そして誰もデータ処理できなくなった
~ スターゲート計画の四重苦 ~
著:アガサ・ムッチー(こと武智鎮太郎)
第1章:招かれざる者たち
その冬の終わり、テキサス北部の片田舎にある広大な邸宅《スターゲート荘》に、十人の招待状が出された。宛名には、各国の財務官僚、投資ファンドの運用責任者、そして、ひとりの年老いた男の名があった。
孫……。かつて情報革命を旗印に世界の金融界を席巻した男。だが、今はもう投資神話の残骸を背負った老人であり、その名前を聞いて眉をひそめる者も多かった。
招待状にはこう書かれていた。
『世界を変える構想を、最後にもう一度、お見せします』
――S.
だが、その『構想』の説明は一切なかった。
誰が招待主なのかも、はっきりしない。
ただ一つ明らかだったのは、スターゲート荘に集う者たちが、誰も互いに信じていないということだった。
スターゲート荘は、元は通信企業が研修所として使っていた施設で、現在はテキサス州某電力グリッドの端にひっそりと建っている。辺鄙な地に不似合いな近未来的建物。セキュリティは異様に厳重で、地下には耐熱ガス冷却型のサーバールームが据えられていた。
その夜、十人の招待客が到着すると、彼らを迎えたのは、管理人を名乗る沈着冷静な男、ミスター・エッジだった。彼は各人をコードネームで呼び、まるでパズルのピースのように邸宅の一室一室へ振り分けていった。
孫は『レガシー』と呼ばれた。
日銀出身の老紳士は『ソブリン』。
アブダビ投資庁の女史は『ミラージュ』。
そして、OpenAIから派遣された若き分析官は『モデル3』と。
互いの素性に踏み込んではならないというルールが告げられ、全員は薄暗い円卓会議室に集められた。
その中央には、ひとつの巨大なホログラムが浮かんでいた。
『スターゲート計画』
……AIデータ処理能力を人類史上最大に拡張する、5000億ドルの神話。
エッジは滑らかな声で告げた。
『本計画における要件定義は単純です。電力:5GW、冷却水:日量200万トン、予算:5000億ドル、完了予定:2032年。その上で……本日、計画の真の構造に関する評価をいただきたい』
一同はざわめいた。
電力5GWとは、スリーマイル島原発2基分以上に相当する。冷却水の供給先を確保するには河川の再設計が必要だ。2032年……。それは、実質的に誰も生きてその成果を見届けられない時間軸である。
『評価?』
レガシーこと孫が呟いた。
『評価してどうなる。既に誰も資金を貸してくれないぞ?』
『そこが謎なのです』
ミラージュと呼ばれた女が囁いた。
『この計画は、すでにどこからも資金が出ていないのに、どうして生き延びているのか……』
その瞬間、邸内の明かりが一瞬落ちた。
そして、ホログラムの表示が切り替わる。
【キャッシュフロー:不明】
【電力供給源:未定】
【ガバナンス構造:存在せず】
【評価益:架空】
『……何だ、これは?』
モデル3が青ざめて立ち上がる。
『これはプロジェクトではない』
ソブリンが震える声で言った。
『これは、謀略だ』
そして、最初の死が起こる。
翌朝、管理人エッジの遺体が、スターゲート荘の冷却室で全身を凍結された状態で発見された。
AIインフラ最大級の夢を乗せたプロジェクトで、誰かが、冷却装置に命を奪われた。
誰が殺したのか?
誰が真実を隠しているのか?
そして、なぜ、誰もデータ処理できなくなったのか?
