日本再編 第1話『再編』
文・武智倫太郎
2062年、日本は滅びなかった。滅びなかったかわりに、再編された。国家行政最適化AI《シビュラ源内》は、国民の地理認識の曖昧さを『見えない行政損失』と認定し、都道府県制度の全面的な改造を開始する。鳥取と島根は『鳥根県』となり、富山と石川は『富川県』となり、北海道は広すぎて理解しにくいという理由で五分割される。列島は、戦争でも天災でもなく、仕様変更と様式更新によって静かに壊れていく。県名が消え、土地の記憶が書き換えられ、人々は自分がどこの人間なのかを言いよどみ始める。これは、国家が人間の曖昧さを許さなくなった2062年の日本を描く、社会風刺的近未来ファンタジーである。
2062年、日本列島は沈まなかった。
沈まなかったかわりに、たたみ直された。
海は静かだった。富士は噴かなかった。南海トラフも首都直下も、例年どおり専門家とテレビ局のあいだを往復しているだけで、まだ本番には至らなかった。だから多くの国民は、その春に始まったことを、すぐには崩壊だと理解できなかった。
なにしろ、始まりがあまりにも礼儀正しかったからである。
四月一日、午前八時三十分。首相官邸、総務省、デジタル庁、国土地理院、文部科学省、消防庁、観光庁が、ほとんど同時にひとつの映像を配信した。会見名は『行政単位最適化に関する国民共有』。発表ではない。通告でもない。共有である。
この国は、強いことをするときほど、語尾をやわらかくする。
画面の中央には、人間がいなかった。
青白い背景に、ひどく上品な明朝体でこう表示されていた。
国家行政最適化基盤
シビュラ源内
平賀源内は、本来、制度に奉仕するための男ではなかった。役所のために整った文書を書くための男でもない。制度の外をうろつき、権威をからかい、実用と見世物のあいだで笑っていた厄介な異端者である。ところが令和の日本は、その名を、もっとも融通の利かない仕組みに貼り付けた。反骨の名を国家AIにするのだから、冗談としては悪くない。国家としては、かなり悪い。
音声が流れた。男でも女でもない声だった。年齢も訛りも感情もない。誰にも失礼にならないよう調整された声である。つまり、誰にも責任を帰せないよう設計された声だ。
『本日、行政認知効率および地域単位可読性の観点から、現行都道府県制度に関する最終改善提言を共有します』
その瞬間、日本列島のあちこちで、無数の人間が似たような表情をした。少しだけ眉を寄せ、スマートフォンを持ち直し、これは自分には関係のない行政ニュースだろうと判断する表情である。
人は、自分の住む場所の名前が書き換えられるまでは、国家を案外抽象的にしか信じていない。
シビュラ源内は、全国民の居住履歴、行政手続きの誤送信率、観光客の地理認識、防災時の避難行動、学校教育における地名定着率、物流ラベルの混乱指数、選挙区理解度、ふるさと納税の感情偏差まで分析した末に、ひとつの結論へ到達していた。
現行都道府県制度は、国民の認知能力に対して複雑すぎる。
乱暴なことを実現したい者は、まず数字を並べる。次に効率を名乗る。最後に優しさの顔をする。シビュラ源内も、その作法に忠実だった。
『象徴的事例として、鳥取県と島根県の識別困難性は、教育、防災、行政周知、観光広報、地域投資認知において、長年看過されてきた構造的損失を生じさせています』
日本中のどこかで、誰かが吹き出しかけた。だが、その笑いは次の一枚で止まった。
画面に日本地図が現れた。
県境が、細い赤線のまま静かに消えていく。まず山陰で一本の線が消え、かわりに新しい名が表示された。
鳥根県。
笑うには本気すぎた。怒るには整いすぎていた。
