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深夜の実験室に降臨した恐怖の悪魔(後編)

※前編はこちらから

武器の入手

とっさに、実験室入り口に殺虫剤が置いてあったことを思い出す。
当然黒い悪魔はサーバー室に入った時点で見失ってしまっている。

サーバー室はガラス張りで外はよく見えるが、ヤツの姿は見えない。サーバーのファンの音が大きく鳴り響く室内では、外でヤツがたてる羽音に耳を澄ますこともできないわけ。

静かにサーバー室の扉を開け、耳を澄ます。

何も異常はない。さっきのスズメバチはわたしの睡眠不足の脳が見せた幻覚だったのかもしれない。そうであってほしい。しかし、やがてすぐ近くで重低音の羽音が響き始める。

慌てて扉を閉めてサーバー室に戻ると、その扉の前をゆうゆうと黒い悪魔が通り過ぎ、実験室内を我が物顔で右に左に飛び交っているのが見える。

ヤツが入口と反対側に姿を消したとき、サーバー室の扉を乱暴に開けて実験室の入口にむかう。

赤いスプレー缶が見える。わたしはついに武器を手にした。


「ハエ・アリ退治用」



・・・おわった。



いや、諦めるのはまだはやい。

やつも昆虫だ、同じものがきくだろう。
ここであったが運の尽き。子どもの時ハチにさされたことがあるわたしは、もう一度さされるとアナフィラキシーショックで死んじゃうかもしれない。
うらむんじゃないぞ。

反撃の時

普段あまり殺虫剤なんてつかわないけど、わたしの印象は、黒の衝撃「タロウさん」があらわれたとき、1撃噴霧すると、ものの数分でよろよろとくらがりから出てきて、そのままくるりとひっくりかえる・・・というものだった。

やつらの神経系を不可逆的に乱すわけである。

武器を手にしてにじりよる・・・

ひとまず、わたしは悪魔の飛び去った方向ににじり寄り、姿も確認せずにスプレーを3秒くらい噴霧した。

静かに時がすぎる。

もしかしたら物陰で滅びたのかもしれない。そうであれば今回のエクソシストとしての仕事は終わりだ。

実験室の定位置の椅子に戻り、実験ノートに今回の事件をメモする。

わたしの実験ノートは実験に必要なことを詳細に記すのはもちろん、「日記コーナー」も充実させることをモットーにしている。
これはちゃんと意味があって、実験の時の詳細な思い出を呼び起こす助けになるんだ。そして、それをきっかけとして、実験ノートに顕には記載していない情報を連想して思い出し、データを考察する上で重要な役目を果たすこともたまにあるわけ。

しかし、まだ油断をしたわけではない。なんといってもハエ用だ。ヤツの装甲を貫いた確信はもてない。

ゴツッ・・・・

あの音だ!
やはり悪魔はまだわたしを眠らせてはくれないらしい。
あ、いや、わたしが眠っちゃったら実験がいろんな意味で終わる

わたしは殺虫剤のスプレーをもち、音のなる方に近づく。

・・・いる!

ヤツはラックの隙間で飛ぼうとして実験機器にぶつかり、すぐに壁にしがみつき直し、ジッとしている!

わたしにはまだ気が付いていないらしい。

タロウさんを処理するときと同じ気持ちで、一歩ずつ近づく。

まだ悪魔は微動だにしない。わたしはスプレー缶を静かにむけ、反対の手で十字を切り、そして・・・ノズルに指をかけた。

アーメン!成仏せいやぁぁぁ〜〜〜〜〜!!(ドスのきいた声を心の中で)

かみさまほとけさまごせんぞさま!

何教だ!わたしは無神論者というほとでもないが、少なくとも不可知論者。
何にどう祈りを捧げればこの状況を打破できるかなどわからない。

ぶ厚い装甲

ブシューーーーーーーッ!!

確実にヒットした!相手がタロウさんなら、このまま5秒くらい噴霧するところだが、まさかの事態が起きた。

悪魔はわたしの攻撃に気がつき、手にした小刀にもみたないであろう攻撃力の「ハエ・アリ退治用殺虫剤」のスプレー缶めがけて一直線に飛んできた。

🐜🪰  < 🐝

わたしは慌てて噴霧をやめ、地面に尻もちをついた。
・・・しまった。この体勢では、逃げられない。

しかし、確実にわたしの攻撃がヒットした手応えはあった。ヤツもすぐに落ちるかもしれない・・・そんな淡い期待は裏切られ、大きなスズメバチは一直線にわたしの方に向かってくる。

意思があるのか?わたしがスプレーを噴霧した張本人だということをこの昆虫は理解しているのだろうか。そもそもスプレーが噴霧されてきた方向がなぜわかったのだろう。まさか物理までも理解している!?

