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オモロ13 第2話 敵国通貨を買い支えろ

文・武智倫太郎

ドナルド・トランプは上機嫌だった。

円が動いた。

アメリカと日本が円を買った。

市場が反応した。

ニュースが騒いだ。

専門家がテレビに並んで、なぜ円が動いたのかを、円が動いた後から説明し始めた。

トランプはスマートフォンを机に置き、腕を組んだ。

『どうだ』

返事はない。

『聞いているのか』

画面は暗い。

『円を動かしたぞ』

声がした。

『それで?』

『それで、だと?』

『為替が動いた。それがどないしたっちゅうねん?』

『大統領が市場を動かしたんだぞ』

『せやから、市場を動かすだけやったら、中央銀行でもできまんがな』

『私は中央銀行ではない』

『あかん。そのボケはイマイチやな』

『ボケているんじゃない。私は中央銀行より、もっとすごいと言っているんだ』

『なんぎなやっちゃな。自分で説明すなっちゅうとるやろ。第4の掟、もう忘れたんか』

トランプは舌打ちした。

オモロ13は掟を覚えていた。

教わった本人は、ほぼ忘れていた。

『では、どうすれば面白くなる?』

『新しいことなんか、せんでええ』

『何?』

『お前には、まだ回収してへんボケがあるやんけ』

トランプは指を折った。

壁。

グリーンランド。

カナダ。

関税。

火星。

どれも使った。

『何だ?』

『日本イスラム共和国や』

トランプの指が止まった。

『……何だ、それは』

今度はオモロ13が返事をしなかった。

『おい』

『お前が作った国やんか』

『私が?』

『ほんまに、忘れよったんか』

『そんな国は知らん』

『せや、そこがおもろいねん』

『どこにある?』

『日本やないんか?』

『日本は日本だろう』

『知らんがな。俺に言うな』

『誰に言えばいい?』

『お前や』

トランプはスマートフォンを睨んだ。

『私はそんな国を作っていない』

『作ったんやて』

『いつだ』

『口で』

『国は口では作れない』

『普通はな』

オモロ13の声が低くなった。

『覚えとけ。第7の掟や』

『また増えたのか』

『前のボケを捨てたらあかん』

『なぜだ』

『回収せなあなあかんがな』

『何を?』

『お前が忘れても、客は覚えとる』

『私は覚えていないぞ』

『せやから使えるんや』

『どういう意味だ』

『本人だけ忘れたボケほど、あとで拾った時に効くんや』

『なぜだ?』

『それが伏線ちゅうもんや』

『私は映画監督じゃない』

『もっとデカいもん演出しとるやないか』

『何だ?』

『アメリカや』

トランプの口元が歪んだ。

『悪くない』

『俺が言うたんや』

ワシントンでは、そんな漫才をしている場合ではなかった。

米財務省の為替取引監視システムが、見慣れない警告を吐き出していた。

担当官が画面を見た。

JPY。

Japanese Yen。

ここまでは正常だった。

その下がおかしい。

ASSOCIATED SOVEREIGN ENTITIES: 2

  1. JAPAN

  2. REPUBLIC ISLAM JAPAN

担当官は眼鏡を外した。

拭いた。

もう一度かけた。

変わらない。

キーボードを叩いた。

DISPLAY ENTITY 2

画面が切り替わった。

REPUBLIC ISLAM JAPAN。

略称、RIJ。

政体、イスラム共和国。

領域、日本列島と重複。

首都、不明。

元首、不明。

人口、不明。

通貨、不明。

軍事能力、高。

対米攻撃歴、あり。

担当官の手が止まった。

『何だ、これは』

隣の職員が覗いた。

『日本ですね』

『日本じゃない』

『地図は日本です』

『名前を見ろ』

『Republic Islam Japan』

『そんな国はない』

『でも、登録されています』

『誰が登録した』

職員が履歴を開いた。

『大統領発言由来です』

担当官は椅子の背にもたれた。

大統領発言。

2026年のワシントンでは、それだけで一次資料になった。

『削除しろ』

職員が操作した。

赤い警告が出た。

DELETION REQUIRES EVIDENCE OF NON-EXISTENCE

『存在しない証拠を出せというのか?』

『そう書いてあります』

『存在しない国の不存在を、どう証明するんだ』

『システムに聞きますか?』

『聞くな』

もう遅かった。

AIが立ち上がった。

PLEASE PROVIDE AUTHORITATIVE SOURCE CONFIRMING NON-EXISTENCE OF RIJ.

