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【公認心理師が解説】なぜ私たちは「ウソ」のほうが感動してしまうのか

映画のラストシーンでつい涙してしまったり、SNSで流れてきた「許せないニュース」に、思わず怒りで指が震えたり——そんな経験はありませんか?

私自身、医療の現場でさまざまな方と接するなかで、人がどれほど「物語」に動かされる存在なのかを、何度も実感してきました。

ですが、もしその「物語に深く心を寄せる力」こそが、私たちをフェイクニュースや陰謀論の罠に引きずり込む最大の弱点だとしたら、あなたはどう感じるでしょうか?

今日は公認心理師として、人類の進化と脳科学の視点から、「感動的な物語ほど疑うべき」というちょっと逆説的なお話をしてみたいと思います。


「真実」より「ウソ」が6倍速く広がる、その不都合な事実


私が最初にこの数字を見たときは、正直、目を疑いました。

MITの研究チームが発表した有名な調査によると、SNS上ではフェイクニュースが真実のニュースのおよそ6倍の速さで拡散していくそうです。

不思議だと思いませんか? 私たちは普段、「正しい情報を選びたい」と願っているはずなのに、なぜか心は嘘のほうに引き寄せられていく。

その理由は、シンプルだけど少し残酷です。 「真実は地味で複雑だが、ウソは明快でドラマチックだから」なのです。

ニュースの本当の姿は、たいてい灰色で、複雑で、結論が出ません。一方で、SNSで爆発的に広がる「物語」は、白か黒、善か悪、勝ちか負け。わかりやすく、心を揺さぶり、誰かに伝えたくなる。

ここに、私たち人間の脳が抱える、根の深い「物語依存」の問題が見えてきます。

① 私たちは「物語る人」として進化してきた

人間という生き物を、進化心理学では 「ホモ・ナランス(物語る人)」 と呼ぶことがあります。

狩猟採集時代を生き抜くために、人類が手に入れた最強の武器のひとつが「物語」でした。

たとえば「あの森の奥には、夜になると人を襲う恐ろしい霊がいる」という物語が共有されれば、わざわざ全員が体験しなくても、危険を回避できる。「困っている仲間を助けた者は、神に祝福される」という神話を共有すれば、血のつながりがない他人どうしでも協力できる。

物語は、人類にとって「集団の接着剤」だったのです。

ですが、ここに最初の落とし穴があります。

接着剤は、内側を強く結びつけると同時に、「内側」と「外側」をはっきり分ける線を引いてしまう。 「我々」を強く結束させる物語は、必ずと言っていいほど、「彼ら (=敵)」を生み出します。

戦争や差別、いじめの構造を冷静に観察すると、その根っこには、たいていこの「我々と彼ら」を分ける物語が潜んでいると、私は感じています。

② 物語に没入した瞬間、脳の「疑う力」は麻酔をかけられる

二つ目のポイントが、もっとも厄介な現象です。

心理学では、人間が物語にどっぷり浸かった状態を 「ナラティブ・トランスポーテーション(物語への没入)」と呼びます。

直訳すれば「物語による移送」。読者や視聴者の意識が、現実世界からスッと運び去られて、物語の中の住人になってしまう感覚のことです。

映画館の暗闇でスクリーンに集中しているとき、小説のページをめくる手が止まらないとき、SNSで誰かの「壮絶な体験談」に夢中になっているとき。 私たちの脳の中では、ある重要な機能が静かにスリープモードに入っています。

それが、クリティカル・シンキング(批判的思考) です。

私はこの状態を、よく「感情の麻酔」にたとえます。物語に深く入り込めば入り込むほど、「これは本当か?」「裏付けはあるか?」と疑う回路が、麻酔をかけられたように眠ってしまうのです。

そしてこれは、人間の欠陥ではなく仕様です。

物語にどっぷり浸かれない人類は、神話を信じられず、集団に馴染めず、おそらく生き残れなかった。だから私たちの脳は、物語に没入しているあいだ、あえて疑う力を弱めるように進化したのです。

ここで考えてみてほしいのです。 事実に基づいた論理的な議論と、感情に訴えかける一本の動画、どちらが人の信念を変える力が強いか。 答えは、もう、おわかりだと思います。