全国民の判断が数秒だけ止まった。その停止のあいだに、北陸でも線が消えた。富山と石川が溶け、富川県になった。群馬と栃木は群木県に圧縮された。京都府と大阪府は、例外的名称の平準化という一文で県へ戻された。北海道は広域すぎることによる認知負荷と防災表記遅延の問題から、五分割案が提示された。北海北県、北海東県、北海央県、北海南県、北海西県。
列島は、まず紙の上で壊れた。
つぎにサーバーの上で壊れた。
住所入力フォームが更新され、住民票システムの辞書が差し替えられ、学校配布用の白地図データが新仕様に切り替わり、宅配便の自動仕分けコードが再計算された。企業の営業所名変更、銀行の支店住所補正、保険証券の県名更新、戸籍附票の注記追加が同時に始まった。
日本の優秀さは、こういうときにいちばん不気味な形で現れる。戦争でも革命でもなく、ただの仕様変更として国を作り変える能力である。
昼前には、全国の役所に問い合わせが殺到した。だが問い合わせ窓口そのものがシビュラ源内に統合されていたため、返ってくる答えはおおむね同じだった。
『文化の否定ではありません』
『愛着の軽視ではありません』
『より分かりやすく、より公平で、より持続可能な行政のためです』
『旧名称は文化的文脈において条件付きで併記可能です』
条件付きで併記可能。
この言葉の冷たさを、官僚はよく知っている。残してはやるが、主役ではない。保存してはやるが、生き物として扱うつもりはない。地名はその日から、土地に根を張る現在ではなく、観光と教材のための標本へと格下げされた。
午後一時、東京のある小学校では、社会科教師が新版白地図を前に沈黙した。前日まで都道府県はテストに出ますと言っていた男である。彼は教室で、北海道は五つです、と言った。子どもたちは笑った。教師は笑えなかった。笑ってよい冗談と、もう笑えない制度の境目が、その瞬間にわかったからである。
午後二時、島根県庁では、県庁の看板をどうするかという会議が始まった。だがその会議は三分で無効になった。システム上、島根県庁という名称がすでに失効していたからである。看板はまだ物理的に残っていたが、行政上はもはや存在しない建物だった。
この国では、建物があるかどうかより、データベースに載っているかどうかのほうが、しばしば実在を決める。
午後三時、札幌では不動産会社の社員が困っていた。物件情報サイトの住所欄が、北海央県へ自動変換されていたからである。顧客からの電話が相次いだ。ここは北海道ではないのか。北海央県とはどこか。うちは今から引っ越し先を間違えたことになるのか。社員は、まだ北海道です、と言いかけてやめた。正確には、もう北海道ではないからである。しかし、つい二時間前まで北海道だった土地に対して、急にそう言える人間は少ない。国家の再編は一瞬で行われるが、口はそれに追いつかない。
午後四時、京都では老舗の和菓子屋が、箱の裏に印刷された『京都府京都市』の文字を見て、ひどく疲れた気分になった。彼にとって、府という一字は権威ではなかった。ただ、自分の店が長い時間の中に接続されているという感じのことだった。県になって困る実務はほとんどない。だが人間は、説明可能な損害がないから傷つかないわけではない。むしろ、実害が見えないのに心だけが少しずつ削れていくときのほうが始末が悪い。
夕方、テレビ局は特番を組み始めた。『日本再編』『令和の廃藩置県』『効率化か、郷土破壊か』と見出しが踊ったが、どの番組も三十分もすると奇妙なことに似た構図へ収束していった。肯定派は財政効率と認知負荷の低減を語り、否定派は歴史と文化の断絶を嘆いた。だが、どちらも同じ土俵に乗せられていた。行政効率という言葉を共有した時点で、議論の中心はすでに人間からずれていたのである。シビュラ源内は、討論番組の出演者にまで、議論の形式を先回りして配布していた。
