BHAGAVADGITA HOME-STUDY-COURSE バガヴァッドギーターにいたるあらすじと背景【5】
🌸Gita Dhyanam Chanting
私の心の動き、無自覚な・・或いは悩んでの選択は、過去に存在した人々と重なるものであるのかなとか。人間の根源。
歌舞伎もそう。歴史上の出来事を模していたり創作であっても、時代も型をも超えて、私たちの日常に重なる何かがある。
◆戦いは宣言された
善を選ぶ、誠実である、道徳的である。そういったダルマを選択しなければならない。ただ、頭ではわかっていても、道を外れてしまう弱さを、人間は持ち合わせている。だから、それを伝えるために『ギーター』の物語がある。ドゥルヨーダナ側につくのは、アダルマである。でも、自分が賛同しないことによる不利益や恐怖から、アダルマを選んでしまう人々がいる。ダルマに従って生きることができなくなってしまう現実。
どのような時代・社会においても、ダルマを常に選び取れる人は少数である。誰もが本質的に理解しているダルマなのに、そこから離れてしまう。
しかしながら、水の流れは上から下へと決まっているように、社会にはなんらかの秩序が存在する。つまり、失われないダルマがあり、徳の高い人々はパーンダヴァたちに味方した。

◆ツケの清算(仕返し)
ギーターが始まろうとしている。
幼いころからドゥルヨーダナにはひどい仕打ちをされ続けてきた、アルジュナ。彼はそれをすべて覚えていたものの、彼の御母さんが「復讐をしてはいけない」と説いていた。しかし、ここに於いての決定的な出来事によって、アルジュナは決意をする。※ちなみに、武器を発動するには、マントラで神様を呼び出すことが行われていた(水の神様や火の神様)。
アルジュナは12年間を森で過ごすあいだに、たくさんの人と出逢い、そして武器の準備をしていた。ダルマに反した行いを連ねてきたドゥルヨーダナに対して、アルジュナの復讐は「ダルマのための戦い」である。おおくの戦争は双方がアダルマであるけども、ここではパーンダヴァたちがダルマを貫くためのものだった。
戦争は本来アダルマであり、起ってはならない。ただ、今回に於いてはダルマを取り戻すための機会であり、武器の準備や鍛錬が有益なものであったと示すことであると、アルジュナは考えていた。
いよいよ、戦争が始まる。
◆アルジュナの悲しみ
アルジュナがこの戦争に於いて殺そうとする相手とは、もともと、彼が共にありたいと思っていた人々だった。それを目の当たりにして認識したとき、アルジュナは膝から崩れてしまう。自分側にも相手の軍隊にも、自分の親戚や親愛なる人たちがいる。ダルマを取り戻すための戦いとはいえ、それは本当にダルマなのか?
一方、ドゥルヨーダナや彼の兄弟はダルマに反した、アダルマな生き方をしていた(たとえ同じ惨状を観ても、受け取り方が違うので、話が通じない。。。)
しかし、ドゥルヨーダナたちを倒そうとすると、一般市民を巻き込んでしまう。戦争は、市民一人一人のダルマを破壊すること。彼らはもともと兵士ではなく、ただただ「盾」になるための民間人。「この国を支えてきた偉大な市民」なのに。戦争に勝ったところでそれはダルマではない、とアルジュナは気づく。
これが、ギーターの始まりである。
自分が求めていたものが、本当にそれで叶うのか。そもそも求めていたものは何なのか。その問いに向き合う瞬間。
現代も、いままさに各地で紛争や戦争が起こっている。
戦争は「外側の現象」として具現化されたものであるけど、まず人間の内側の混乱がある。内側の混乱・アダルマが、外側の混乱として現れている。
