僕の口の中には、発電所がある
わが家の食卓には、僕しか使わないスプーンがある。
透明なプラスチック製で、コンビニで弁当を買ったときにもらうような、ペラペラで頼りないやつだ。僕のものは百均で買ったものだが食器としての貫禄はほとんどない。
これで手作りのカレーやプリンを食べると、なぜか給食の試食係にでもなったような、妙に侘しい気分になる。
別に僕が、極度のプラスチック愛好家というわけではない。好き好んでこんなチープな装備でカレーの海に漕ぎ出しているわけではないのだ。
実は、ある日を境に、僕はあの「金属の普通のスプーン」に感電するようになってしまったのだ。
大げさな話ではない。本当に、感電するのだ。
人間という生き物は、ある日突然、わけのわからない拒絶反応を示すことがある。僕の場合は、それが「金属のスプーン」だった。誤解しないでほしいが、ユリ・ゲラーに憧れてスプーン曲げに失敗したトラウマがあるわけではない。
始まりは一本の銀歯だったのだろうと思う。
ある日の夕食。妻のトラ子さんが作ってくれたカレーライスを、いつもの銀色のスプーンですくって口に入れた瞬間だった。
「キーン!」
脳天から足の先まで、細い稲妻が猛ダッシュで駆け抜けた。背筋がブルブルッと震え、全身の毛穴がキュッと閉まるような、あの不快感。
「ひいぃぃーっ!」
僕は思わずスプーンを取り落とし、身悶えした。
「ど、どうしたの?」
トラ子さんが、目を真ん丸にして僕を見ている。
「ス、スプーンが……僕に電撃を食らわせたんだ」
「えっ? スプーンが?」
子供のころ、おにぎりを包んでいたアルミホイルをうっかり噛んでしまったときの、あの身の毛もよだつ戦慄。あれが十倍になって口の中で爆発したのである。
なぜこんなことになったのか。
あとでネットで調べてみると意外なことがわかった。
唾液という電解液を挟んで、銀歯とスプーンという異なる金属が触れ合うと、「ガルバニー電流」なる微弱な電気が発生することがあるという。どうやら、僕の口の中に超ミニチュアの電池、いや「小さな発電所」が建設されてしまったらしいのだ。
まぁその発電量はごくわずかで、わが家の電気代には何ひとつ貢献してくれないというのに、僕を震え上がらせる仕事だけは、じつに熱心にこなしてくれる。まったく、余計な機能である。
トラ子さんに「ねえ、僕の口の中、今なら豆電球くらい光るかもしれないよ」と報告してみたが、「光りゃしないけど、かわいそうねえ」と呆れながらも、ちょっとだけ同情してくれた。
それ以来、僕の食卓には静かな戦いが続いている。
最初は「噛まなきゃいいんだろ」と思っていた。銀歯に直接当たらなければセーフなはずだ。そう思って、口の右側だけでそーっと食べてみたりした。
しかし、人間という生き物は、一度強烈な不快感を覚えると、脳が勝手に先回りして学習してしまうらしい。金属スプーンが歯に近づいただけで、体が勝手に防衛本能を働かせ、「あいつが来るぞ!」と緊急警報を鳴らすようになったのである。
接触しなくても、スプーンの冷たい感触が唇に触れるだけで、遠くから勝手に感電する。もはや、発電所は口の中だけでなく、僕の脳内にまで支店を出してしまったらしい。
被害はどんどん拡大していった。
テレビの食レポ番組で、芸能人が美味しそうなケーキを金属のスプーンでパクリとやるシーン。あれを見ただけで、僕の背筋はゾワゾワと泡立ち、「ひいぃぃーっ」とブルブル震え上がる。
梅干しを見て唾液が出るように、脳が勝手にあの電流を再生してしまうのだ。
「あらあらあら、また見ちゃったねえ」
トラ子さんは笑いながら同情してくれるが、食レポ番組を見るたびに勝手に感電している夫というのも情けない。僕の脳内発電所は、絶賛フル稼働中である。
おかげで、テレビに金属スプーンが登場すると、僕は料理ではなく、その先端ばかりを見張るようになった。
そんなわけで、僕は金属を諦め、プラスチックや木製のスプーンに逃げる日々を送っている。
でも、これがまた悩ましい。
極上のカレーを食べても、「深夜のコンビニの駐車場で食べてる感」がどうしても拭えない。どれだけおいしいカレーでも、百均の透明スプーンですくった途端、スーパーの試食という肩書がついてしまう。