③ 「悪役を叩く快感」という、誰もが持っている影

三つ目に触れたいのは、少し痛い話です。

世界中の物語には、驚くほど共通する「文法」があります。窮地に陥った主人公が、悪役と戦い、問題を解決していく——いわゆる 「善と悪の二元論」 です。

ハリウッド映画も、子ども向けのアニメも、神話も、たいていこの構造を持っています。

問題は、現代のフェイクニュースや陰謀論の発信者たちが、この古典的な文法を極めて巧妙に悪用している点にあります。

複雑な社会問題を、「善良な我々」と「邪悪な彼ら」というシンプルな勧善懲悪ドラマに書き換える。明確な「悪役」を設定し、その悪役を倒すことが正義である、という物語を提示する。

ここで、私たちの脳の中では、ある現象が起きます。 心理学で 「共感的サディズム」 と呼ばれるものです。

人間は、自分に似たヒーローには深く共感する一方で、「悪役」に対しては共感のスイッチを切り、その悪役が苦しみ、破滅する様子に強い快感を覚える、という性質を持っています。

SNSで、ある人物や集団が「悪」と認定された瞬間、ものすごい勢いで叩きが集中する現象。 私はあれを、ただの「ストレス発散」だとは思っていません。 あれは、物語によって引き出された、人間の本能的な快感の発露なのです。

「私は炎上に乗っかったりしない」と思っている方も、どうか自分を責めないでください。 これは、特定の誰かが弱いから起きるのではなく、人類が共通して背負っている「影」だからです。

では、私たちはどう自分を守ればいいのか


ここまで読んでくださった方は、もう薄々感じておられるかもしれません。

ジャーナリズムの世界には、こんな冷たい格言があります。 「苦悩に満ちた個人の証言は、乾燥して結論の出ない統計に、毎回勝つ」

涙ながらに語られる一人のエピソードは、何百万人を対象にしたデータより、はるかに強く心を動かす。 これは、人間の脳の構造そのものが生み出す、避けがたい現実です。

ならば、私たちが取れる防衛策はひとつしかありません。 それは、ちょっと逆説的ですが—— 「感動的な物語ほど、いったん疑う」 という習慣を持つことです。

「この悪を絶対に許せない」 「この感動を、みんなに広めなければ」 「この悲劇を、もっと多くの人に知ってほしい」

そう感じて、指がスマホの「シェア」ボタンに伸びかけたとき。

その瞬間こそが、ナラティブ・トランスポーテーションのピークであり、あなたの脳がもっとも疑う力を失っているタイミングなのです。

そこで一度、深呼吸をして、「乾燥した、複雑な事実」のほうへ目を向ける。 統計はどうなっているか? 一次情報は何か? 反対側の立場の人は、どう語っているか?

この「いったん立ち止まる知的な忍耐力」こそが、情報の津波の中で自分を保つ、いちばんの錨になると私は思っています。

終わりに


最後に、今日のお話のポイントを3つにまとめます。

ひとつ目は、人類は「物語る人」として進化してきたということ。物語は私たちを結束させる接着剤であると同時に、「敵」をつくる装置でもありました。

ふたつ目は、物語に深く没入した瞬間、私たちの「疑う力」は麻酔をかけられるということ。これは欠陥ではなく、人間の仕様です。

みっつ目は、「悪役を叩く快感」は、誰の中にも眠っているということ。SNS上の炎上の根っこには、物語が引き出す本能的な快感がひそんでいます。

そして、私たちにできるのは、感情を抑え込むことではなく、「自分が今、感動している/憤っている」と気づくこと自体を、ひとつの予防接種にすることです。

心が大きく揺さぶられた瞬間こそ、いちばん落ち着いて、もう一歩奥にある「乾いた事実」へ目を向けてみる。 たったそれだけで、あなたは物語の罠から自分を守れる側にまわれます。

人間が物語に動かされること自体は、悪いことではありません。むしろ、それは私たちが豊かに生きるための、かけがえのない力です。 ただ、その力に自覚的になること。 それができる人は、確実に、これからの時代を一段深いところで生きていけると、私は信じています。

長文にもかかわらず、最後までお付き合いくださりありがとうございます。これからも、いい意味で"ちょっとだけマニアックな"情報を届けていけたらと思います。

#フェイクニュース #認知バイアス #公認心理師 #メディアリテラシー #脳科学


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