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◆ハーバル小説◆Herbal Diner Lise 97🌿ホワイトアスパラと、ヴェルヴェーヌには遠い夜


🌿あらすじ🌿

世界を旅してきた女性・リゼが営む小さなダイナー。
店の料理には、旅先で出会った味やハーブの知恵が息づいている。

常連客との何気ない会話、季節の食材、時折訪れる旅人たち。
料理を囲みながら交わされる言葉は、誰かの背中をそっと押したり、忘れていた思い出を呼び起こしたりする。

これは、ハーブと料理を通して人と人が繋がる場所――『Herbal Diner Lise』を舞台にした物語。

今日もまた、ひと皿の料理とともに、小さな物語が始まる。

今回の登場人物

リゼ ―― Herbal Diner Liseの店主。世界を旅してきた、自由で姉御肌の女性。ロゼの姉。

神崎 ―― リゼの妹・ロゼの婚約者である透の同期。長く曖昧な関係を続けていた女性に、自ら区切りをつけたばかり。

三谷 ―― ロゼのカフェの常連客。ロゼにほのかな恋心を抱いていたが、ダイナーを訪れたことをきっかけに、いつの間にかリゼの気の合う飲み仲間に。

―― リゼの妹・ロゼの婚約者。神崎とは十年来の同期であり、互いをよく知る友人でもある。

🌿 ― 決めた夜には、ワインくらいあってもいい。―  🌿

三月も終わりに近づいていた。

昼間はコートを脱いで歩ける日も増えたけれど、
夜になると、風はまだ少し冷たい。

Herbal Diner Liseの営業を終えたリゼは、
店の鍵をかけながらスマートフォンを見る。

「三谷ちゃん」

「はい」

「ホワイトアスパラ、食べに行かない?」

三谷は一瞬、黙った。

「……今からですか?」

「今だからよ」

リゼは当然のように言う。

「旬は待ってくれないの」

「またそれですか」

「食べ物に関しては一期一会よ」

「ずいぶん都合のいい一期一会ですね」

「いいのよ。おいしければ」

三谷は苦笑しながらコートを羽織った。

二人が向かったのは、
リゼが春になると訪れるワインバーだった。

大通りから少し外れた場所。

派手な店ではない。

照明は低く、
壁にはフランスやイタリアのボトルが並んでいる。

扉を開ける。

「あっ」

リゼが足を止めた。

カウンターに見覚えのある二人がいた。

透と神崎。

二人の前には白ワイン。

それから、
鯛のカルパッチョ。

「あっ、こんばんはー!」

明るい声に、
二人が同時に振り返った。

透が先に軽く会釈する。

「こんばんは」

神崎もこちらを見る。

一瞬だけ驚いたあと、
いつものように笑った。

「相変わらず二人で飲んでるんだ」

「今日はホワイトアスパラが食べたくて」

「それだけ?」

「それだけ」

後ろから三谷が言う。

「連れてこられました」

「旬は逃したら負けだから」

透がわずかに笑う。

「そうですね」

リゼは二人のグラスを見る。

「白ワイン?」

「アルザスです」

「いいじゃない」

そこまで言ってから。

リゼは、ほんの一瞬だけ神崎を見る。

いつもと少し違う。

何が、と聞かれれば分からない。

透はいつも通りだった。

姿勢も、話し方も、
グラスを持つ手も静かで無駄がない。

どんな場所にいても、
その場に自然に馴染んでしまう人だ。

神崎も笑っている。

いつものラフな調子も変わらない。

ただ。

ほんの少しだけ、
静かだった。

リゼはそれ以上見なかった。

「ねえ」

「はい」

「私たち、同席してもいい?」

神崎が笑う。

「もう座る気なんじゃないんですか」

リゼがにやっとする。

「まあね」

それから透を見る。

「だって、もうすぐ義理の姉だし」

透が一瞬だけ目を細めた。

神崎が吹き出す。

「早いな」

三谷も苦笑する。

「そういう宣言なんですね」

「いいじゃない。家族は早めに慣れとかないと」

透は静かに席を示した。

「どうぞ」

「ありがとう」

リゼはすぐ店員へ手を上げる。

「ホワイトアスパラ、四人分お願いします」


新しいグラスが並んだ。

ローヌの白。

