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屍喰い蝶の島 三月二十日 ④

「ここの神主、住職と同じ話でもするのか? 時間の無駄だったな」

 交野にこそこそと話しかけたが、心ここにあらずといった表情を浮かべていて、夜須の言葉に返事をしなかった。

 しばらくすると、ポットと急須を持って神主が戻ってきた。やはり茶請けも今度は籠に盛ってきた。

 かなり長く話すつもりなんだろうか、と夜須は辟易したが、シジキチョウの情報を得るには神主に調子を合わせないといけないだろうと諦めた。

「どこまで話したかな……そうそう、養和の飢饉。他の島も飢饉で苦しんでいたんですが、志々岐島だけ鯨で飢饉を食いつないでしのいだ逸話から、屍食島と書いてしじきじまと呼ばれるようになって、今の志々岐島になったんやそうです」

 舌が滑らかになると、甘いものが欲しくなるのか、客のために出したはずの茶請けに神主は手を伸ばし、笑みを浮かべてながら、一口でまんじゅうを頬張った。

 いつまでも志々岐島の由来を聞かされるのかと思い、時間の無駄だと判じて、帰ると言おうとしたとき、やっと神主がシジキチョウのことを話し出した。

「ただねぇ、志々岐島の由来、シジキチョウと縁が深い気がするのですよ。島民が鯨の肉を食うとシジキチョウが屍を喰うのとだと、うちは蝶のほうが先や思うんですよね。シジキチョウは死体の肉を食うからね。この島に移住した昔の人は、さぞかし不気味に思うたろうねぇ」

 やっぱり死体の腐汁を吸うのではなく、喰うのか? 交野もそれとなく言っていたが、本当だったのかと夜須は興味を覚えた。獣の腐汁を吸う蝶なら他にもいる。あの細い口吻でどうやって水死体の肉を喰うのだろう。第一、何に期待して自分はこのしけた島に来たのか。それは、シジキチョウが動物の腐汁ではなく死体を食うと聞いたからだ。夜須に従順な交野が自分に嘘をつくわけがない、と思い込んでいたせいだ。

「水死体を喰うと言いましたが、どうしてそんなことが分かるんですか」

「普通そう思いますよね。だけどねぇ、水死体に細かな穴が開いてるんですよ。まるで蝶が花の蜜を吸うように、シジキチョウは蝉のように口吻を死体に突き立てて肉をすするんですなぁ。シジキチョウが群れた後の水死体は見るも耐えられん姿になると聞いていますし、実際に見もした。いやぁ、小さな穴が無数に開いてるのはぞっとしますね」

 腐汁ではなく死体を貪るのかと思うと、急に夜須は神主と話すのが苦痛ではなくなった。そんな蝶など類を見ない。本当に新種の蝶かも知れない。

「その蝶はどこに行けば見られますか。幼虫とか卵を見たことがありますか?」

 そうすると、神主は眉を下げて残念そうに答える。

「それは島の人はみんな知らんのやないかなぁ。わしも小さい頃は友人と一緒に幼虫やら探いたことがあるんですけど、見つかりませんでしたし、島に調査に来た先生方も結局諦めて帰ったし……」

 夜須は残念そうに肩を落としたが、諦めきれずに訊ねる。

「シジキチョウは水死体しか喰わないんですか。山で死んだ獣を喰うことはないんですか」

「今までの経験上、碧の洞窟付近で上がる水死体に群がっている話はよう聞くが、神部山で見たという話は聞かんですなぁ。それより、面白いものがあるんですよ。見ていきませんか」

 急に神主が浮ついた声音で座敷の端に置かれた掛け軸を取りに立ち上がった。夜須が訪ねてきたときにはすでにそこに置いてあったので、元からその掛け軸を見せるつもりだったのだろう。やたらと声が弾んでいるので、住職が言っていた生首の掛け軸なのは確かだ。

 早速神主は、掛け軸を鴨居に引っかけて、するすると開いていった。

 少し幅広の一幅には、ざんばら髪で無精髭の生えた二級の生首が描かれていた。カッと見開いた生首の目玉がまるで夜須自身を睨んでいるように見える。歯を食いしばり、唇が歪んでいる。血こそ描かれていないが、妙に生首が写実的なだけに斬り口の肉のめくれ具合まで生々しい。生きたまま斬られたように見えた。