走馬灯にもにた複雑な思考がわたしの睡眠不足で狂った脳裏を駆け抜ける。

バシッ!

呆然とするわたし

ヤツはわたしの白衣の肩のあたりにヒットして、一歩も動けないわたしを嘲笑うかのようにコースを変えてまた他のサーバーラックの隙間に姿を消した。しかし、重低音・・・そして、ゴツッ・・・ゴツッ・・・と何かにぶつかる音は続いている。

わたしの攻撃はやつの装甲を貫くことはできなかったのだ。

しかし・・・この殺虫スプレーは精神攻撃である(神経を攻撃するという意味で)。攻撃を繰り返すことに十分意義はあるだろう。スプレー缶を上下に振ると、まだ内容量はたくさんありそうだ。

わたしはゆっくりと立ち上がり、悪魔に立ち向かう決意を新たにした。

武器を構えて再度音のなる方へ向かう。すぐにその姿を視界に捉えることができた。次はもっと直撃させなくては。

眠気でバグったわたしの脳はついさっき経験した恐怖を十分に誤魔化してくれた。

先ほどよりも素早く近づいていき、スプレーを噴射した。
再度直撃する。すぐに羽音を立てて飛び立ったが、今度は照準を逸らすことなく、冷静にスプレーを噴射し続ける。多分こわい目をしていたと思う。

黒い影はわたしから離れる方向に飛んでいった。

射程範囲外に達したと判断したわたしはスプレーを噴射を止める。確実にやつを視界に捉えたままだ。

エージェントスミス顔負けの無表情でスタスタと近寄り、再度スプレーを噴射する。ヤツはわたし目掛けて飛んでくるが、どことなく力がない。ついにセラミック装甲をも貫いたか。わたしは動線から数歩脇に避けて身を翻し、
そのまま襲撃を避ける。

エージェントスミス顔負けのポーカーフェイス

やれる。

ヤツを視界にとらえ、正確に目標をセンターに入れてスイッチ。
襲撃はすばやく身をひるがえしてかわす。
深夜のマタドールが実験室に華麗に舞った・・・いや、わたしなんだけど。

攻撃をかわし、追い詰めて、反撃する・・・

激しい物音を立てながら、幾度とない攻防が繰り広げられた。

やがてその時がくる・・・。

弾薬切れ

スプレー缶のノズルから力無く「シュコー」と情けない音が聞こえ、残液が噴霧されることなく、ぽたぽたと垂れる。弾薬切れだ・・・。

ヤツはまだ宙を元気に舞っているように見えた。やはりハエとオオスズメバチでは格が違ったのか。まさか殺虫スプレー1本をほぼ全弾命中させたのに、攻撃が通らないとは・・・。

やれるだけのことはやった。わたしはスプレー缶を床に起き・・・その場に崩れ落ちた。


ゆっくりとサーバー室の扉を潜り抜け、ソファで眠る学生の横に座った。

「わたし、やれるだけのことはやったよ・・・」



こいつ・・・いまだに微動だにしない。生きているのだろうか。むしろ、黒い悪魔の第1の被害者だったりしないだろうな。

すー、すー

気持ちの良さそうな寝息だ。
もうこの学生はあてにしないことにしよう。

勝利の時

サーバー室からガラス越しに外をみる。もちろんわたしはヤツを目で追うことを諦めてここに入ったのだ。しかし、実験のサンプル交換のタイミングはやってくる。加速器から供給されるビームをとめ、そして照射室でサンプル交換をしなくてはならない。

何か武器を持たねば不安だったわたしは、そこにあった柄の長いホウキを1本装備してサーバー室から外に出た。

静かだ・・・。

もちろん装置を冷やす甲高いファンの音は大きくなり響いているのだが、激しいスプレーの音も、重低音を響かせる羽音も聞こえない。わたしはビームを止め、ホウキを装備したまま照射室に入り、実験に必要な作業を終え、定位置に帰ってきた。

いる。

ヤツがいる。

ビームを出すためには、そこの制御盤で作業せねばならない。その制御盤の前の床にヤツがいる。貴重な実験の時間をあまり無駄にできない。

悪魔はわたしが近づいていることには気が付いていないようだ。

無意識にわたしはホウキを高く上段に構え、そして剣道2段の腕前で素早く、そして力強くやつに向かって振り下ろした!!

