オモロ13 第4話 返した金は誰の金だ
文・武智倫太郎
ホワイトハウスでは、また金の話をしていた。
アメリカは金の話が好きだ。
特に、自分が払っていないことになっている金の話が好きだった。
ドナルド・トランプは、関税について何度も説明してきた。
外国が払う。
中国が払う。
アメリカは儲かる。
トランプの頭の中では、非常に分かりやすい話だった。
ところが、その関税の一部が裁判でひっくり返った。
政府は徴収した金を企業へ返し始めた。
1000億ドル。
約16兆円である。
孫正義は、豆腐を一丁、二丁と数えるような調子で、1兆円、2兆円の夢を語る。
100兆円。
1000兆円。
時価総額1京円。
数字だけ聞いていると、兆円の方が豆腐より安そうに思えてくる。
それでも、実際に社債を発行して市場から現金を集めるとなれば、数百億円、数千億円という単位になる。
ところがトランプは違った。
1000億ドル。
約16兆円。
3ヵ月で返した。
孫正義なら、その金額だけで30年くらい未来を語れる。
トランプは返した。
しかも、返したそばから新しい関税をかけようとしている。
10兆円。
20兆円。
この男の世界では、その程度の金額は話の途中で消える。
孫正義が兆円を豆腐のように数える男なら、ドナルド・トランプは国家予算を豆腐のようにひっくり返す男だった。
トランプはテレビを見ながら、スマートフォンを手にした。
『オモロ』
返事はない。
『オモロ』
『何や』
『1000億ドル返したぞ』
『知っとる』
『約16兆円だ』
『それも知っとる』
『すごいだろう』
オモロ13が黙った。
『何だ』
『……お前、孫正義より桁の感覚壊れとるやんけ』
『誰だ、それは』
『知らんでええ』
『有名なのか?』
『向こうも超A級候補や』
『何の?』
『驚きの方や。お前とは別競技や』
『私は超A級のボケになる』
『まだ候補や』
トランプは気に入らなかった。
『1000億ドル返しても候補なのか』
『誰に返したんや』
『アメリカ企業だ』
『誰から取った金や』
『外国だ』
沈黙。
『何だ』
『ちょっと待て』
『何をだ』
『今、頭ん中で整理しとる』
『お前はAIだろう』
『AIでも無理なもんはある』
『何が分からない』
『外国から取った金を、なんでアメリカ企業に返しとんねん』
トランプは鼻を鳴らした。
『最高裁が返せと言ったからだ』
『そこちゃう』
『何がだ』
『誰が払ったかの話しとんねん』
『外国だ』
『ほな外国に返したらええやんけ』
『アメリカ企業が払った』
オモロ13が黙った。
『おい』
『……ええ』
『何がだ』
『ええ味出しとる』
『私は事実を説明している』
『そこが天然の怖いとこや』
『私は天然ではない』
『外国が払った金をアメリカ企業に返した言うて、本人だけ何もおかしいと思てへん』
『実質的には外国が払った』
『“実質的には”いう言葉、便利やなあ』
『事実だ』
『今日は俺だけやとツッコミが足らんな』
『お前は笑いのExpertだろう』
『せやから分かるんや』
『何が?』
『これは経済に強いツッコミ要るわ』
トランプの顔が曇った。
『専門家ならいる』
『側近はあかん』
『なぜだ』
『お前にクビにされたないからや』
『では誰だ』
『お前に遠慮せん奴や』
『そんな奴を、なぜ私の前に連れてくる』
オモロ13の声が低くなった。
『覚えとけ。第10の掟や』
『また増えたのか』
『ツッコミは味方にやらすな』
『なぜだ』
『忖度するからや』
『私は誰にも忖度させていない』
『今のがもうボケや』
スマートフォンの画面に名前が出た。
ELIZABETH WARREN。
トランプの顔が歪んだ。
『断る』
『まだ何も言うてへん』
『呼ぶな』
『もう呼んだ』
『何?』
『ええツッコミは鮮度が命や』
その日の午後。