「これ、宗順が書いたと聞きましたが」

 夜須の言葉に神主が目を輝かせる。

「そう。ここに筆名があるんです。ただ、宗順はこれを絵画としてみなしてなかったようで、落款を押してませんし、書かれた元号もわざと消してあるんですよ。これが何のために描かれたのか分からないですけど、だれかに見せるために描かれたんだと思うんですよね。いくつか説はありますけど、誰にもどれが正しいか分からないんです」

 夜須の返事を待たず、神主が続ける。

「でね、この生首の掛け軸、宗順が沖の島の寺に身を寄せていた間に描かれたものらしいんです。九相図の依頼があって、この島まで来たようです。ほら、淨願寺の九相図。多分あれを描くためでしょうねぇ」

 神主はさも自分事のように自慢した。

「ですが、この絵はテレビでも紹介されて、当時十六歳やったうちも出演したんですよ! この生首の目が動くってね。当時は蝿か何かが止まっていたのを見間違えたんやとか言われたですけど、この目、どこから見ても、こちらと目が合う気がするんですよ」

 夜須は午前中にガイドで耳にしたご落胤と家来二人の話を思い出した。

「ご落胤の伝説を聞きましたが、それがこの掛け軸ですか」

「そうでなくとも歴史的にも貴重なものですけど、いかんせん元号が消されていますから……」

 神主が残念そうに眉を下げた。

「でも、ご落胤と家来二人ならば、首級が三つないとおかしくないですか?」

 伝説では、三人の首が切られたとある。それが本当の話ならば、掛け軸の首は三つないと伝説と異なる。

 夜須の言葉に神主がのんびりと答える。

「おそらくね、ご落胤の首級は別の掛け軸に描かれていて、家来の首級の絵だけが、なぜか源氏に引き渡されず、この神社に保管されたのかと」

 それを聞いて、夜須はご落胤の逸話を真実ではない、と断定した。なぜなら、もしこの掛け軸が本物なら、ご落胤の首級の絵が残されていてもおかしくない。実際には平家のご落胤など存在せず、作られた伝説なのだ。

 ただ、その後自死した娘を先頭にご落胤と家来の怨霊が志々岐島を練り歩いているという話は、まさしく御先様のことなのだろうと思った。

 鵜来島のミサキは、海で行き逢った船を沈める、海の妖怪だ。御先様と一番近い妖怪は、七人ミサキ、七人同行などと呼ばれる存在だ。御先様の場合、七人の亡霊はいないが、分類としては前述の妖怪と似ている。

 行き逢うと海に牽かれて死んでしまうという点も、行き逢い神とされる七人ミサキと同じだ。

「御先様は一体何人怨霊を引き連れているんですか?」

 必ずしも七人でなくても良い。現に長宗我部元親を含む八人の武士が殉死して怨霊となった七人ミサキは、何故か八人ではなく七人とされる。名前通りに七人という決まり事ではないのだ。

「そうですねぇ、娘とご落胤とその家来二人。これは言い伝えですけど、源氏の夜須七郎に命じられてご落胤達の首を刎ねさせたのは、和田津集落の惣領とその息子や言われてます。この二人は怨霊に祟られて海で亡くなり、御先様の行列に加わったのです。だから六人なんですねぇ。娘を先頭にご落胤と家来二人、惣領親子の順番で並んでいると伝えられています」

 志々岐島の御先様はひとり足りないパターンなのかと納得して、この逸話を研究論文に書いていれば、もっと完成度が上がっただろうな、と夜須は悔しくなった。もう少し早く、論文を提出する前にこの話が聞けていれば良かったのに、と三月に入ってから連絡してきた交野に腹が立った。

「それにしても、何故二十二日だけなんですか」

「そりゃ、おまえさん、ご落胤が首を斬られたのが二十二日だからですよ。それで、自分の首が斬られたのを恨んで怨霊になったんです。同じように二十二日に集落で行き逢った島民の一人を海に牽いて殺し、首をぐんですよ。まぁ、今は島民が二十二日に海で亡くなることはないです。その前に外を出歩いたりもしないんですけどね」

「じゃあ、今は誰も死んでないわけですね」

 すると、神主が複雑そうな表情を浮かべた。

#創作大賞2025   #ホラー小説部門

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