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忌み地 第六章 亜美 ②

 引っ越し以来、寿晶が冷たくなった。メールに返事をくれないだけでなく、退社後の逢瀬にも応じなくなった。寿晶を会社の廊下で捕まえて、なぜなのかと問いただすと、あっさりと別れると言い出したのだ。

「アタシ、別れないからね。子供だって産むからね!」

「こんな話、会社でしないでくれよ。誰が聞いてるかわからないだろ」

「会社でしか、寿晶、話を聞いてくれないじゃない」

「とにかく、別れよう。堕ろす金も出すからさ」

「堕ろさないからね、絶対!」

 急に冷たくなった理由を聞きたくて仕方なかった。寿晶の中でどんな変化が生じたのか不思議でならなかった。それとも、結花子にばれたのだろうか。面倒くさい女になりたくなかったのに、気付けば寿晶に何通もメールを送っている自分がいた。

 寿晶が変なの、と結花子から何度目かの電話がかかってきた。あまりにもしょっちゅうで気が滅入る。寿晶の様子が変だと言い始めてもう一ヶ月が過ぎた。なんでも相談してね、という社交辞令が通用しないのは困った。結花子はこちらの都合など気にもしないで電話をかけてくるのだ。今日も散々寿晶の愚痴を聞かされた。それに加えて、家で妙なことが起きて怖いと言い出す。聞いてみれば、家鳴りか何かとしか思えないことばかりだ。悪夢だって慣れない土地に行けば見る可能性だってあるのに、同情してほしいのか、やたらとその話ばかりしてくる。

 こちらはその愚痴に対して、気のせいだとしか言い様がない。そのことに気付いてほしいが、あまりにもしつこいので、思わず知人の知り合いのことを言ってしまった。

「霊が見える人がいるよ。壱央って言うんだけど」

 おかしなことが起こっているとあれほど言っていたくせに、いざとなると、急にうたぐり深くなって、断られた。一体どうしてほしいのかわからない。

 それから二、三日も経たないうちに、結花子から電話があって、泊めてくれと言われた。家に帰りたくないと泣いている。仕方なく、家に泊めることにしたが、夫婦げんかに巻き込まないでほしいと思った。どうも家で起こる奇妙なことや寿晶の奇行が恐ろしくなって飛び出してきたらしい。財布とスマホしか持たずに車で来たのには亜美も驚いた。

 とうとう亜美は結花子に妊娠のことを明かした。堕ろせと言われていることも言った。同情しているが内心は優越感に浸っているだろうと、亜美は思った。その後、結花子は家が怖い、引っ越したいと言い続けた。

 いい加減面倒くさくなって仕方なく、壱央をもう一度勧めてみる。壱央とは面識はほぼないのだが、もしかすると相談に乗ってくれるかもしれないと思ったのだ。今度は結花子も壱央に相談すると言い出した。相手には迷惑なことかもしれないが、泣き続ける結花子が面倒くさくなって壱央と連絡を取った。

 存外に壱央は親切で人のいい男だった。結花子の家に一緒について行ってあげると言われ、調子に乗った結花子に亜美も来てとしつこくねだられた。まさか初対面の壱央に結花子のお守りを頼めるはずもなく、仕方なしに土日を結花子のために潰すことになった。それに寿晶と話をするチャンスかもしれない。

 相変わらず結花子の家はかび臭い。あれから掃除もしてないのだろうか。内心そう思いながら、居間に荷物を置いた。壱央は奥にある客間に通されて、てっきり一人で居間で寝るのだと思っていたら、結花子が一緒に寝ようと言い出した。中学生か、と思いながら承諾すると、結花子は子供のようにはしゃいで、布団を持って来た。

 夢を見た。悪夢だ。喉がカラカラに渇いていた。台所で水を飲んだ後、トイレに行ったら、仏間に明かりがともっている。覗いてみたら寿晶の様子がおかしい。友達ってなんのことだろう。声をかけるのが怖くなって居間に戻った。 

 翌朝、結花子に寿晶のことを話したら、見るからに困惑していた。あれが寿晶の奇行なのだろう。仏間の一件以外は寿晶の様子は普通だったので、結花子のいない間に捕まえて、おなかの子供のことで、亜美は寿晶を詰った。

「あなたの子供なんだよ、もっと心配してよ」

 そこへ結花子が居間に入ってきた。まさか聞かれたのかと警戒したが、結花子はまるで何も聞いてなかったかのように振る舞っている。絶対に聞いていたはずなのに、結花子の態度には得体の知れなさがあった。この家に越してきてから、二人ともどこか薄気味悪い。

 寿晶たちが起きてきて朝食を済ませると、壱央が仏間を見たいと言い出した。結花子が率先して壱央を仏間に通す。ふすまを開けると床の間に置いてある不気味な日本人形がこちらを見ている。一体どれくらいあるのだろう。数えてみると四十一体あった。

 壱央が一番奥の木彫りの人形を手に取ったので、亜美もそれに触れようとして掴んだが、人形の感触に驚いて取り損ない落としてしまった。木彫りの人形の感触があまりにも生々しく、まるで幼い子供のようだったからだ。生温かくてぐにゃりと力が抜けた子供の重さと感触が手に残って気持ち悪い。落とした瞬間、寿晶が怒鳴った。

「おまえら、帰れ! もう二度と来るな!」

 人前ではいつもは穏やかな寿晶が怒鳴ったのに、亜美は心底驚いた。人形のことで本気で激怒する様子は尋常ではない。戸惑っていると、壱央が帰りますと言って支度を始めた。仕方なく亜美もそれに従う。