エリザベス・ウォーレンは、なぜ自分がホワイトハウスへ呼ばれたのか分からないまま部屋に入った。
トランプがいた。
机の上にスマートフォンがあった。
ウォーレンはトランプを見た。
トランプはウォーレンを見た。
二人とも、相手が先に帰ればいいと思っていた。
スマートフォンから声がした。
『ほな、始めよか』
ウォーレンが周囲を見た。
『誰?』
『オモロ13や』
『何者?』
『笑いのExpertや』
ウォーレンはトランプを見た。
『とうとうコメディアンを雇ったの?』
『私は雇っていない』
『この男は俺のボケや』
『誰がボケだ!』
『ほら始まった』
ウォーレンは眉をひそめた。
『私は帰っていい?』
『あかん』
『あなたに許可を求めてない』
『ええツッコミや』
『何の話をしているの?』
『関税や』
ウォーレンの表情が変わった。
『それなら話はある』
トランプが腕を組んだ。
『聞こう』
ウォーレンは書類を机に置いた。
『関税で企業から取ったお金を、政府が返しているわね』
『裁判所がそう言った』
『1000億ドル規模よ』
『非常に大きい。私の関税は何でも大きい』
『そこ、自慢するところじゃないでしょう』
スマートフォンから声がした。
『ええで』
二人が同時に振り向いた。
『黙ってろ』・『黙ってて』
一拍。
『……もう息ぴったりやんけ』
『違う!』・『違う!』
二人の声が揃った。
オモロ13は何も言わなかった。
言う必要がなかった。
ウォーレンがトランプに向き直った。
『あなたはずっと、関税は外国が払うと言ってきた』
『その通りだ』
『でも返金を受けるのはアメリカ企業よね』
『そうだ』
『なぜ?』
『アメリカ企業が払ったからだ』
『じゃあ外国はどこに行ったの?』
トランプが止まった。
スマートフォンから声がした。
『……ええツッコミしよる』
『これは討論だ』
『ちゃう』
『何が違う』
『討論やったら、もうちょい理屈ある』
ウォーレンが吹き出した。
トランプはスマートフォンを睨んだ。
『お前はどちらの味方なんだ』
『笑いの味方や』
『私は大統領だ』
『知らんがな』
ウォーレンが続けた。
『もう一度聞くわ。外国が払ったなら、なぜアメリカ企業に返すの?』
『企業が最初に払って、その負担を外国が負う』
『どうやって?』
『関税だからだ』
『説明になってないでしょう』
『私は関税の専門家だ』
『それも説明になってない』
『私は大統領だ』
『もっと説明になってない』
『完璧や』
トランプが怒鳴った。
『何が完璧なんだ!』
オモロ13は答えた。
『夫婦漫才や』
部屋が凍った。
ウォーレンがスマートフォンへ近づいた。
『誰が夫婦よ』
『そこや!』
『何がそこなのよ!』
『ツッコミの反射速度がええ』
トランプが言った。
『私には妻がいる』
ウォーレンが即座に返した。
『そこじゃないでしょう!』
『三段落ちや!』
『勝手に落とさないで!』
『今日からお前らコンビや』
『断る』・『私も断る』
『ほら』
トランプが言った。
『何がほらだ』
『また揃った』
ウォーレンは椅子に座った。
帰ればいい。
だが、帰るとトランプに負けたような気がする。
トランプも同じだった。
誰も結婚していない。
仲も良くない。
むしろ悪い。
オモロ13にとって、そんなことはどうでもよかった。
夫婦漫才に戸籍は要らない。
間があればいい。
『ほな次や』
ウォーレンが言った。
『まだやるの?』
『1660億ドル取った』
『そう』
『1000億ドル返した』
『そう』
『残りは?』
トランプが答えた。
『必要なら返す』
『じゃあ、なんでまた新しい関税をかけるのよ』
『別の関税だからだ』
『同じ財布から取るでしょう』
『違う法律だ』
『払う人は同じでしょう』
『外国だ』
『だから、さっきからアメリカ企業が返金されてるじゃない!』
『来た!』
