髭剃りのない朝が欲しいだけなのに
朝の洗面所は、僕にとって小さな戦場である。
鏡に映る寝ぼけた顔を睨みつけ、冷たい水でバシャッと顔を濡らす。顎から鼻の下にかけて、指の腹を逆に滑らせる。ザラリ、と硬い感触が返ってくる。ひと晩でこれだ。放っておけば、こいつらは好き勝手に伸びていく。その不快な感触を確かめると、カミソリを手に取る。
ジャッ、ジャッ。
鏡の向こうで、僕の顔の上を五枚刃の鋭利な兵器が滑っていく。
本来、髭剃りという行為はもっと神聖で、儀式的なものらしい。
あるメーカーの推奨する「正しい髭剃りの手順」を調べると、おおむね次のような工程になる。
まずは洗顔して皮脂や汚れを落とし、ぬるま湯や蒸しタオルで髭を柔らかくする。次に髭の生える方向を確認し、シェービング剤をたっぷりと塗る。そして力を入れず、まずは毛流れに沿って優しく順剃り。剃り残した場所だけを慎重に逆剃りし、最後に洗い流して清潔なタオルで拭き取り、化粧水や乳液で保湿する……。
やってられるか、である。
ぬるま湯で行うところを僕は冷水である。一行目からすでに不合格だ。そんなに僕の顔はVIPなのか。朝のたった数分を争う僕に対して、メーカーは理容室を一軒開こうとしてくる。いや、エステサロンか。
だから実際の僕の工程は、極めて野蛮だ。
「顔を濡らす」「剃る」の二工程である。
ヒリヒリしたときだけ、気休めに乳液を塗る。この乳液はもはやスキンケアなどではなく、肌が赤くなってから慌てて駆けつける「事故処理班」のようなものだ。しかも現場に着くのがだいたい遅い。
ただ、昔テレビで見た「細かく動かすと肌を傷つけるから、長めのストロークで剃りましょう」という教えだけは、なぜか数年も律儀に守っている。洗顔も蒸しタオルもシェービング剤も省くくせに、長めのストロークだけは律儀に実行する。これでは、教科書を読まずに欄外の豆知識だけで試験に挑む学生のようなものである。
それにしても、カミソリの替え刃というのはどうしてあんなに高いのだろう。
節約しようとドラッグストアの隅っこにある安いカミソリに浮気したこともある。これが見事に安いなりだった。引っかかる、剃れない、二度も三度も同じ場所を往復する羽目になる。イライラするうえに肌まで荒れた。
結局、ジレットやシック、貝印といった高い価格帯の間違いないモデルに戻るのである。特にジレットが頭ひとつ飛び抜けていると感じるので、我が家のメインウェポンになっている。
新品の替え刃をおろした日は、それはもう最高に気持ちがいい。するすると氷の上を滑るように剃れるし、潤滑剤らしきもので肌を守ってくれる。
ああ、新品とはこういうことか、と感動する。
ところが、一度使った瞬間から「あと何回使えるだろう」というカウントダウンが始まる。替え刃をホイホイ交換できるほどの財力は、僕の財布にはない。新品の気持ちよさを知っていながら、今日もいける、まだ明日もいけると、ついついケチケチと同じ刃を使い続けてしまうのである。
メーカーさんは替え刃の交換を「二週間が目安」なんておっしゃる。こちらは同じ一枚に、定年後の再雇用までお願いしているというのに。
いつだったか、カミソリ刃クリーナーというシリコン製のゴムを買ったことがある。その上で刃をシュシュッと動かせば汚れが落ち、刃が長持ちするという。僕は勝手に、新品同様の切れ味が蘇る錬金術のようなものを期待していた。
たしかに少しは長持ちした。しかし、新品に戻るわけではない。切れ味が落ちていく下降線の角度が、わずかに緩やかになるだけだった。
やがてそのクリーナーも使わなくなり、今では使い古しの歯ブラシで刃の間を掃除している。まだいける、いやもう引退させてやれ、という脳内会議を毎朝繰り広げている。まぁ、最終的な人事権は、だいたい財布が握っているのだけれど。
「じゃあ、電動シェーバーにすればいいじゃない」
そう思うかもしれない。