しかも、スプーンには味がないはずなのに、プラスチックという素材が「味気なさ」をトッピングしてくる。
ならばと、次に木製スプーンを試した。
これなら温かみもあるし、チープさもない。いける! と思ったのだが、木製ゆえの「厚み」が邪魔をする。
確かに、木の温もりは素晴らしい。でも、口に入れた瞬間、食べ物より先にスプーンの存在感が口いっぱいにモッサリと広がるのだ。コンマ数ミリの厚みのせいで、カレーのルーがスムーズに口内に滑り込んでこない。
チャーハンなんて最悪だ。米粒のパラパラ感を味わう前に、木のしゃもじを舐めているような気分になる。アイスやケーキもそう。うまく掬えないという根本的な問題もあるのだけど、口に入れた瞬間、食べ物よりも先に「あ、今、木をくわえてるな」というスプーンの存在感が勝ってしまう。
僕はただ純粋に美味しいものと向き合いたいのに、間に「木」がドーンと居座っている。僕の口内センサーは、むだに精密らしい。
絶妙な薄さと硬さを持った金属スプーンの、あの舌触りと口から抜けていく計算され尽くしたフォルム。失って初めて、あの銀色のヤツの偉大さに気づかされた。
外食も厄介になった。
スプーンで食べる料理を箸で食べればよさそうなものだが、「シェフがスプーンで食べることを想定して作った料理を、箸で食べるなんて失礼じゃないか」などと余計な気を回してしまう。
料理人はそこまで気にしていないだろう。分かっている。それでも僕は、頼まれてもいない食べ方の作法を、勝手に背負い込んでしまう。
かといって、「箸をください」の一言もなかなか言えない。そこで僕は食べたいものではなく、箸で食べられるものを選ぶ。メニューを見ているようで、実際には食器一覧表を見ているのだ。
どうにかして、この僕だけの試食会から抜け出せないものか。
夜な夜なネットの海を彷徨っていると、同じような悩みを持つ先人たちの書き込みを見つけた。
「チタン製スプーンなら大丈夫でした!」
チタン! なんて響きのいい言葉だろう。高級腕時計や宇宙船にも使われるという、軽くて丈夫な魔法の金属。人体との相性がよく、金属特有の味も少ないという。
これだ!
ついに、僕の口内発電所が閉鎖される日が来たのだ。
お値段は一本千数百円。スプーンとしてはお高いが、これで平和なカレーライフが戻ってくるのなら安いものだ。
しかし、調べてみるとチタンでも駄目だったという人がいた。画面の隅に、たった一つの星が寂しく光っている。
僕はマウスを握ったまま、絶縁体のように固まった。
救世主にも個人差があるらしい。
チタンは金属である。たとえ電気が起きにくくても、スプーン特有の光沢や冷たさを唇が感じた瞬間、僕の脳が「あ、金属だ! 放電しろ!」と先走りする可能性はじゅうぶんにある。
そうだ、問題は僕の脳内発電所にあるのかもしれない。
だとすれば、今度の買い物で試されるのは、チタンの性能ではない。僕の脳が、見慣れない金属を見逃してくれるかどうかの心理戦なのだ。世の中、使ってみないとわからないことだらけである。
頭の中で、いろんな僕が緊急会議を始める。
「宇宙のロマンを信じようぜ!」と叫ぶチタン推進派。「どうせダメだ」と怯える反対派。「千数百円あれば、美味しいプリンがいっぱい買えるのに」と嘆く現実派。
収拾がつかない。
そもそも、チタンってどんな味がするんだ。いや、金属だから味はしないはずだけど、僕の脳内発電所は、すでに「チタンさん、いらっしゃいませ。いつでも発電できますよ」と準備体操を始めている気がしてならない。
こうして、僕は今日もチタンに手を出せずにいる。
買ってみるか。いや、千数百円を払って再び感電したら、スプーンばかりか、チタンという未来まで嫌いになってしまいそうだ。
そんなことを考えながら、夏の夜、僕は木のスプーンで器に入った角切りのスイカをすくっている。何度か追いかけ、ようやく一切れが分厚い匙の上に乗った。
口の中の発電所は、今日も静かに、そして厳重に警戒中なのである。
ただし脳内に移転した支店では、まだ見ぬチタン製スプーンの開業審査が、現在も慎重に続けられている。
相生エッセイ
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