 寿晶はどうしてしまったのだろう。全てこの家のせいなのか。それとも結花子の言うとおり人形のせいなのか。どっちにしても亜美には判断が付かず、心残りはあったが、壱央と共に列車に乗った。

 列車の中で、亜美は壱央に訊ねてみる。

「あの人形、おかしかったですよね?」

「そうですね。まるで人間の子供みたいでした。人形が受肉したみたいで……。あの家にいるのは子供の霊です。座敷童のような存在なんですけど、もう少し探らないとはっきりと断言できないですけど」

「それにしても、結花子に電話番号なんて教えたら、鬼電してきますよ」

「そうなんですか」

「覚悟してたほうがいいですよ」

 余計の世話かもしれないが、結花子を知らない人はあの執拗さに驚くと思ったのだ。

 結花子からの電話が途切れるようになったのは、きっと壱央のおかげだろう。霊を見たとか変な音を聞いたとか、そういうことを話されても亜美は困惑するだけだ。壱央が霊に関すること全て引き受けてくれたに違いない。心から清々して、亜美はスマホを手に取り、寿晶に電話したが、絶対に電話に出てくれない。留守番設定も解除されたようで、何も伝えることが出来ず、会社でも避けられている。亜美に出来ることは自分でも嫌になるほど、寿晶に電話をすることだけだった。

 もう絶対に繋がらないんじゃないかと思った夜、電話を切ってため息をついたところで、寿晶から電話が来た。すぐさまその電話を取り、やっと繋がったことに安堵した。しかし、それもつかの間、すぐに電話は切られてしまった。

「寿晶?」

 なぜ切られたのか見当も付かない。時計を見ると夜中の零時を回っている。結花子が言っていたじゃないか。夜中になると寿晶が仏間に閉じこもり人形と話をしていると。もし、今も寿晶が仏間にいるとしたら、電話をしてきたのは果たして寿晶なのだろうか。そう考えて亜美はぞっとした。もしかすると、結花子にばれてしまったのかもしれない。しかし、すぐに開き直る。亜美が捨てられたように結花子もいずれ寿晶に捨てられるのだ。むしろ、捨てられたほうが小気味いい。

「あんたも捨てられればいいんだ」

 亜美は憎々しげに言い放ち、かけ布団の上にスマホを放った。

 なんだか毎日、体が怠くて仕方ない。夜もぼんやりとしか覚えてないが悪夢を見ている。結花子を斜め上から見ている夢を見ることもある。あるときは、結花子の足にすがりついている夢も見た。そういうときは必ず、呪詛のように、「結花子を苦しめたい」と念じている自分がいた。

 ある日結花子が入院したという話が亜美の耳に入った。寿晶が上司にそう言って早退したのを同僚が見ていたのだ。入院と聞いて、亜美はほくそ笑んだ。九ヶ月という身重の体で入院と聞くと、早産や流産を想像してしまう。亜美は悲しみに暮れる結花子を見るためだけに翌日有休を取り、見舞いに行った。

 だから、結花子が無事だったことに内心落胆した。しかも結花子の態度がどこかしら冷たいので、なんとなくあの電話は結花子だったのだと悟った。もうばれたなら遠慮することはない。でも、寿晶を取り合って修羅場になるのは醜い。絶対に醜態をさらしたくない。寿晶なんてこちらから捨ててやる、と亜美は鼻で笑った。おかしくなった男なんて興味ない。亜美にとって寿晶はすでに愛している男ではなく、結花子に対する当てつけに過ぎなくなった。

「おなか大きくなったよねぇ」

 同僚が亜美の腹を見て感心したように言った。

「後は予定日に生まれてくれるかどうかよね」

 幸せな気持ちで亜美は呟いた。誰もこの子は誰の子だとは聞かない。いつ結婚するのだとも。深入りしない関係性に、亜美は安心していた。あと数日で予定日が来るが、ギリギリまで働くつもりだ。亜美の頭の中はおなかの子と仕事のことでいっぱいだった。だから、会社で寿晶に声をかけられて、心底驚いた。しばらく見ないうちに寿晶は変わり果てていた。昔のような魅力的な容姿は影も形もないし、嫌悪感を抱いてしまうほど気味が悪い。

「何」

 話しかけられたこと自体迷惑でしかなく、しかも、会社で、というのが最悪だった。

「ちょっと話があるんだ」

「アタシにはないから。今更よりを戻したくなっても無駄だし」

「いや、そういうわけじゃないんだ。少し話を聞いてほしいんだ」

 卑屈な笑みを浮かべる寿晶に嫌悪感が湧く。

「おなかの子についてなんだよ」

「何。今更父親面するつもり?」

「そんなことはしない。どうしても聞いてほしい話があるんだ」

「一体、何なの」

 なかなか理由を言わない寿晶にしびれを切らして、少し声を荒げた。

「ちょっと付き合ってくれ。すぐそこで話すから」

 渋々寿晶の後ろを付いていき、ビルの外に設置された非常階段に出た。鉄扉が音を立てて閉まってから、一体なんの用だ、と言いかけた。

「その子がどうしても必要なんだよ」

 亜美はすっかり油断していたのだ。まさか、痩せ細った寿晶に首を絞められるとは思ってもみなかった。

#創作大賞2025   #ホラー小説部門

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