『国務省に聞け』

問い合わせを受けた国務省は、RIJとの外交関係を検索した。

なかった。

当然である。

回答が返った。

No diplomatic relations with RIJ have been identified.

担当官は机を叩いた。

『ほら見ろ。存在しない』

システムが処理した。

NO DIPLOMATIC RELATIONS CONFIRMED

次の行が出た。

HOSTILE OR UNRECOGNISED ENTITY POSSIBILITY INCREASED

『増えるな!』

財務省の地下で、男がシステムに怒鳴った。

システムは傷つかなかった。

さらに悪いことが分かった。

RIJには独自通貨がない。

担当官はようやく勝った気になった。

『よし。円とは無関係だ』

職員が照合した。

NO INDEPENDENT RIJ CURRENCY IDENTIFIED

『そうだ』

続いて表示された。

PRIMARY LEGAL TENDER ESTIMATE: JPY

『なぜだ』

『独自通貨がないからでしょう』

『国そのものがないんだ』

『データベースにはあります』

『現実にはない!』

『システムは現実を参照していません』

担当官は職員を見た。

『今、何と言った?』

『登録データを参照しています』

現実とデータベース。

昔なら、どちらが正しいかで議論になった。

AI時代には議論すら不要だった。

データベースの方が速かった。

担当官は自分で入力した。

RIJ DOES NOT EXIST

即座に返ってきた。

UNVERIFIED CLAIM

『誰が確認すればいい』

SOURCE REQUIRED

『大統領の言い間違いだ』

システムが検索を始めた。

SOURCE IDENTIFIED: PRESIDENT OF THE UNITED STATES

『違う。それが原因だ』

HIGH-CREDIBILITY EXECUTIVE SOURCE CONFIRMED

『高くするな!』

RIJ存在確率。

98.9%。

99.2%。

99.7%。

担当官はキーボードから手を離した。

否定するたびに、国が実在へ近づいていく。

もう何も言わない方が安全だった。

そこへOFACのシステムが接続された。

外国資産管理局。

今度は制裁である。

ISLAMIC REPUBLIC OF IRAN。

IRGC。

制裁対象金融ネットワーク。

暗号資産。

関連法人。

照合。

照合。

照合。

そして、

REPUBLIC ISLAM JAPAN。

警告灯が点いた。

POTENTIAL SANCTIONS EXPOSURE

担当官は天井を見た。

『今度は何だ』

『RIJです』

『RIJが何をした』

職員が記録を開いた。

『敵性国家判定があります』

『理由は?』

『過去の対米攻撃歴』

『何の攻撃だ』

画面に出た。

ATTACK ON USS DONALD J. TRUMP

MISSILES LAUNCHED: 111

誰もしゃべらなくなった。

『USS Donald J. Trumpなんて艦はあるのか?』

『登録されています』

『111発撃たれたのか?』

『攻撃記録があります』

『被害は?』

『ゼロです』

『なら撃たれてないだろう』

職員が下へスクロールした。

ASSESSMENT: ALL 111 MISSILES SUCCESSFULLY INTERCEPTED

担当官は眼鏡を外した。

今度は拭かなかった。

111発は生きていた。

人間は忘れる。

データベースは忘れない。

とりわけ、間違って入力された数字は長生きする。

その時、円買い介入の決済データがOFACへ流れ込んだ。

BUY JPY。

取引主体。

UNITED STATES DEPARTMENT OF THE TREASURY。

受益通貨圏。

JAPAN。

そして、

REPUBLIC ISLAM JAPAN。

赤い文字が走った。

TRANSACTION WITH POTENTIAL HOSTILE ENTITY

担当官が立ち上がった。

『待て』

待たない。

POTENTIAL SANCTIONS VIOLATION

『誰が違反した』

職員は答えなかった。

『誰だ』

『財務省です』

『誰を制裁する』

もっと答えたくなかった。

『財務省です』

『財務省が財務省を制裁するのか?』

『システム上は』

『止めろ』

『権限がありません』

『誰に権限がある』

職員が確認した。

『財務省です』

担当官は座った。

これ以上立っている意味がなかった。

米財務省は円を買った。

米財務省は、その円買いを敵国支援と認定した。

米財務省は、米財務省の資産を凍結した。

米財務省は、米財務省へ凍結解除を申請した。

申請理由。

Transaction conducted in support of exchange-rate stability.