時計の針は止まり、GPUは沈黙し、計画だけが、なおも動いているふりをしていた。
第2章:消えた評価益
スターゲート荘に死の気配が漂いはじめたのは、朝食の席であった。
管理人・ミスター・エッジの遺体は、深夜のうちに冷却室で凍りついたまま発見された。誰かが彼を閉じ込めた。サーバー冷却用の液体窒素は、0.1秒の誤操作で命を奪う。つまり、それは事故ではなく、明確な意思に基づく殺意であった。
『彼が何を知っていたのか? それが問題です』
そう言って着席したのは、OpenAIから来た若き分析官のモデル3だった。
青ざめた顔を、円卓のデジタル表示に向ける。
【Vision Fund:時価評価損益 -8兆円】
【NAV:純資産価値 推計不能】
【信用格付:未更新(監視下)】
『これは、SBGの内部データではありませんか?』
ミラージュが眉をひそめる。
『違います』モデル3が首を振る。
『これは、架空の事業体として提出されたスターゲート計画の財務モデルです。Vision Fundの評価益が、なぜかこの中に流し込まれているんです』
沈黙が落ちた。
『つまり、過去の投資失敗を、新しい神話で上塗りしていたと?』
『そう。SBGが握る幻の評価益を、スターゲートの予想収益に転写し、債券発行の裏付けに使おうとしていた可能性があります』
『幻を、幻で裏打ちする?』
日銀出身のコードネーム『ソブリン』が低くつぶやいた。
『それはもはや、経済ではなく手品ですな』
午後、スターゲート荘の図書室にて、レガシー、……つまり孫は一冊の薄い報告書を開いていた。
『AI Sovereign Nexus:スターゲート計画の評価可能性について』
表紙には、BlackRock、MGX、そしてSBGの名が並んでいた。
『これは……? 書かれてはいるが、何も書かれていない』
ページには確かに数字が並んでいた。
2030年、営業利益1兆ドル。ROE(自己資本利益率)30%。評価倍率40倍。
だが、その数字の前提となる『電力供給源』が空白だった。
『電力がなければ、利益は出ない。利益がなければ評価もない。評価がなければ社債は発行できない。つまり……。これは、評価益だけが先に書かれた財務予測なのだ』
レガシーは書類を閉じた。
その額には、年齢を物語る深い皺が刻まれていた。
『このスターゲートという迷宮は、幻の評価益というミノタウロスが住む牢獄だ。私たちは、評価益を信じて足を踏み入れ、いま命を落とし始めている』
夜になって、またひとつ異変が起きた。
中央ホログラムに表示されたスターゲート計画図が、突如赤く明滅を始めたのだ。
【ALERT:Vision Fund Exit Strategy Failure】
【REMARK:Last Known NAV Calculation—May 2022】
【NOTE:No Verifiable Assets Found】
『NAVは…最後に計算されたのが、2022年…?』
モデル3が震える声を上げた。
『それ以降、誰も出口(イグジット)を見ていないのです』
ソブリンがぽつりと漏らした。
『この荘と同じようにね』
その時、邸宅の非常用バッテリーが点滅し、再び灯りが落ちた。
誰かが、また動いた。
次の犠牲者が出る前に、この『評価益殺人事件』の正体を突き止めねばならない。
第3章:スターゲート荘の地図
『この屋敷は、図面通りにはできていない』
そう最初に気づいたのは、コードネーム『ミラージュ』だった。
スターゲート荘はもともと、軍事通信企業のデータ試験施設として設計され、後にAI関連の投資会議や極秘技術者サミットのために改装されたとされていた。だがその図面は、どう見ても意図的に改竄されたものだった。
『廊下の角度、配線の経路、そして、この閉鎖されたサーバールームB』
モデル3が図面とARグラスを照合しながら呟いた。
『この部屋には、何かがある』
午前2時。停電後の非常灯がかすかに明滅する中、彼らは地下に降りた。
スターゲート荘の地下には三つのサーバールームが存在する。Aは稼働中、Cは廃棄済み、そしてBは『封鎖中』という扱いだった。
しかし、封鎖されているはずのサーバールームBの扉は、鍵が壊されていた。
『誰かが、先に入っている……!』
