BHAGAVADGITA HOME-STUDY-COURSE バガヴァッドギーターにいたるあらすじと背景【3】
『バガヴァッドギーター』に描かれるもののひとつは、自分ではどうにもならないことに対する怒りや嫉妬、恨み。数千年経った今でも普遍な、人間の「性(さが)」。情けなさや醜さ、それゆえに心動かされるもの。
「与えられたもの」を生きる/どう受け取るか、というのがヴェーダーンタ。でもそれはとても難しくて。『ギーター』では、コンプレックスとか、今の自分ではない「何者かになろうとする」が発端となって、これでもかこれでもかとドロドロとした愛憎劇が展開する。
何がダルマ(秩序に合致してる)で何がそうでない(アダルマ)か。
個人でわかる範囲では、ダルマを選び取る意識づけをしていく。
ただ、個人を超えた・・・所謂、白か黒か、絶対悪か、と判別できないケースもある。「全体」としての秩序や視点というレベル。それをどこまで丁寧に、知識を深められるか。
結果は、行動に見合ったものが紐づいて還ってくる。だから、何がダルマかを知っていくことが必要になる。たとえば、「ちっぽけ」「たいしたことない」「このくらいは・・」は、あくまで私の主観。辛いとか一見不利益な選択であっても、全体を考えてダルマを選び取れるか。自分に直接関係が無い出来事や人であっても、巡り巡って繋がったり影響し合うことがある。この世の中で全く繋がっていない出来事や人は居ないのではないか、というほどに。

◆パーンダヴァたちの生還
誠実で徳が高い人物であるダルマプットラは、ドゥルヨーダナたちに唆されて賭け事地獄に陥り、全てを失う。兄弟たち(パーンダヴァたち)も追放される。
パーンダヴァたちは12年間を森で過ごし、あと1年をヴィラータの王国で名前を伏せて暮らした。彼らは王国の返還を主張、しかしドゥルヨーダナは、それを頑なに拒んだ。ドゥルヨーダナは、13年間にわたり権力を掌握。権力は腐敗する。
対するパーンダヴァたちは、戦争を極力回避しようとしながら訴えを起こした。戦争はアダルマであり、ダルマな方法を実現させようとした。しかしながら、ドゥルヨーダナにとっては権力=自分であって、権力を少しでも失うことは自分の喪失を意味する。自分を保つことができない。
クリシュナが説得に入るも、ドゥルヨーダナは拒絶した。ドゥルヨーダナのことを、「砕くにはあまりにカタイ木の実」(=馬鹿者)と表現してるのが秀逸。。
どうにか戦争を回避したいクリシュナ。最終的に、兄弟たちの母でもあるクンティに願い出る。
ここでもダルマかアダルマかという話があって、状況や立場によってそれぞれの言い分があり、判別が難しくなる。ヤスパースの「多様な世界像」=世界像は複数存在する という話とも繋がる。
ドゥルヨーダナによる権力の腐敗を看過することは、王国統治の問題というだけではない。正義か悪か、つまり、ダルマの問題。パーンダヴァたちが正当な統治者であるのに、それを不当な手段で奪い取っている状況は、アダルマである。