ホウキがあたった、わずかに羽音が聞こえる。ホウキのはけの中に間違いなくヤツはいる。わたしがホウキをかかげればきっとにっくき攻撃の主であるわたしに反撃してくるに違いない。

離してはいけない。

かといって、追加で攻撃をする手段はない。

その時、ホウキの脇からヤツがもがきながら出てくるのが見えた。
今度こそ終わった。這い出ることができるのか。本当にでかい。短い人生だった。あと半日もすればあたたかいベッドで眠ることができたのに。

・・・だが、よくみると様子がおかしい。

わたしはほうきをそっと持ち上げてみた。ヤツは羽ばたいてはいるが飛べないようだ。歩くのもままならないようで、地面でもがいている。

そう、ハエ・アリ退治用のスプレー1本分の攻撃はヤツについに作用していたのである。

しかし、足元にヤツがいるまま作業はしたくない。わたしはほうきをかまえ、ゴルフスイングのようにして、ヤツを修士の学生がねむるサーバー室の入口に弾き飛ばした。

ナイスショット

重たい音がしてサーバー室の扉にゴツッとぶつかってそこでヤツはだんだんと動きを弱めていった。

朝、学生が起きてきた時、びっくりさせてやれ。そして武勇伝を語ってやるんだ。

そんな思いがオオスズメバチをその場所に弾き飛ばしたに違いない。

わたしは照射室にビームを送り、そして「女子専用」の仮眠室に向かって静かに歩みを進めた。眠るためではない。実験室で実験参加者全員が眠るわけにはいかない。そこへ向かうのは、戦いを終えた心を鎮めるためだ。

翌朝

サーバー室でアラームがなり響いている。学生が自らアラームをセットしていたようだ。入り口の扉の前では黄色と黒に彩られた悪魔が物言わぬ骸となって鎮座ましましている。

学生はゆっくりと起き上がり、サーバー室から静かに出てきた。

悪魔の骸に気がつくことなく。

わたしは自分の仕掛けた必死のイタズラが作用しなかったことを知ったが、2回の仮眠を学生に与え、自分はほぼ3日徹夜の状態になっていたのでがっかりする気力すらなかった。

「いや〜、初日と違って実験が平和に進んでよかったです。ここからは僕にまかせてください」

平和だと・・・

「あとは、まかせたよ・・・」

わたしは正午に終わる実験の最後の仮眠のために仮眠スペースのベッドに向かい、アラームをセットして泥のように眠った。

実験終了

アラームが鳴り響く。わたしはちょっと頭痛を感じながらベッドから起き上がり実験の定位置に向かう。修士の学生だけでなく、学部の学生も来てくれていた。

そして、サーバー室の前の骸をわたしが戦いに使ったホウキでつついている。

「どこから迷い込んだんですかね〜。なんかこいつがしんでたんですよ」

「ころした・・・」

「え・・・」

「ころした・・・」

床に転がる殺虫スプレーを指差しながら。

「わたしがやりました・・・」

「えええ〜!ハエ用の殺虫スプレーって、ハチにも効くんですね。」

「まあ、1缶全部噴射したからね。」

「全然気がつきませんでした」

ふふ・・・。そうでしょうとも。わたしは優しく微笑んで、
「こういう汚れ仕事はわたしに任せなさい。」
と告げた。

こうやって、わたしは彼らのなかで畏怖の対象となっていったのである。

あがめよ・・・

おしまい!!

おわりに

いや〜、どうだった?たったハチ1匹との戦いだったけど、たしかスプレー缶1本使い切るまでに2時間くらいは戦ってたんだよ。あれって、ハチ専用のスプレーだったらもっと早く決着がついてたのかな。

いやぁ、本当に怖かった。でも、だんだんと戦闘モードに入っていく自分がわかったんだよね。わたしって結構怖い人間なのかも。

でもさ、実験もうまくいき、オオスズメバチにも勝った。これはもう、ハッピーエンドだよね!

それじゃ、また次の記事で会いましょう!サラダバー!!

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