精神病棟は現代の“姥捨山”
全世界の精神科病床の2割が日本にあるという。
日本で精神科病床が盛んに作られはじめたのは1950年代である。
治療する場というよりは精神疾患者を社会から隔離する場として作られた。
そしてその実態は今もさほど変わっていない。
社会も家族も精神疾患者とともに生きることを日本では拒む。
近年は認知症患者も精神病棟に預けられることが多く、精神病棟は賑やかになった。
かつて私は自殺未遂して精神病棟にぶち込まれたことがある。
そのときは、明らかに変な人という患者はあまりおらず、多くが認知症患者だった。
見舞いにくる家族や親戚や友人もなく、彼らはわびしく入院生活を送っているようだった。
精神病棟は、現代の“姥捨山”(うばすてやま)なのだ。

昔は見るからにおかしくて家族と社会の迷惑になる精神疾患者ばかりが入院させられていたが、今は家族の迷惑になる認知症患者が精神病棟に預けられ、そこで人生を終える。
認知症や重い精神疾患のお年寄りを持つ家庭は、介護や見守りに大変な神経と労力を使う。
だから精神病棟に入院させるしかないケースもあるだろう。
そうしないと家族共倒れになる恐れさえある。
けれど、それでいいのだろうかという疑問がどうしても湧いてくる。
北欧などの外国では福祉が進んでいて、社会が彼らを助ける制度ができている。
そのためそれらの国の税金は高いが、日本もそうすべきではないかと思う。
物価高で大変だろうが、もっと困っているのはお年寄りであり、彼らを介護する家族たちなのだ。
ただ、認知症の男性や重い精神疾患のお年寄りや患者は、看護婦さん(私は女性の看護師さんを敬意を込めてこう呼ぶ)やヘルパーさんにセクハラやパワハラをすることが多い。
しかし彼らは罰せられない。
認知症だから仕方ない、精神疾患だから仕方がないと見すごす。
仮に裁判で訴えても彼らが有罪になるかどうか。
認知症なら素人が見てもそうだとわかるが、精神疾患の場合は、ベテランの医者が診ても判断が分かれることがある。
うつっぽい話し方と態度をしていればうつ病と診断されるだろうし、おかしなことを口走ったり暴れたりすれば統合失調症と診断する医者が多いと思う。
だから精神鑑定は難しい。
犯罪者の中には、精神疾患を装って軽い罪しか着せられずにのうのうと生きている人もいると思う。
たとえ認知症で精神疾患でも、罪は罪として罰すべきではないだろうか。
話がそれた。
日本も、北欧を見習って福祉を充実させるべきだと思う。
