BHAGAVADGITA HOME-STUDY-COURSE バガヴァッドギーターにいたるあらすじと背景【2】
◆バガヴァッドギーターにいたるあらすじと背景
『バガヴァッドギーター』は、登場人物が多いのもあってちょっと難しい。ただ、そこに捉われてしまうのではなく・・バックグラウンドとして描かれていることを観ていく。人の欲や執着、嫉妬、ダルマとそれに反する行為(アダルマ)、何を祈るか・・。人間の「性(さが)」に目をつぶらずに、情けなさや醜さ、それゆえに心動かされるもの。知る必要はあるのではないかと思った。
◆ドゥルヨーダナの嫉妬
クリシュナの時代、二つの派閥における大規模な争い。それが、バガヴァッドギーターの背景。クル王族の、ダルタラーシュトラの100人の息子たち VS パーンドゥの5人の息子たち。
パーンダヴァたちのほうが優秀だったので、ドゥルヨーダナとその兄弟たちは嫉妬して彼らを殺そうとした。両者は、いとこ関係。パーンダヴァたちは、従兄弟たちの嫉妬を理解し受け止めようとしていた。
次の王位は、ダルマプットラが継ぐことになっていて、国民も祝福していた。眼が見えないドゥルヨーダナは、それにも嫉妬。自分にはどうにもできない障碍に対し、怒りを持っていた。ドゥルヨーダナは「自分が王位を取りたい」とずっと思っていて、工作しようとしていた。ドゥルヨーダナは、ついにパーンダヴァたちの暗殺計画を実行する。
障碍や家柄といった、自分ではどうにもならないことによって、自分が本来得られたであろう地位やチャンスが得られない。それに対する怒りや嫉妬、恨み。普遍的な感情が描かれている。
ドゥルヨーダナの暗殺計画を知ったヴィドゥラは、パーンダヴァたちに注意を促した。ヴィドゥラは、優秀で誠実なダルマな人物。王族ではないが大臣を務めて貢献した。
ドゥルヨーダナは、パーンダヴァたちを屋敷に閉じ込めて火を放つ暗殺を計画していた。さらに、ドゥルヨーダナは計画が漏れるのを防ぐため、屋敷の大工職人たちも殺している。それを知ったヴィドゥラは、屋敷に脱出用の穴を拵えてパーンダヴァたちを逃がした。火事の後に発見された遺体は、大工職人たちである。
パーンダヴァたちは逃れたものの、ドゥルヨーダナの間者に発見されたらまた狙われてしまう。そのため身分を隠して潜伏。数年を経て、パーンダヴァたちが生きていることが発覚。
クル一族の長老たちは、王国をふたつに分けることで混乱を収束させようとした(本来ひとつであるべき国を分割するのは、秩序にそぐわないアダルマな判断ではある)。生産性のある土地がダルタナーシュタラたちへ。生産性のない土地がパーンダヴァたちへ。パーンダヴァたちに与えられたのは やせ細った枯れた土地であったけども、努力し豊かな豊穣と都を成した。
ドゥルヨーダナは、お金を分け与える役割と責任を担った。その財源は、彼が憎むダルマプットラのもの。ドゥルヨーダナは散財に努めた(宿敵の財布だから。。)。それによって人々への恵みが増えたことで、ダルマプットラの評価が上がってしまう結果になってしまう。「こんなはずじゃなかった」とドゥルヨーダナは思っただろう。でも、「与えたら還ってくる」のだから。パーンダヴァの繫栄を観ることは、ドゥルヨーダナには耐えられないものだった。
ここから物語は急転する。
シャクニはドゥルヨーダナに対し、パーンダヴァたちのひとりであるダルマプットラを、賭け事(ダイスゲーム)に誘うようにアドバイスした。

◆ダイスゲーム:ダルマプットラの弱点
このエピソードに象徴されるのは、人間の弱点や美徳。ダルマプットラほどに人徳がある人物でも、ギャンブルに転ぶという話。
シャクニは、ダイスゲームに細工をしていた。それに気づかず何度も乗ってしまうダルマプットラは、王冠も王位も王国も兄弟も失い、妻も、彼自身も失う。ダルマプットラの弱点は賭け事で、それによって大きな犠牲を払い、全てを失うこととなった。ダイスゲームの負けは負けなので、パーンダヴァたちもそれに異を唱えることはできない。
ダイスゲームで国を賭けるな。
◆パーンダヴァたちの追放
長男のダルマプットラは、兄弟たちに慕われていた。パーンダヴァたちは相手を倒す力もあったけど、ゲームの負けは負けなので、それを認めずに仇討ちするのはアダルマな行いではある。
ダルタナーシュタラたちはパーンダヴァたちにビビッて、パーンダヴァたちが失ったものをすべて返し、ぜんぶなかったことにしよ!と言い出した。でも、ドゥルヨーダナは納得しない。もういちどゲームをすることで王国の統治について決着させよう、と。でもって、それもダルマプットラが負けたので・・・パーンダヴァたちは12年間を森で過ごし、あと1年をヴィラータの王国で名前を伏せて暮らすこととなる。

◆所感・めも
・「戦争は絶対にしてはならない」は自明のこと。ただ、立場や状況によって「何がダルマか」は揺らぐこともある。極論すると”完全な悪”は現実としては殆どないのかもしれない。何が、秩序・道徳に沿ったものなのか=ダルマなのか。そうではないもの(アダルマ)なのか。哲学者のヤスパースは「世界像」を唱えた。自分だけが持つ「世界像」が絶対的ではなく、多様な世界像が共存するのが世界である。それを認め合うために話し合いを、と。ただし、それも「ダルマ」という秩序が前提でなくてはならない。いちばんわかりやすいのは「人が人の命を奪うのは、あってはならないこと」で、それを上回る論理は無い。
・賭け事は、ヴェーダーンタで「アダルマ」とされる。でも、「ダルマ」な人物とされてきたダルマプットラが、賭け事に転ぶ。仕事熱心・真面目・誠実etc.とダルマを持つ人であっても、弱点があり、誘惑に負けることがあり、足元を救われることはありうる。現代に至っても多く起こりうること。
そうした人間の生々しさがあるから、『バガヴァッドギーター』は人と引き付ける。。
・賭け事しない人間にとっては賭け事そのものにポジティブなイメージを持っていないことも多い。一方で、ギャンブル好きには自分なりの言い分があるわけで。千春は、競馬については「勝ち負けではない。浪漫を買う」と熱っぽく語っていらした。何事も、本人にはそれなりに言い分があるということを教えてくれる千春。
・『バガヴァッドギーター』の登場人物は、障碍や身分・境遇に苦しむエピソードも多い。自分の素質と「与えられたもの」が見合っていない。また、他者との比較によって嫉妬したり争いを起こす。こうした「今の自分の否定」は、ヴェーダーンタの教えと反する。「与えられたもの」を生きる、どう受け取るか、というのがヴェーダーンタ。「現世を自分が納得して引き受ける」という考え方は、光一さんの「”生まれ変わっても自分になりたい”と言える選択や生き方をしたい」に通じると思う。
『バガヴァッドギーター』では、コンプレックスとか、今の自分ではない「何者かになろうとする」が発端となって、これでもかこれでもかとドロドロとした愛憎劇が展開する。。
