「賎民」再考察
『非差別民も同じ人間だ!』を前に書いた。
すると、以下のようなコメントが届いた。
「uraha」さんという「note」仲間だ。
私は保養所の管理人だった時期に日本料理を四条真流の方から学んでいました。
古い日本料理の文献を漁ると、奈良時代の頃から天皇家が朝鮮から外交という名目で毎年朝鮮人を呼び寄せていたことが書いてありました。
皇族の女性を喜ばせるために菓子職人や髪結などを集めていました。
彼らは伊賀など海から離れた山深い僻地に隔離され、日本人女性を与えられて帰国出来なくなるように仕向けられていた節があります。
実質奴隷貿易です。
皇室は彼らのために羊まで育てたそうで、かなり優遇していたようです。
秀吉の朝鮮出兵を契機に彼らが穢多(食肉解体するので)、非人(儒教徒は仏教徒ではないので)と名付けられ監視対象にされた。
…のではないかと私は推測しています。
このコメントについて調べる必要があると思った。
けれど、「古い日本料理の文献」をどうしても見つけられなかった。
とはいえ、 「uraha」さんはその文献を見たのだから、実際にあるのだろう。
この文献の内容が確かだとすると、「穢多(えた)・非人(ひにん)のルーツは中世らしい」という私の推理を考え直さなくてはならない。
いろいろネット検索しているうちに新たに知ったのは、以下のようなことだ。
「被差別部落の起源については、異民族(異人種)起源説、宗教起源説、政治起源説などがある。いずれの説も、反論や矛盾点が存在するため、定説にはなっていない。逆に、起源はまったく不明とする説もある」
「職業起源説と宗教起源説と政治起源説がある」
「職業起源説については、賤業に就いている人々が差別されていたからだ。日本がもともと農耕社会であり、狩猟を低く見たとする説であるが、猟師が賤業とされていないなどの反論がある」
「宗教起源説については、仏教の殺生戒や神道でいう穢れにふれるため差別されたとするもので、特に神道起源説は有力な説のひとつに挙げられている。部落差別を神仏習合の副産物とみなす説もある」
「政治起源説については、政治権力が政策的に差別を生みだした、あるいは強化したとするもの」
また、近世政治起源説というものもある。
第二次世界大戦後、歴史学界や教育現場などで主流とされてきた説である。
近世政治起源説を単純化して言えば、部落は近世権力(豊臣氏、徳川氏)が身分の流動性が大きく戦乱の絶えなかった中世を統一した際に、「民衆の分裂支配」を目的として作ったというものである。
平たく言えば、「農民の不満を幕政から逸らすために為政者がスケープゴートとしてこしらえた」「上見て暮らすな、下見て暮らせ」ということになる(ただし、近世の為政者がこうした旨の触を発した記録はない)。
この説は「中世においても差別は存在していたが、穢多・非人などの身分が制度的に固定されていたわけではない」という前提に立つ。
また戦国期の下克上の中で社会も大きく変動したことから、中世社会と近世社会の間には断絶があると考えられた。
豊臣政権から徳川政権初期にかけて、被差別民に対する新たな身分制度が形成されていったとする。
近世起源説の中でも、部落の成立(身分制度の確立)については、江戸時代初期(17世紀半ば)、全国的に宗門人別帳が作られた時点とする見方や、豊臣秀吉の太閤検地の際に検地帳にかわた(後の穢多)身分が記載された時点とする見方などがある。
しかし、この説への批判もある。
同和教育などで「部落は近世に作られた」とされてきたのだ。
近年、中世以前に被差別民が集住した河原などの「無縁」の地と、近世において被差別民の居住地と定められた地、すなわち近現代の被差別部落に直接つながる土地とが互いに重なる事例が多く報告され、中世の被差別民と近世の被差別民の歴史的連続性が注目されるようになってきた。
検地帳などにより「穢多」層の源流には、中世の賤民の系譜にあるもの、一向一揆を含めて戦国期の敗残者の系譜にあるものなどの存在も明らかにされている。
また、被差別部落の人口比率が高いのは、京都、兵庫、奈良、和歌山、愛媛の順(1908年調査)であり、東京(江戸)には少なく、東北にはごく少数しか存在しないことから、江戸幕府が作ったものとするのは不自然である。


室町時代にはすでに、村人が穢多に対する差別意識を記した史料が現れている。
古代の賎民身分である五色の賤に近世以降の被差別民の起源を求める説がある。
「古代の被征服民にして賤業を課せられた奴隷が、時代の経過とともに一定特殊の社会群に変じ、さらに賤業を営むものが穢多族であるという観念に変わったものであろう」
これは前述の古代起源説と同じかその一種であり、洋の東西を問わずアウトカーストの発生の大本は異民族ないし異人種間の征服・被征服に端を発するという、一般的な賤民史の範疇において捉えるものである。
被差別民は渡来人であるとする説と、被差別民の方が先住民であるとする説とに分かれる。
なお,在野の民俗学研究者の菊池山哉氏は『穢多族に関する研究』(1912年・発禁本)で異民族起源説を唱え、『日本の特殊部落』(東京史談会・1961年)において、全国約215カ所の「別所」を大和王権による俘囚の移配地と見て、別所を起源のひとつとする説を提唱した。
「朝廷勢力と戦い続けた古代東北の蝦夷が強制的に移住させられて賎民にされた。被差別部落のルーツの一つは古代東北の蝦夷である」とする菊池説は歴史学や民俗学の専門家から黙殺されたが、1990年代から再評価する動きが出てきた。