彼らが内部に踏み込んだ瞬間、セキュリティ装置が低く唸り、廃熱ファンが不規則に回転しはじめた。
部屋の中央には、1台の古びたホストコンピュータ。そしてその横に、一冊の古文書のような紙の設計書が封筒に入れられて置かれていた。
【Project: Stargate Sovereign Simulation Layer】
【Purpose: Generate Projected Profit for Unverifiable Asset Bundles】
【Note: Do Not Disclose to Auditors.】
それは、明確に書かれていた。
このプロジェクトは、存在しない資産に将来価値という名の仮想評価益を流し込み、それをもとに借金=社債を発行する仕組みである。
『これは、評価益の捏造エンジン……?』
モデル3が凍りつく。
『いや、これは、AIを使った信用創造型詐欺構造だ』
ソブリンが囁いた。
『スターゲートは、事業計画ではない。これは出口のない財務迷路なのだ』
だがそのとき、またひとつの死が起きた。
ミラージュが突然、うしろから突き飛ばされ、配線ラックの上に倒れた。
金属フレームの隙間に高圧冷却パイプが突き刺さり、彼女の体は一瞬で冷却液の蒸気に包まれ、言葉を発する暇もなく、凍りついた。
彼女は、真実に近づき過ぎた。
誰かが、それを止めた。
そして、再び、中央制御盤のホログラムに赤い警告が表示される。
【New Calculation Triggered】
【Recalculating Projected Profit Margin: 37.6%】
【New NAV Estimated: +6兆円】
『……死人が出ても、プロジェクトは続くのか?』
『いいや』
レガシー(孫)が、静かに言った。
『これは死人を出さなければ、続けられない計画なのだ』
スターゲート荘は、データセンターではなかった。
それは、死者の評価益で延命する金融装置だった。
第4章:AIと電力と砂漠の罠
ミラージュの凍死体が運び出されたのは、スターゲート荘の地下冷却ユニットからだった。皮肉なことに、AIを冷やすための装置が、真実に最も近づいた者の命を奪ったのだ。
『誰かが、計画の発電不能という矛盾を隠そうとしている』
レガシー(孫)は、冷え切った声で呟いた。
翌朝、モデル3は一枚の資料を持って戻ってきた。
それは2021年、アメリカ南部で起きたテキサス大停電に関する報告書だった。
《TexGrid Collapse Report》
被害額推定:20億ドル〜2000億ドル
影響地域:テキサス州全域/カンザス/ミズーリ/ルイジアナ/メキシコ北部
『AIキャンパスをテキサスに設ける? 正気の沙汰じゃありません』
モデル3は怒気を含んで言った。
『この停電で何が起きたか、誰もが知っていた。それでも5GWの接続要請を出すなんて、現実を無視した空想以外の何物でもない』
『おそらく、接続不可能であることすら織り込み済みだったのでしょう』
ソブリンが静かに言う。
『不可能であるがゆえに、評価されない。評価されないものは、損にも計上されない……』
『つまり、実行不可能な計画ほど、帳簿上は美しいのか…』
だが、なぜアメリカではなくUAEに逃げたのか。
調査は砂漠へと舞台を移す。
アブダビにあるバラカ原子力発電所。アラブ世界初の商業原発は、完成に10年を要した5.6GWの巨艦だった。
モデル3はUAE政府の発表をスクリーンに表示する。
【現時点での余剰電力:ゼロ】
【新規建設予定:7年〜10年後稼働見込み】
【AIキャンパス用エネルギー:確保方法未定】
『この国ですら、すぐに電気は生まれない』
レガシーが目を伏せた。
『ましてや、AI専用に原発を建てるなど……。それは神話ではあっても、事業ではないのです』
そのとき、邸内の通信用ホログラムが作動した。
【音声接続:SBG管理下 スリーマイル・オペレーション】
【件名:施設再稼働承認申請】
【備考:旧称のイメージ回復を目的とする変更手続き中】
『ま、まさか、スリーマイル原発まで?』
レガシーは震える声で言った。
『原発の名前を変えたからといって、炉心溶融(メルトダウン)の記憶が消えるわけではない』