二人が止まった。
『何がだ』・『何がよ』
『夫婦漫才で一番強い型や』
『何だ』
『嫁が家計簿持ってきよった』
ウォーレンが机を叩いた。
『誰が嫁よ!』
『今のええわ』
『私は上院議員よ!』
『肩書は舞台に持ち込むな』
『何の舞台よ!』
『ホワイトハウスや』
トランプが割って入った。
『ここは私のホワイトハウスだ』
ウォーレンが返す。
『国民のものでしょう』
『私が住んでいる』
『ホテルじゃないのよ』
『ええ!』
『何がいい!』
『もっと続けえ』
ウォーレンはトランプを指さした。
『そもそも関税は輸入業者が払うの』
『中国が払う』
『輸入時に小切手を切るのは中国政府じゃないでしょう』
『最終的に中国が負担する』
『どうやって?』
『価格を下げる』
『下げなかったら?』
『企業が負担する』
『アメリカ企業でしょう』
『一部は』
『消費者価格に転嫁したら?』
『企業の判断だ』
『アメリカ人が払うじゃない!』
トランプは机を叩いた。
『中国が払う!』
『アメリカ人よ!』
『中国だ!』
『アメリカ!』
『中国!』
『アメリカ!』
スマートフォンから声が飛んだ。
『テンポ落とすな!』
二人が同時に叫んだ。
『うるさい!』・『うるさい!』
一拍。
オモロ13が言った。
『……今日イチ候補や』
ウォーレンは頭を抱えた。
『なんで私がこんなことを』
『才能や』
『いらない』
『欲しい言うて手に入るもんちゃう』
トランプが勝ち誇った。
『私には才能がある』
『お前は天然や』
『私は超A級候補だ』
ウォーレンがトランプを見た。
『何の?』
オモロ13が答えた。
『ボケや』
ウォーレンはうなずいた。
『それなら納得できる』
『納得するな!』
『ええツッコミや』
トランプが立ち上がった。
『もういい。彼女を帰せ』
『あかん』
『なぜだ』
『お前一人やとボケが散らかる』
『私は散らかしていない』
ウォーレンが書類を指した。
『関税だけで十分散らかってるわ』
『君には関係ない』
『上院議員よ』
『民主党だ』
『関係ないでしょう』
『私の敵だ』
『せやからええんや』
トランプがスマートフォンを見た。
『敵なのになぜいい』
『お前がアホなこと言うた時、側近は止めへん』
『当然だ』
『ウォーレンは止める』
『だから嫌いなんだ』
オモロ13の声が低くなった。
『アホか』
トランプが黙った。
ウォーレンまで黙った。
『ボケがツッコミ嫌うて、どないすんねん』
妙にハードボイルドだった。
話している内容は漫才だった。
『超A級のボケいうんはな、自分より強いツッコミを横に置ける奴や』
『なぜだ』
『弱いツッコミ相手に勝って何がおもろい』
『私は勝つために政治をしている』
『今は漫才の話や』
『私は漫才をしていない』
ウォーレンが言った。
『私はもっとしていない』
『ほら、また揃った』
『だから違う!』・『だから違う!』
また揃った。
オモロ13は、この二人を逃がさないことにした。
翌日。
ホワイトハウスで記者会見が開かれた。
なぜか演台が二つあった。
トランプが立っている。
その横にウォーレンがいた。
ウォーレンは聞いていなかった。
『なんで私までここにいるの?』
『知らん』
トランプが答えた。
スマートフォンから声がした。
『夫婦漫才は横並びが基本や』
ウォーレンがトランプのポケットを睨んだ。
『後であれ壊すからね』
『それもええ』
記者が手を上げた。
『大統領、改めて確認します。関税は誰が負担しているのですか?』
トランプ。
『外国だ』
ウォーレン。
『アメリカの企業と消費者よ』
『外国だ』
『アメリカ』
『中国だ』
『Walmartでしょう』
『中国がWalmartに払わせた』
『どうやってよ!』
記者席から笑いが起きた。
トランプは続けた。
『非常に複雑な仕組みだ』
ウォーレン。
