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エッセイ『セックス論』作 澤檸檬

 性行為について真面目に語るのは少し照れくさい澤檸檬です。
 ですので、自分で拡散はしません。
 
 見つけた方は、ぜひ拡散して晒しあげてください。
 あ、澤檸檬を知らないという方はこちらの記事をご覧ください。
 ペン先の欠片という創作ユニットで活動しているプロのラノベ作家であり、エッセイストであり、シナリオライター。ざっくりと作家で生きています。

 さて、こんな私がセックスについて語るわけですが。
 大前提として、気持ちいことは誰しもが好きですよね。

 もちろん、セックスは愛情表現であり、パートナーとの愛の営みです。最大のコミュニケーションとも言えます。
 そこに快感が伴う行為で、目的と手段を履き違えないのは大事ですよね。

 ただ今回は『気持ちいい』に論点を置いて話をしていきますね。

 私にとって気持ちいい行為とは『自分の体で感じる快感』よりも『愛する人が喜んでくれている』ことなんです。
 どういうことか、と言いますと。
 澤檸檬は虐待サバイバーでして、幼少期から他人の顔色を窺って生きてきました。
 主に親の、ですけど。

 なので、他人が何を考えているのか、人一倍敏感に察してしまうんです。

 ここで話は少し飛躍しますが、セックスの際、主に女性が『演じている』という話はよく聞きますよね。
 気持ちいいフリをすることで、相手の欲求を満たしてあげているとか、機嫌を損ねないようにしているとか、合わせてあげているとか。そんな話があります。

 でも澤檸檬は、どうしても相手がちゃんと気持ち良くなってくれているか観察しちゃうんです。

 だから、私にとって気持ちいい行為とは『パートナーが気持ち良くなってくれていること』なんですよ。
 つまりですね、セックスとは自分が気持ち良くなる行為ではなく、相手を気持ち良くする行為なんです。
 というか相手が満足してくれれば、それが私の絶頂と同義なわけですね。

 めっちゃ自論なのですが、ここにセックスの真髄があるのではないか、とも思っています。

 前提としてセックスが最大のコミュニケーションであり、愛の営みであると置きましたよね。
 例えば、互いに『相手が気持ち良くなるように』とセックスすれば、イコール相手のことを思いやっているということになり、快感とコミュニケーション、愛の営みが両立できるんですよ。

 度々、セックスの相性の話を耳にします。
 結婚するためにはセックスの相性も大事だとか、そもそも付き合うのもセックスの相性を知ってからとか。
 でも本質的に相性なんてないと思うんですよ。体には。
 性行為の際に、相手を思いやっているかどうか、がここで語られる相性に直結しているんじゃないかなと思っています。
 相手が気持ちよくなってくれているかどうかを考え、動く。
 相性🟰愛情という図式が成り立ちます。

 ですので、例えばセックスのテクニックだとか、いろんなシチュエーションだとか、そんなものは二の次じゃないのかな、と。
 まずは自分のできる範囲で相手を思いやり、どうすれば気持ちいいのか。相手はどこでどう感じるのか。それを知るべきです。

 むやみやたらに相手を攻めるよりも、テクニックをドヤ顔で披露するよりも、丁寧に相手の体や気持ちについて知ることから始めるのが、正しいセックスなんじゃないのかなと思っています。

 作家をしていると、キャラクターの性格を『〜〜です!』と説明するよりも、動きやセリフの細かな部分で表現することが求められます。
 同じようにセックスでも、画一的にこうするのが正しい、という固定概念を持つよりも、自分の目の前にいる相手がどういう人なのか、会話や動きで把握し、それに合わせて動くことが非常に重要なのではないか、と思っています。

 長々と語ってきましたが、これが澤檸檬のセックス論です。

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