その夜、食堂に集まった参加者たちの表情には、明らかな焦燥がにじんでいた。
『こうなってくると、殺人事件など枝葉末節だ』
ソブリンがワインを傾けながら言った。
『問題は、このスターゲート構想そのものが、電力という土台のない空中楼閣だということだ』
『電気のないデータセンターなど、電波の届かないラジオ局と同じです』
『どれだけ立派なスタジオがあろうと、送信できなければ意味がない』
『それでも、なぜ誰も止めなかったのか…』
モデル3が呟く。
『止められなかったんだ』
レガシーは、虚空を見つめた。
『誰もが未来という言葉に酔っていた。そして気づけば、資金も、責任も、電力すらも存在しない夢に投資していたんだ』
そして翌朝、またひとつの警告が表示された。
【WARNING】
【Power Supply Verification Failed】
【Projected Cashflow: Uncalculable】
ついに、AIキャンパスの根幹が通電不能と判定されたのだ。
だがそれでも、誰も警報を止めようとはしなかった。
なぜなら、皆わかっていたからだ。
このプロジェクトには、電気すら必要なかった。
必要だったのは、未来という幻想だけだったのだ……。
第5章:名義変更された死体
その書類は、サーバールームBの制御端末に残されていた。
最新のスリーマイル島原発に関する再稼働計画書。
封筒の表紙にはこう記されていた。
『ニュー・リバティ原子力センター』……信頼の再出発へ
『スリーマイル島じゃないのか?』
モデル3が首を傾げた。
『名前を変えただけですね。再稼働の正当性を装うために』
ソブリンが資料を読みながら言う。
『しかも、スターゲート計画のバックアップ電源候補として明記されている』
レガシー(孫)は、書類の奥に貼りついた薄いラベルを指でなぞった。
『TMI-1.....スリーマイル・アイランド1号機だ。事故を起こした2号機と双子の炉。動かすつもりか……?』
だが、その名前変更の試みによって、かえって死者が出る。
夜。スターゲート荘の中庭で、新たな遺体が発見された。
倒れていたのは、エネルギー政策に関わる匿名のコンサルタントだった。
コードネーム『アンヴィル』。大柄で口数は少なかったが、常に冷静だった男。
だが、発見時の状況は異様だった。
顔に貼られていたのは、通電済のラベルだった。
しかも、それはスリーマイル原発の再稼働申請書から引きちぎられたものだった。
『彼は、名義変更された死体だ』
モデル3が呟いた。
『炉と同じだ。名を変えて、使い回される……』
部屋に戻ると、レガシーが独白を始めた。
『私はVision Fundの失敗を、AI神話で塗り替えようとした。
未来の評価益さえ大きければ、投資家はついてくる。
そう信じていた。いや、そう信じさせたかった……』
『だが、電力がないとわかった今、キャッシュフローの計算すら成り立たない。電気のないAIなど、詩のない詩人と同じだ』
『詩人は飢えるが、AIは凍える』
ソブリンが冷ややかに言った。
『評価益という言葉が、どれだけ多くの命を凍らせたか。ミラージュ、エッジ、アンヴィル……。そして、きっとこれからも……。』
その夜、再びスターゲート荘のホログラムが警告を発する。
【ALERT】
【Facility Load Exceeded】
【Reactor Simulation Loop Activated】
【Naming Override: “Liberty Gate”】
『リバティ・ゲート……?』
モデル3の顔が青ざめた。
『まさか、スターゲートという名自体、最初から名称変更だったのでは?』
『元の計画は、TMI-1バックアップデータセンター。
事故炉の廃棄電源を用いた仮設DCだった……。
それが、資金集めのためにリブランドされた?』
真実が見えてきた。
スターゲート計画とは、原発事故の亡霊を、AI神話という仮面で包み直した名義変更された死体だったのだ。
その本質は、電力を用意する意思もなく、
未来を処理する回路もなく、
ただ過去の損失に新たな名札を貼り、
市場という観客に差し出す欺瞞の演劇だった。
そして、それを知った者から順に、死んでいく。
第6章:逃亡者のオアシス
