係の不調など)からのくる登校拒否や引きこもりなどで教育を受けられない子や、自殺する子も多くいます。
戦争の現実を伝える渡部さんのお話はとても強烈で、教育どころか日常の安全さえ奪われている現状を知ると、日本の子どもたちの悩みが「なんだかとっても小さいもの」に見えてしまい、そういった子どもたちを「世界の子と比べたら甘い」と言ってしまうのは、別の苦しみを同じ尺度で評価してしまう危険な見方、というのはわかっているのですが、世界の現実を知ることで自分の環境を見直す事はとても大事なことだと思います。
今生きづらさを抱えている子どもたちや大人たちに、渡部さんならどんな言葉をかけますか?」

渡部さんの回答とお礼トーク

自分の気持ちの根っこから膨らんでくる“大好きなコト・やりたいこと”を、どんどんやってみよう(ということ)。
もう世界は事実上『No Border』。自分が得意としている大好きな道を極めていくと、同じ感覚を持った人たちと必ず世界でつながることができます。
好きだからこそ、地に足をつけて続けていくことができる。
好きだからこそ、長い間その道に肩の力を抜いて向き合っていくことができる。
好きだからこそ、その道を究めていく。熟成された円熟のジャンル問わず、大好きなことを突き抜けていく。
これこそが、日本問わず世界中さまざまな環境の中で繋がっていく大きな自信と、自分自身が組み立てていくことからできる輪郭の世界を、しっかりと握りしめる・引き寄せることができる、と感じています。
自分の好きなスタイルを、周りに輪郭として作っておくこと、好きなスタイルの環境の中に常に自分の身を置いておくこと。
これが世界日本問わずたくさんの方々が、生活の中で自信となり、一日一日、自由に・そして柔らかく、寛容の気持ちをもって広がっていける・・そんな入り口は実は身近にしっかりと組み立てていけると僕は感じました。
自分の得意分野―—これだけはもう大好きでたまらない!この“熟成のワクワク感”をぜひ味わってほしい、と思います。

僕は心の底からお礼を言い、大好きな長く続けてきたこととして、トロンボーンの演奏をあげ、2023年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演したBe Phil Orchrstraのことをお話しすると、
「ベルリンフィルですか!世界の超一流ではないですか!素晴らしいです!もう壁を越えていますね!」
と言ってくださいました。

講演会終了後‥

お帰りになる渡部さんにお会いすることができ、ツーショットと握手に応じていただきました。
「質問ありがとうございます、盛り上がりました。感謝しております」
とにこやかな笑顔で言ってくださいました。

渡部陽一さん、背丈大きかったです(ちなみに私は166cm)。

とてもよい機会に恵まれました♪
渡部陽一さん、ありがとうございました!

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