先ほどのアルザスより、
少しふくよかな黄金色。

「じゃ、改めて」

四人のグラスが軽く触れる。

「乾杯」

ほどなくして、
白い皿が運ばれてきた。

太いホワイトアスパラ。

淡い色の茎に、
温かなオランデーズソース。

仕上げに黒胡椒。

リゼの顔がぱっと明るくなる。

「ほら、これ」

三谷が皿を見る。

「きれいですね」

「ヨーロッパの春の味」

神崎がフォークを取る。

「そんな大げさな」

「ほんとよ」

ナイフを入れる。

柔らかな白い茎から、
瑞々しい断面が現れる。

神崎が一口食べる。

「……うまい」

「でしょ?」

リゼは満足そうにワインを飲む。

「春になるとね、ヨーロッパではホワイトアスパラが一気に出てくるの」

三谷が聞く。

「そんなに季節のものなんですか?」

「そう。特にドイツね。シュパーゲルっていって、春になると待ってましたって感じで食べるのよ」

「日本の筍みたいですね」

「あ、それ近いかも」

リゼは嬉しそうに頷く。

「旬そのものを楽しむ感じ」

神崎がもう一口食べる。

「リゼさん、こういうの詳しいですよね」

「食べ歩いてるから」

「世界中?」

「行けるところはね」

「目的、観光じゃないでしょ」

「失礼ね」

一拍。

「半分くらいは観光よ」

「半分かよ」

神崎が笑った。

その笑い方は、
店に入ってきたときより少しだけ軽かった。

リゼは気づいた。

でも、
何も聞かなかった。

「春っていいわよね」

「そうですか?」

「食べるものが一気に増えるじゃない」

神崎が笑う。

「そこ?」

「そこよ」

三谷も笑った。

神崎が小さく息を吐く。

「……なんか」

「なに?」

「平和だな」

リゼは肩をすくめる。

「平和な夜も必要でしょ」


ホワイトアスパラがなくなるころ。

リゼは神崎を見る。

「神崎さん」

「ん?」

「今、何食べたい気分?」

「急だな」

「この前はチーズ選ばせたでしょ」

三谷が横から言う。

「強制でしたね」

「今日はいいの」

リゼはメニューを神崎の前へ滑らせる。

「何でもいいよー」

神崎が笑う。

「急に自由だな」

「気分よ」

神崎がメニューを見る。

リゼはそれを眺める。

なぜか今日は、

この人に選ばせたほうがいい気がした。

理由は分からない。

「あ」

リゼがメニューを指す。

「オイスターどう?」

「牡蠣?」

「そう」

三谷も覗き込む。

「いいですね」

透が静かに言う。

「このワインでも悪くありませんが」

一拍。

「牡蠣なら、シャブリの方がいいですね」

「あー、そうね」

リゼはすぐに店員を呼んだ。

「シャブリをボトルでお願いします」

神崎が笑う。

「早いな」

「こういうのは迷わないの」


氷の上に牡蠣が並ぶ。

細かく刻んだチャイブ。

レモン。

シャブリの淡い黄金色。

神崎が牡蠣を持ち上げ、
レモンを軽く絞る。

一口。

そのあとにワイン。

「……これは」

少し笑う。

「正解だな」

透も牡蠣を口へ運び、
ワインを一口。

静かに頷いた。

リゼが笑う。

「でしょ?」

しばらく、
四人は食べ物の話をした。

その流れで、
三谷が透を見る。

「この前、ロゼさんを連れて伊豆大島へ行ったんですよね?」

神崎が顔を上げる。

透は頷いた。

「ええ」

「ロゼさんのカフェで、椿が飾られていたり、明日葉茶が限定で出てましたよね」

透が少し笑う。

「そうですね」

「ロゼさん、嬉しかったんでしょうね」

その言葉に、
リゼがぱっと顔を上げた。

「えっ」

それから笑う。

「三谷ちゃんからそれ言うと思わなかったー!」

三谷が少し困ったように笑う。

「言わない方がよかったですか?」

「ううん、逆」

リゼはグラスを持つ。

「一応ね。三谷ちゃんが切なくならないように言わないでおいたんだけど」

「そこまで気を使わなくて大丈夫ですよ」

「でも、お礼言っておかないと」

リゼは透を見る。

「ロゼからね、椿油もらったの」

「椿油?」

「髪まとめるやつ。それと、フレッシュな明日葉」

神崎が笑う。

「渋いな」

「島のやつよ」