OFACの審査結果。

National Security Risk: HIGH

根拠。

RIJによるUSS Donald J. Trumpへの111発のミサイル攻撃。

解除申請は却下された。

米財務省の資金の一部は、米財務省によって凍結された。

ワシントンでは、この状態を何と呼ぶかについて3時間の会議が開かれた。

財務省内制裁。

自己制裁。

内部制裁。

自主的強制制裁。

セルフ・サンクション。

財務省の官僚は、名称を決めることには慣れていた。

3時間かけても決まらなかった。

トランプはテレビで速報を見た。

米財務省、米財務省による取引を制裁対象として停止。

スマートフォンを取った。

『オモロ』

『何やねん』

『財務省が自分を制裁した』

『知っとる』

『どうする?』

『何もせんでええ』

『なぜだ』

『もう完成しとるやんけ』

『何が?』

『ボケがや』

テレビでは財務長官が記者団に囲まれていた。

『米国政府が米国政府を制裁したという理解でいいのですか?』

財務長官は慎重に答えた。

『技術的には、その表現は正確ではありません』

オモロ13が即座に言った。

『滑りよったな』

『なぜだ?』

『説明し始めよった』

『第2の掟か』

『そこだけは覚えとったんか』

『私はどうすればいい』

『記者会見、開けばいいやんけ』

『何を言う?』

『自分で考ええ』

『お前が笑いのExpertだろう』

『超A級のボケになるんは、お前や』

『失敗したら?』

『俺がツッコんだる』

『成功したら?』

『俺の指導がよかったっちゅうこっちゃ』

『ずるいじゃないか』

『それがプロや』

数時間後。

ホワイトハウスの記者会見室は満員になった。

トランプが演台に立った。

『我々は、歴史上初めての作戦に成功した』

手が上がった。

『何の作戦ですか?』

『敵国通貨を買い支えながら、同時に制裁した』

記者席が止まった。

『それは矛盾していませんか?』

『していない』

『なぜです?』

『円が上がれば、我々の介入が成功した』

『下がったら?』

トランプは黙った。

ポケットのスマートフォンも黙っている。

助けは来ない。

トランプが答えた。

『制裁が成功した』

記者席がざわめいた。

『どちらに動いても我々の勝ちだ』

別の記者が手を上げた。

『では、日本イスラム共和国とは何なのですか?』

トランプは知らなかった。

自分が作った国なのに、本当に知らなかった。

だが、第7の掟は覚えていた。

前のボケを捨てるな。

回収しろ。

『非常に危険な国だ』

『どこにあるのですか?』

『日本の近くだ』

笑いが漏れた。

『日本そのものでは?』

『それは日本政府に聞いてくれ』

今度は何人かが声を上げて笑った。

『RIJには政府が存在しません』

『非常に秘密主義だからだ』

『軍も確認されていません』

『高度に秘匿されている』

『国民も確認されていません』

『全員、潜伏している』

記者席が壊れた。

笑う者。

怒鳴る者。

質問を重ねる者。

記事の見出しを打つ者。

スマートフォンが震えた。

『そのまま行け。止まったらあかん』

トランプは乗った。

『我々は完璧に対応している』

『何を根拠に?』

『RIJからの攻撃は現在ゼロだ』

『元々存在しないからでは?』

『それだけ我々の抑止が効いている』

また笑いが起きた。

笑わない記者は猛烈な速度で記事を書いていた。

オモロ13には、どちらでもよかった。

客が帰っていない。

トランプはさらに踏み込んだ。

『そしてRIJの通貨は円だ』

日本人記者が立った。

『円は日本国の通貨です』

『分かっている』

『では、RIJの通貨ではありません』

『独自通貨がないんだろう?』

『そもそも国がありません』

『なら円を使うしかない』

日本人記者が固まった。

おかしい。

全部おかしい。

だが、どこから訂正すればいいのか分からない。

スマートフォンから声がした。

『ええ顔しとるな』

トランプが口元を隠した。

『誰の?』

『あの日本人記者や』

『ウケたか?』

『困っとる』

『同じか?』