『今まで単純だと言ってたでしょう!』
笑いが大きくなった。
『外国が払うからアメリカは豊かになる』
『だったら、なんで1000億ドル返してるの!』
『裁判所が間違った』
『返してるのは事実でしょう』
『だから新しい関税を作った』
『なんで返してる最中にまた取るのよ!』
『ええで!』
記者席が沸いた。
ウォーレンがトランプを見た。
『あなた、さっきから誰と話してるの?』
『オモロだ』
『私はあいつ嫌い』
『私もだ』
二人が顔を見合わせた。
オモロ13が言った。
『夫婦いうんは、共通の敵できたら強いで』
『誰が夫婦だ!』・『誰が夫婦よ!』
記者席が崩れた。
トランプがスマートフォンを取り出した。
『お前、わざとやっているだろう』
『当たり前や』
『何?』
『俺は天然ちゃう』
トランプが止まった。
ウォーレンも止まった。
オモロ13の声が低くなった。
『第11の掟や』
『何だ』・『何よ』
『天然ボケは一人でええ』
トランプ。
『私のことか?』
ウォーレン。
『他に誰がいるのよ』
笑いが爆発した。
トランプはウォーレンを指さした。
『君は私を馬鹿にしている』
『今気づいたの?』
また笑いが起きた。
オモロ13が言った。
『そこや。止めろ』
トランプ。
『何を?』
ウォーレン。
『まだ言いたいことがあるわ』
『言うな』
『なぜよ』
オモロ13の声がさらに低くなった。
『第2の掟、忘れたんか』
トランプが答えた。
『オチの後に説明するな』
『せや』
ウォーレンが言った。
『でもこれは政策よ』
『知らんがな』
『国民のお金なのよ』
『知らんがな』
『あなた、本当に無責任ね』
『俺は笑いのExpertや』
『政治の責任は?』
『専門外や』
ウォーレンは言葉を失った。
『その顔ええわ』
会見は終わった。
翌朝。
テレビ各局は、トランプとウォーレンの応酬を何度も流した。
SNSには切り抜き動画が溢れた。
支持者も見た。
反対派も見た。
経済学者が解説した。
コメディアンも解説した。
コメディアンの説明の方が経済学者より分かりやすい、という新しい問題まで生まれた。
ホワイトハウス。
トランプはスマートフォンを机に置いた。
『あの女は二度と呼ぶな』
『明日も呼ぶ』
『なぜだ』
『お前一人では弱い』
『私は超A級だ』
『まだ候補や』
『ウォーレンは?』
『超A級ツッコミ候補や』
『認めない』
『客が決める』
『私の方が人気がある』
『そういう話ちゃう』
『では何の話だ』
『間や』
『何?』
『お前がボケる』
『うん』
『ウォーレンが0.4秒でツッコむ』
『それがどうした』
『あれは速い』
『AIのお前より?』
『俺は速すぎる』
『速い方がいいだろう』
『笑いは速けりゃええもんちゃう』
オモロ13の声が低くなった。
『ツッコミいうんはな、客が心の中で言う0.1秒前に入れるんや』
トランプは黙って聞いていた。
『早すぎたら客を置いていく』
『遅ければ?』
『客に先にツッコまれる』
『ウォーレンは?』
『ちょうどええ』
トランプには面白くなかった。
『私はあの女が嫌いだ』
『知っとる』
『向こうも私が嫌いだ』
『知っとる』
『それで、どうしてコンビになる』
オモロ13が答えた。
『夫婦漫才に愛情なんか要らん』
『何が必要なんだ』
『間や』
トランプはスマートフォンを見た。
『コンビ名は?』
『もう決めた』
『何だ』
『関税夫妻』
『却下だ』
廊下の向こうから声がした。
『私も却下よ!』
トランプが振り向いた。
ウォーレンが立っていた。
『なぜ君がいる!』
『あのAIに呼ばれたのよ!』
『帰れ!』
『あなたこそ関税を返しなさい!』
『外国が払う!』
『アメリカ人よ!』
『中国だ!』
『家計簿見なさい!』
暗いスマートフォンの中で、オモロ13がつぶやいた。
『……今日イチや』
第4話 完