リゼは少しだけ表情を柔らかくした。

「透さん」

「はい」

「ロゼを連れ出してくれて、ありがとう」

透がわずかに目を細める。

「いえ」

神崎が透を見る。

「……透が、島?」

リゼと三谷が吹き出した。

「そうよ」

「似合わねえな」

透は静かにグラスを置く。

「ロゼさんに、季節の植物を見せてあげたくて」

最近、
少し体調が心配だったこと。

元気になってきたこと。

そして、
今の時期なら椿が一番いいと知ったこと。

「車だと難しいんですけど」

少しだけ笑う。

「都内ですし」

一拍。

「えいや、で行ってみました」

神崎は透を見る。

「……透」

「はい」

「それ、完全に溺愛じゃねえか」

リゼが吹き出す。

「ほんとよ!」

透は少しだけ困ったように笑う。

「そうですか?」

「そうだよ」

神崎も笑う。

「島まで連れてく男、なかなかいねえぞ」

透はシャブリを一口飲んだ。

「今日は、リゼさんに対する想定問答集を用意していませんので」

リゼが即座に顔を上げる。

「なによそれ」

神崎が吹き出す。

「作ってんのかよ」

「ええ」

透は平然としている。

「リゼさんに会うと分かっているときは、いつでも」

「失礼ね!」

四人の笑い声が、
小さな店に広がった。


次に運ばれてきたのは、
ブッラータ。

ナイフを入れると、
中から白いクリームがとろりと流れ出す。

「ほら」

リゼが言う。

神崎が少し笑った。

「確かに揺れるな」

そして次は、
薄切りのポルケッタ。

ローズマリー。

タイム。

細く削ったレモンの皮。

ワインも白から、
淡いロゼへ変わった。

神崎がグラスを見る。

「そういえば」

「ん?」

「ロゼさんって、なんでロゼさんっていう名前なんですか?」

「ああ、それ?」

リゼはグラスを持ち上げた。

「母よ」

「やっぱり」

「フランス好きなの」

そして、
淡いピンクの液体を見る。

「母が言ってたの」

「ロゼって、赤でもないし、白でもないでしょ」

神崎もグラスを見る。

「でもね」

リゼは続ける。

「“どっちでもない”って言わないのよ」

一拍。

「ちゃんと、ロゼって名前がある」

三谷が静かに聞いている。

透も、
グラスを持ったまま耳を傾けている。

「どんな形でも、否定しない言葉を使う文化って素敵じゃない?」

リゼは少し笑った。

「母は、そういうのが好きだったのよ」

神崎はしばらくグラスを見ていた。

そして、
ロゼを一口飲む。

「……今の」

「ん?」

「俺に沁みる言葉かもな」

リゼが神崎を見る。

「どっちでもないって言われないのって」

神崎は少しだけ笑った。

「悪くない」

リゼは何も聞かなかった。

ただ。

その言葉だけが、
少し心に残った。


「はい」

リゼが軽く手を叩く。

「次、何食べる?」

神崎が顔を上げる。

「ほら、飲もう飲もう」

「切り替え早いな」

「こういう夜は流れに任せるの」

やがて、
フルボディの赤が運ばれてきた。

深い赤。

四人のグラスが触れる。

そのあとだった。

神崎が、
ぽつりと言った。

「透さ」

「はい」

「今にも結婚しそうじゃん」

透は神崎を見る。

神崎は赤ワインを一口飲んだ。

「でも俺は」

一拍。

「ずっと、ステイ」

誰も言葉を挟まなかった。

「透にも前から言われてた」

神崎はグラスを見る。

「自分から区切り打った」

リゼの手が、

ほんの少しだけ止まった。

「大好きだったけど」

一拍。

「これじゃいけないの、分かってた」

神崎は笑った。

「でも」

もう一度、
グラスを見る。

「大好き」

静かだった。

リゼは、
ようやく分かった。

今夜。

この人が、
少しだけ静かだった理由。

嫌いになったわけではない。

振られたわけでもない。

好きなまま。

自分で、
終わらせた。

リゼは神崎を見る。

いつも明るくて。

ラフで。

冗談を言って、
場を軽くして。

人との距離の取り方もうまい。

何となく、

そういうことも器用にやる人だと思っていた。

でも。

そうじゃないのかもしれない。

好きなら、
好きなまま。