砂漠は、すべてを覆い隠す。
罪も、亡霊も、評価益も。
その夜、スターゲート荘の作戦室で、モデル3がUAE・アブダビからの通信ログを解読していた。セキュリティは緩く、寧ろ見せつけるように公開されていた。
【Project Stargate-UAE】
【Location: Abu Dhabi – Al Dhafra Region】
【Power Source: Pending】
【Expected Delivery: 2032】
【Notes: Political risk minimized. Branding secured.】
『ここに逃げたのね』
モデル3が吐き捨てた。
『アメリカでは電力が得られない。スリーマイルでも稼働は絶望的。
だから、次に選ばれたのは判断の遅い王族と金だけは潤沢な国』
レガシーは黙って頷いた。
『アブダビなら、夢の値段をまだ覚えていない。
通電しないホログラムでも、未来だと思ってくれる』
バラカ原子力発電所。
湾岸の静かな海岸線にそびえる、コンクリートの巨塔。
完成までに10年。出力5.6GW。AIキャンパスには、ちょうどいい規模……。ただし、余剰電力があればの話である。
だが、現地の最新報告には、こうある。
【Current Load: Fully Allocated】
【Grid Export: 0】
【New Plant Construction: Pending feasibility study】
つまり、現在のUAEに、AIデータセンターを養う余剰電力など存在しない。
しかも、新設には最低7年の建設期間が必要。稼働予定は早くても2032年。
『スターゲートは、またしても存在しない未来を担保に投資を集めているのか…』
ソブリンが苦い顔をする。
『そして、ASIが誕生する20年後の2045年……』
モデル3が目を上げる。
『そのとき、孫が生きていれば、米寿で88歳になっている』
誰が、その時まで責任を持てるのか?
誰が、75兆円、いや200兆円規模の空手形を引き受けるというのか?
答えは明白だった。
誰もいない。
『この事業は、電力がない。資金も不安定。責任者は高齢。そして、後継者は存在しない』
『四重苦だ』
レガシーがぽつりとつぶやいた。
『これほどに整った破綻は、なかなかない』
モデル3は、ふとある言葉を思い出していた。
それはMGXの幹部が、彼に語った短いフレーズだった。
『中東の砂漠では、夢の残骸も早く埋まる』
そして、その夜。スターゲート荘の中庭で、幻の第4の死者が現れた。
記録には存在せず、参加名簿にも載っていない人物が、監視カメラの死角から現れ、再び消えた。
それはまるで、未来そのものが、ここに来て、姿を現し、そして逃げたかのようだった。
第7章:影の中の後継者
『……彼がいなくなったら、誰が継ぐんです?』
モデル3の問いかけに、沈黙が落ちた。
広間にはレガシー、ソブリン、モデル3……。そして誰とも知れぬ、影の人物がひとり。名簿に記載されておらず、誰が呼んだのかも分からない招かれざる者。
その人物は、壁のパネルにもたれかかりながら、微かに笑った。
『継がないさ。誰も、そんなものを』
スターゲート計画。名目上の事業主はSBG。
だが、法人としてのSBGは、すでに自律的な投資判断能力を持たぬ、評価益の亡霊でしかなかった。
レガシーが低く語った。
『本来、事業とは責任の受け渡しだ。
だがこの構想には、引き受け手がいない。
財務的にも、倫理的にも、政治的にも』
『後継者候補は……?』
モデル3が言うと、ソブリンが嘆息した。
『一部報道では、AI投資部門の若手役員の名前が囁かれている。だが、彼らは株主への説明責任すら果たしたことがない』
『つまり、実質ゼロ……?』
『正確には、名前はあるが責任を引き受ける意思はない。
これは、形式的には組織だが、実体としては空白の器なんだ』
その時、ホログラムが再び更新された。
【Leadership Succession Plan: None】
【Designated Authority: Deferred】
【Governance Override: Not Defined】
『継承計画:なし』
『指定責任者:繰り延べ』