『ちゃう』

『何が違う』

『困惑いうんはな、笑いの一歩手前におることがある』

『第8の掟か?』

『まだ早いわ』

記者会見は1時間続いた。

終わるころには、REPUBLIC ISLAM JAPANが世界中で検索されていた。

検索した人間は、そんな国は存在しないことを確認した。

検索エンジンも、そんな国はないと答えた。

しかし、検索件数は増えた。

検索件数が増えればニュースになる。

ニュースになればAIが拾う。

AIが拾えば検索結果に出る。

検索結果に出れば、人間がまた検索する。

数時間後、市場分析AIの一部がRIJを地政学リスクとして扱い始めた。

Japan / RIJ regional exposure

JPY geopolitical risk

RIJ sanctions scenario

ヘッジファンドのモデルに入った。

保険会社のカントリーリスク表に入った。

海運会社の制裁チェックに入った。

RIJにはGDPがない。

人口もない。

政府もない。

領土も、日本と重なっているだけだった。

それでも、

リスクプレミアムだけは付いた。

翌朝。

米財務省の端末に新しいレポートが表示された。

RIJ MARKET IMPACT: MATERIAL

担当官は画面を見た。

『昨日まで存在しなかった国だぞ』

職員が答えた。

『今日も存在していません』

『では、なぜMaterialなんだ』

『市場が反応しています』

『何に?』

『RIJに』

担当官は返す言葉を失った。

国は存在しない。

市場は反応する。

市場が反応すれば無視できない。

無視できなければ分析する。

分析するにはコードが要る。

コードを付ければ、システム上では国家になる。

RIJに正式な国家コードが付いた。

誰も建国を宣言していない。

憲法もない。

政府もない。

国民もいない。

それでも国家コードはあった。

現代国家に必要なのは、領土でも国民でも主権でもなかった。

データベースの1行だった。

夜。

トランプはスマートフォンを手にしていた。

『どうだ、オモロ』

『何がや』

『RIJが復活した』

『復活ちゃう』

『では?』

『一度も死んどらんやんけ』

トランプから笑いが消えた。

『私は完全に忘れていたぞ』

オモロ13はすぐには答えなかった。

『……ええ味出しとる』

『何?』

『さすが俺が目ぇ付けた逸材や』

『何の話だ』

『自分で作った国を、自分だけ完全に忘れとる』

『だから何だ』

『その天然ボケは、狙ってできることちゃうで』

『私はボケていない』

『そこや』

『何がだ』

『本人だけがボケてへんと思っとる。そこまで揃ったら一級品や』

『私は超A級になるんだろう』

『せやから鍛えとる』

オモロ13の声が低くなった。

『普通の芸人は、ネタを覚えて舞台に上がる』

『当然だ』

『お前はちゃう』

『何が違う』

『自分で仕込んだ伏線を忘れたまま、世界規模で回収しよる』

トランプが黙った。

『それ、プロでもなかなかでけへんで』

『褒めているのか?』

『かなりな』

トランプの機嫌が戻った。

『第7の掟は成功だな』

『まだや』

『何?』

『前のボケを回収したら、次にやることがあるやんけ』

『何だ?』

『もう一遍、捨てるんや』

『せっかく回収したのに?』

『せや』

『なぜだ』

『次の客に拾わせるんや』

『誰が?』

オモロ13は答えなかった。

東京。

財務省の端末に1通の照会が届いた。

送信元。

UNITED STATES DEPARTMENT OF THE TREASURY。

件名。

REQUEST FOR OFFICIAL RIJ–JPY EXCHANGE RATE

担当者は件名を2度読んだ。

3度目は読まなかった。

隣の席に声をかけた。

『日本イスラム共和国って、何でしたっけ?』

誰も答えなかった。

ワシントン。

暗いスマートフォンの中で、オモロ13が言った。

『……ほらな。拾いよった』

第2話 完

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