それでも、

続けるべきではないと思ったら、
自分で区切る。

リゼは、
少しだけ神崎を見る目を変えた。

かわいそうだとは、
思わなかった。

むしろ。

——ちゃんと、自分で決めたのね。

そう思った。

「ほら」

神崎が顔を上げる。

リゼはグラスを持つ。

「私も含めてさ」

肩をすくめた。

「最近って、結婚してない人多くない?」

神崎が少し笑う。

「そういう時もあるのよ」

ワインを一口。

「人生って、一本道じゃないから」

三谷が静かに言った。

「それ」

神崎が見る。

「結婚して、別れた人間としても分かります」

三谷は続ける。

「誰かを、この上なく好きでいるのに」

一拍。

「区切りを打つ」

神崎は黙って聞いている。

「それ、勇気がいることだと思います」

しばらくして。

神崎が小さく笑った。

「……慰め会だな」

リゼも笑う。

「最初からそうよ」

「知らなかったくせに」

「今決めたの」

神崎が吹き出した。

「適当だな」

「いいのよ」

リゼは赤ワインを掲げる。

「慰め会なんだから」

四人のグラスが、
もう一度触れた。


しばらくして。

透が、
さりげなく腕時計を見る。

ほんの一瞬。

けれど、
リゼは気づいた。

「透さん」

「はい」

「もういいわよ」

透が少し首を傾げる。

「あとは任せた」

神崎が笑う。

「なんですか、それ」

「だって、透さん帰らないと」

神崎が透を見る。

「ロゼさん?」

透は少しだけ笑った。

「ええ」

「ほらね」

透はグラスを置く。

「自己満足かもしれませんけど」

それ以上は言わない。

言う必要もなかった。

透は立ち上がり、
コートを取る。

神崎と三谷に軽く会釈する。

店を出る前に、
一度だけ振り返った。

「神崎」

「ん?」

「今日は飲んでください」

神崎が笑う。

「言われなくても」

透の口元が、
わずかに緩む。

そして、
店を出ていった。

あとで分かったことだけれど。

そこまでの会計は、
すでに済ませてあった。

神崎が伝票を見て苦笑する。

「……あいつ」

リゼも笑った。

「そういうところよね」

「ほんとにな」

スマートで。

さりげなくて。

それでいて、
必要なときにはちゃんと隣にいる。

きっと今夜も、

神崎が何も言わなければ、
何も聞かなかったのだろう。

それでも、

一人にはしなかった。

リゼは閉じた扉を見る。

そして。

もう一度、
神崎を見る。

さっきまでと、
同じ人。

なのに。

少しだけ、
違って見えた。

明るくて。

ラフで。

何でも笑って流せる人。

そう思っていた。

けれど。

好きな人を、

好きなまま手放すことのできる人だった。

それが正しかったのかなんて、
リゼには分からない。

きっと。

神崎自身にも、
まだ分からない。

ただ。

自分で選んだ。

そのことだけは、
分かった。

「さて」

リゼは立ち上がる。

神崎が顔を上げる。

「まだ軽くしか食べてないわよね」

三谷が笑った。

「確かに」

神崎も、
少しだけ笑う。

「そうだな」

リゼはコートを取った。

「じゃ、次行こ」

「早いな」

「こういう夜は動きましょう」

三谷も立ち上がる。

神崎も、
少し遅れて席を立った。

三人で店を出る。

三月の終わり。

春になりかけた夜の空気は、
まだ少し冷たい。

行き先は、
まだ決めていない。

歩きながら。

リゼは隣の神崎を、
ちらりと見る。

神崎は前を向いていた。

いつもと同じ。

なのに。

なぜだろう。

今夜から少しだけ。

この人の見え方が、変わった気がした。

それが何なのか。

このときのリゼは、

まだ知らなかった。

◆リゼに明日葉を届けた、ロゼと透の伊豆大島の旅 ❘ 第170話「椿の島」

◆本編にはリゼと落ち合う前の同期同士の会話も❘第185話

◆外資系ビジネスパーソンタジタジ、リゼ×神崎×三谷エピソード

◆完全に未来の義姉ムーブ、アクセスNo1ストーリー

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