実は以前、ヘッドで三つの円盤が回転する、いかにも未来的でかっこいいやつを買ったことがある。箱を開けたときのワクワク感、流線形のボディ、三つの刃が描く幾何学模様。ガジェット好きとしてはたまらないフォルムだった。
これで毎朝、ウィーンとスマートに髭を剃れる。僕の朝は劇的に変わるはずだった。
意気揚々とスイッチを入れ、頬に当てた瞬間である。
「ギーーーーン!」
全身の毛が逆立った。
うっかり銀紙や金属スプーンを噛んだときのような、あの嫌な振動が顎の骨を伝い、頭の奥まで駆け上がってきた。
僕の脳内発電所は、金属スプーンだけでなく、電動シェーバーにまで営業範囲を広げていたのである。
電動なら面倒から解放されると思ったがダメだった。高い買い物だったのに、とんだ大失敗である。
あれ以来、電動シェーバーが怖くて使えない。他社製なら平気なのかもしれない。でも、またあのギーーーンが来るかと思うと、恐ろしくて手が出せない。
ならば、いっそ古典的な一枚刃はどうだろう。
ネットを見ていると、時折、一枚刃のクラシカルでかっこいいやつに心が動くことがある。重厚な金属の輝き、専用のスタンド、そこはかとなく漂う職人の香り。製品写真を眺めているだけで、「大人の男の道具」という感じがして猛烈に欲しくなる。しかも替え刃が安い。
頭の中では、薄暗いホテルの洗面台で、静かに髭を剃るジェームズ・ボンドのような自分が現れる。ダンディズムの極みである。
しかし現実には、僕のような不器用な人間がそんなものを扱えるわけがない。最初の一往復で顎をスッパリ切り、二往復目で鼻の下を切り、三往復目には血だらけになって妻のトラ子さんが救急箱を持って駆けつけてくる未来が、ありありと見えるのだ。
「それ、髭を剃る道具なの?」
トラ子さんなら、たぶん聞くだろう。
「そうだよ」
「顔の皮まで剥かない?」
絶対こう言われる。ダンディズムの妄想はそこであえなく終了した。
とまあ、ここまで髭との壮絶な戦いを長々と語ってきたわけだけれど、ここでひとつ白状しなければならないことがある。
そもそも、僕は髭が濃くないのだ。
むしろ薄い。薄いというか、まだらなのだ。
ワイルドな髭に憧れた時期もあったけれど、生えないものは生えないのだ。伸ばしたところで「髭のある男」にはならず、ただの「剃り忘れた男」になる。
頬と顎の部隊がいつまで経っても合流しない。口髭も中央でぷっつりと途切れている。僕の髭には、国家をつくるほどの領土も、国民もいなかったのである。
それなのに僕は、世界最高峰の五枚刃を使い、シリコンで刃の寿命を必死に延ばし、一枚刃のダンディズムに憧れているのである。
毎朝、ほとんどいない敵に対して、最新鋭の高級兵器を構えて戦っているこの徒労感たるや、どうだろう。大砲で蚊を撃つようなものである。
いっそのこと、脱毛してしまいたい。
それは美容のためでも、清潔感のためでもない。
僕は髭のない顔が欲しいのではない。髭剃りのない朝が欲しいのだ。
洗面所で毎朝繰り返される、この徒労に満ちた五分の仕事を、人生というプロジェクトからきれいさっぱり廃止してしまいたい。それだけなのだ。
そう思ってネットで脱毛の料金を調べてみたら、ジレットの替え刃どころの騒ぎではない金額だったので、そっとブラウザを閉じた。
明日も僕は、顔をバシャッと濡らして、定年退職を先延ばしにされた五枚刃の兵器を手に取るだろう。そして、あのテレビの教えだけを律儀に守り、長く、ゆっくりと引くのだ。ほとんどいない敵に向かって。
僕の髭の勢力は圧倒的に弱い。
しかし悲しいかな、僕の決断力と財布の紐もまた、それに負けないくらい弱いのである。
相生エッセイ
▽ 「ギーーーーン」となる脳内発電所のお話はこちらです。
▽ note創作大賞2026に応募したエッセイ作品はこちらに収録しています。ぜひ読んでみてください。
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