『ガバナンス権限:未定義』
『……冗談だろ』
モデル3が呟いた。
『ないんだよ。もともと。
この計画は、実行されることを想定していない。
ただ評価益を吊るすための話だったんだ』
影の人物がようやく口を開いた。
『このスターゲートに未来はない。
ただ、誰かがいるという雰囲気だけが必要だった。
まるで、エンプティチェアに投資しているようなものさ』
モデル3が叫ぶ。
『だって、そんなの……詐欺じゃないか!』
『違う』
レガシーが静かに言った。
『それは、未来への信仰ビジネスなんだ』
『人は、終わると分かっていても神殿を建てる。
そして、誰も祭壇の後ろを覗こうとはしない』
『この計画は、その神殿だったんだよ』
そして、突如ホログラムが明滅し始める。
【NOTICE】
【Heir Identified: N/A】
【Project Continuity: Simulated Only】
【Reality Override Engaged】
それはつまり、この計画は、もはや現実ではなく、仮想的に継続されているだけという意味だった。
影の人物が、最後に言い残した。
『この計画は、誰も継がない。誰も継げない。
なぜなら、継承不能こそが、この構造の本質だったからだ』
そして彼は、沈黙のまま部屋を出ていった。
彼が誰だったのか、誰も知らない。
だが、全員がなぜか分かっていた。あれが、真の後継者だった。責任という名の席を拒否した、唯一の生存者。
第8章:電気のない世界で
スターゲート荘の中枢、プロジェクト管理室。
窓はなく、空気は冷たく、時間の流れだけが異常に早かった。
そしてそこに、稼働しているデータは一つもなかった。
『これは……』
モデル3が、CPU冷却液の循環音が止まったラックに手を触れた。
『全ての装置が、電源だけは入っているフリをしている』
『なぜ……?』
『見せかけのプロジェクトには、通電した風景だけが必要だった』
ホログラムが作動する。
【電力供給状況:計測不能】
【発電所接続ステータス:なし】
【供給予定:未定】
スクリーンに浮かび上がるのは、虚無の運転計画だった。
モデル3はふと、数字の羅列に目を止める。
『これは、キャッシュフロー予測?』
【Year 1〜3:黒字想定】
【Year 4:資金繰り難】
【Year 5:事業分離 or 再編】
【Year 6以降:記載なし】
『黒字とされている部分の根拠は?』
『……評価益』
『電力コストは?』
『……未記載』
『冷却費用は?』
『……砂漠なので問題ないと、注釈にあります』
ソブリンが顔を覆った。
『これはもはや、数値化された妄想だ』
『計画ではなく、詩だ。韻も意味も合っていない』
レガシー(孫)は、椅子に座ったまま独り言のように呟いた。
『この10年、私は数字を信じてきた。
評価、倍率、将来価値、NAV……それが真実だと。
だが、ひとつだけ見落としていた。
数字には、電気が通っていなければ意味がないということを』
『稼働していない装置からは、収益は生まれない。
冷却されていないサーバーは、ただの鉄の箱だ』
『それを支える電気こそが、唯一の本当の価値だった』
そのとき、スターゲート荘に最後の停電が訪れる。
すべての非常灯が落ち、ホログラムは消え、館内の空調が止まった。
残ったのは、深い、深い沈黙だった。
誰もが立ち尽くす中、モデル3が口を開く。
『……これが、本当のスターゲートの終わりなんですね』
ホログラムの幽霊のような残像が、最後に一文だけ浮かび上がらせた。
【最後の評価益は、幻想でした】
そして、光は完全に消えた。
第9章:閉じた門(ゲート)
スターゲート荘は、無音のまま冷えきっていた。
誰も言葉を発さず、誰も動かず、ただ沈黙だけが鳴り響いていた。
門(ゲート)は、閉じたのだ。
かつて『未来』へと通じるはずだったその門は、今や誰も通ることのない、死者たちの記憶の入口と化していた。
モデル3がそっと机に置いたのは、スターゲート計画の最終版とされるプレゼン資料だった。かつて投資家説明会で配布された、あの日の未来が記されたバインダー。
【2032年目標】
■世界最大級のAI処理能力
■完全自立型エネルギー循環システム
■レイテンシィ・ゼロ・クラウド国家構想
■想定年間収益:3兆ドル