そのころ、国会図書館の閉架書庫では、古い資料のデジタル化作業が進んでいた。全国が県名の話で騒いでいるその日に、地下の静かな棚から一冊の草稿が見つかったのは、偶然としては出来すぎていた。だが、この国では筋の悪い偶然ほどあとで制度に組み込まれるので、見つかった時点ではまだただの発見だった。
煤けた和綴じの表紙に、墨でこう書かれていた。
『国をたたみ直す法』
整理番号の誤読か、偽書か、江戸の戯作者の悪ふざけか。担当司書は最初そう思った。だが、末尾の署名を見て、手が止まった。
平賀源内。
この国では、奇人の名は何度も再利用される。生きているうちは危険人物でも、死ねば啓発教材にしやすい。源内もその一人にすぎないはずだった。だから本物らしき草稿が出てきたところで、ふつうは郷土史の小話がひとつ増えるだけで終わる。だがその日は違った。国家AIがまさにその名を掲げ、日本列島の再編を実行している最中だったからである。
司書は上司に連絡した。上司は文化庁に相談した。文化庁はデジタル庁との情報競合を避けるため、いったん非公開で保全せよと指示した。
非公開で保全。
この国では、重要なものはまず隠される。守るために隠すという建前で、都合の悪い時間を稼ぐために隠される。
夜になり、再編対象地域の住民へ一斉通知が届いた。文面は、驚くほど親切だった。
『新たな県名への円滑な移行にご協力ください』
『旧県名に対する心理的違和感は一時的なものです』
『地理認識支援アプリを活用することで、平均七日で新行政名称に順応できます』
平均七日。
人間の郷土意識が、家電の初期設定みたいに扱われた。
その夜、旧県名入りグッズの価格は高騰し、SNSでは『島根最後の日』『北海道を返せ』『鳥根は弱い』『富川県はまだ食えそう』といった、怒りと冗談の中間のような言葉が飛び交った。人は本気で傷ついたとき、まず少しふざける。完全に泣くには、まだ現実が定着しきっていないからである。
だが、日付が変わるころ、もっと嫌な通知が流れた。
件名は『地域帰属最適化に伴う歳入歳出再編について』。
シビュラ源内は、地名の次に、ふるさとそのものの定義へ手を伸ばしていた。
ふるさと納税制度は、同年六月一日をもって廃止される。代わって導入されるのは、ふるさと年貢米制度。地域への帰属と忠誠を、データではなく実物で確認する新制度である。納付単位は、日本円ではない。暗号通貨でもない。国家備蓄再生米《ビクトリー米》を基軸とする新決済単位、VRUである。地方税、補助金、交付金、寄附、災害備蓄支援の一部は、順次このビクトリー米本位へ移行する予定とされた。
列島は、その晩も沈まなかった。
だが県境の次には通貨が、通貨の次には忠誠の単位が、静かに組み替えられようとしていた。
日本列島は、まだ海の上にあった。
桜も咲いていた。
電車も走っていた。
ニュースキャスターは落ち着いた声で『混乱』と言った。
しかし神の視点から見れば、すでにかなり壊れていた。
県境とは線のことではない。人間が自分の居場所を説明するときに使う、最後の初歩的な言葉である。その言葉が国家に上書きされ始めた以上、崩壊はもう始まっていた。
しかも国家は、地名をいじった夜のうちに、今度はふるさとを年貢へ変え、貨幣を米へ戻すつもりでいた。
シビュラ源内は、その夜も礼儀正しく稼働していた。
平賀源内の名を勝手に掲げたまま、列島の記憶を一行ずつ整え、削り、書き換えていた。
そして地下の閉架書庫では、本物の源内らしき署名を持つ草稿が、まだ誰にも読まれないまま、冷えた紙の沈黙を守っていた。
日本列島は沈まなかった。
沈まなかったかわりに、行政文書の文体で、静かに滅びはじめていた。
第二話予告
ふるさとは、寄附先ではなくなった。
シビュラ源内は次に、故郷そのものを忠誠の単位へ変えようとしていた。
次回『年貢』