人類学者・鳥居龍蔵は、1890年代に、東京・関西・四国等の被差別部落の人の外形を調査し、「頭の形の幅広ならざる事、眼の蒙古的ならざる事、頬骨の突起せる事、顔の長き者の希なる事、鼻のトビナルド表中の第一(側面より見たる時湾曲無きもの)多き事、髪の生え際の好く揃ひたる事、髭髯と脚毛と少しく有るのみにて他には体毛と称すべきもの存せざる事」、「朝鮮人の帰化せし者なりとの説は少しも信ずるに足らざるなり。蓋し一も其帰化らしき体質を認めざればなり。若しも彼等が朝鮮的体質なるならば彼等の目は必ず蒙古的ならざるべからず。亦頭形がブラキセフワリック即ち幅の広きものならざるべからず。然るに彼に在りては此要素を少しも認むる能はざるに於ては寧ろマレー的体質を備ふるものに類似せるなり」との調査結果を発表した。
つまり朝鮮人説を完全に否定するとともに、被差別部落民には「蒙古眼(蒙古襞)」がみられない南方系の人種であることを強調している。
俗に「被差別部落には美人が多い」という言い伝えがあり、この伝承も被差別部落の異人種起源説を前提にしている。
部落出身者のひとりは「我徒の同胞には可なりの美人が少なくない」と述べ、部落の美人が一般地区に流出し醜い女性だけが部落に残ることを憂え、美人保護論を唱えた。
被差別部落民がコーカソイド起源であるとの説を唱えた人もいる。
戦後になると、大阪大学教授で形質人類学により47の被差別部落を含む全国的な調査を行った。
被差別部落民は周辺地域と比較して中頭型の性質を示したという。
短頭型の朝鮮型形質の最も濃厚な畿内地区内においてはもとより、一般集団との差異が少ない地域においても、被差別部落民は周辺地域の人と比較して長頭の傾向があったという。
このことは何を意味しているのか?
「長頭」の頭の形は、南方系の民族に多い。
とすれば、穢多・非人のルーツは南方系民族なのか?
しかし、穢多・非人のルーツは、日本列島の先住民族であるアイヌの人々にあると唱える説もある。
先住民の中でヤマト朝廷の侵略に対して最も粘り強く抵抗したのが蝦夷(アイヌの人々の祖先)だ。
アイヌの人々は縄文人の子孫であり、縄文人は古モンゴロイドである。
アフリカから北上したホモ・サピエンスは西と東に分かれ、西に向かった人々はネアンデルタール人と混血して今の白人になったと推測される。
東に向かった人々は、南方と北方に分かれた。
南方ににたどり着いた人々は、強い紫外線から体を守るため肌が黄色くなり、かつ小柄になり、暑い気候に順応する形質になった。
小柄なほうが体の熱を放出しやすいからだ。
この人々が古モンゴロイドと呼ばれ、縄文人の主流だったとみられている。
(今は「モンゴロイド」とか「ネグロイド」とか「コーカソイド」といった呼称は使われていないが、ここではわかりやすくするため、あえて「モンゴロイド」という呼称を使う)
北方に向かった人々は、寒い気候に順応するため、体が大きくなり、体毛が少なくなった。
体が大きいほうが体内の熱の放出を少なくすることができるからだ。
体毛が少なくなったのは、厳寒の時期に体毛が多いとそれに雪などが付着して凍り、その部分の皮膚が凍傷になりやすいので、それを防ぐためだ。
彼らは新モンゴロイドと呼ばれる。
紀元前に大陸や朝鮮半島から日本列島に大量に渡来した弥生人は、この新モンゴロイドである。
しかし、新モンゴロイドが長頭型だったとは思われない。
長頭型は主にアフリカ人の特徴なのである。
モンゴロイドのうち古モンゴロイドは新モンゴロイドより早く誕生した。
彼らは、もとのアフリカ人の特徴を多く残していたのかもしれない。
と考えると、私の中世起源説はどうも怪しいと言わざるを得ない。
古代起源説のほうが説得力があるように感じられる。
「uraha」さんが見たという文献に書いてあったとういうことを真摯に考えたほうがよさそうだ。
「奈良時代の頃から天皇家が朝鮮から外交という名目で毎年朝鮮人を呼び寄せていた」
「彼らは伊賀など海から離れた山深い僻地に隔離され、日本人女性を与えられて帰国出来なくなるように仕向けられていた」
「実質奴隷貿易」
という実態があったのかもしれない。
そしてその後、彼らが穢多・非人という名で差別されるようになったと考えたほうがいいようにも思う。
《追記》
これを投稿したところ、以下のようなコメントをいただいた。
この問題については私もかつてかなり関心を持ち、色々調べて一応の結論が出ています。
日本には今も「山窩(サンカ)」と呼ばれる人々が存在します。
彼らは狩猟や竹細工を生業として暮らす非定住の「化外の民」でした。
そのルーツは初代天皇「神武」大和入りの際、それを拒み戦い敗れた先住民「ナガスネヒコ」一族ですが、それは多くの縄文的特徴を持っています(脛が長いのは縄文人の特徴)。
つまり渡来系征服民が先住民を駆逐し、自分たちとの差別化を計った名残であると。
部落差別が西高東低で特に畿内で顕著なことも、山窩=部落民の裏付けになるかと。
この説に立てば部落差別は紀元前からとなり、日本国の成立過程に深く関わる問題です。
なるほど、と思った。
「山窩」も賎民なのではないかとは思っていましたが、彼らが日本列島の先住民だとの確信を持てないでいました。
けれど、「渡来系征服民が先住民を駆逐し、自分たちとの差別化を計った名残」だという見方はかなり説得力に富んでいます。
渡来人が先住民を駆逐して奴隷化したり、山に逃げた人々が「山窩」などになり、被差別部落が生まれたと考えてもいいのかなと思った。