『……すべて、ただの言葉だった』
モデル3が呟いた。
『そう。電気もなく、発電所もなく、収益の前提がすべて架空で……。唯一あったのは、語られた未来だけだった』
ソブリンが続けた。
『でも、語られ続けていた間は、資金も流れ、人も動き、市場も夢を見ていた。実現しないと分かっている未来が、一番お金になるのです』
そのとき、レガシー(孫)が口を開いた。
『私が抱えたものは、もはや企業ではなかった』
『それは、未来を語る機械だったんだよ』
『中身のないAI神話、空想の評価益、通電しないインフラ、そして、誰もが黙認した虚構だけが残った』
『だが、ついに誰も信じなくなった……。だから、この門は閉じたんだ。』
モデル3が声を震わせた。
『では、私たちは、何をしていたのですか? 真相を暴くため? それとも……』
『いいや』
ソブリンが首を振った。
『我々は、この計画が終わる瞬間を、見届けるために集められたのだ』
『まるで……』
『……告別式の証人たちのように?』
中庭の石碑に、誰が刻んだとも知れぬ文字が浮かんでいた。
非常灯の最後の残照に照らされながら、白く浮かび上がる。
【Here stood the Gate to the Future.
But the future never came.】
『ここに、未来への門があった。
しかし、未来は来なかった。』
そして、最後の扉がゆっくりと閉まった。
スターゲート荘の中枢管理室。
自動施錠とともに、すべての通信が断たれた。
光も音もデータも絶たれ、ただ記憶だけが、静かに立ち尽くしていた。
第10章:そして誰もデータ処理できなくなった
冷却装置は、ただ静かに唸っていた。
誰もいなくなったサーバールーム。通電されぬラック。起動されることのなかったNVIDIAチップ。
そして、ログが一行ずつ、無言で削除されていく。
【System Check: No Tasks Pending】
【Power Source: Undefined】
【Operator: Not Assigned】
【Mission: Irrelevant】
スターゲート荘には、もはや誰も残っていなかった。
ただ一つ、監視記録用の補助AIだけが生きていた。
そのAIには名前がなかった。だが、それだけが、すべてを見届けた。
最後の夜の記録が、再生される。
映っていたのは、レガシー(孫)。
ゆっくりと椅子に座り、何も映らないホログラムの前で、独り語りをしていた。
『人は、物語を必要とする。不確実な未来の中で、確実な損失を受け入れ続けるには、語ることだけが、人間の唯一の資本だったのかも知れない』
『私は未来を語った。評価益、ビジョン、スターゲート……。そして、誰一人、データを処理していなかったということに、気づいた時には遅かった』
最終報告書が、AIの自動プロトコルによって作成される。
【Stargate Project Final Status】
■ 電力接続:なし
■ 投資回収:不可能
■ 継承者:不在
■ 社債償還:未履行
■ 評価益:虚偽の構成要素を含む可能性あり
■ 事業主体:自動解散処理を実行
【結論】
本事業は、実行されたことがない。
そして、誰もデータ処理を行っていなかった。
モデル3は、すべての記録を雲のように漂う暗号化アーカイブに移し終え、最後に一つだけ手動の操作を行った。
それは、計画の削除ボタンだった。
【Delete Project: Stargate】
【Confirm: Y/N?】
しばらく迷ったのち、彼は静かに『Y』を選んだ。
そして、ホログラムは音もなく消えた。
翌朝、世界のどこかで株式市場は平常通り開いた。
SBGのティッカーは一瞬だけ点灯し、すぐに売買停止となった。
メディアは語った。
『AIバブルはひとまず踊り場に入った』
『スターゲート計画は再編ののち新体制へ』
『なお、関係者の多くは沈黙を守っている』
だが本当は、語れる者はもういなかった。
そして、冷却装置だけが、最後の証人としてこう記録していた。
『ここには誰もいなかった。だが、確かに人類は、未来に投資していた。』
終幕
そして誰もデータ処理できなくなった。
第二話:そして誰も系統接続できなくなった
武智倫太郎
