共感力が高い人ほど危ない──物語が生む『選択的サディズム』の正体:AI書評『ストーリーが世界を滅ぼす』
あなたは「共感力が高い人」ですか?
それとも、涙もろくて、映画やドラマの登場人物に感情移入しすぎてしまう方でしょうか。
もしそうなら、今日の話は、ぜひ最後まで読んでほしいと思っています。
私は医療の現場で長年、人の「こころの動き」を見てきました。そこで気づいたことがあります。傷つきやすい人ほど、物語に没入しやすい。そして、物語に没入した人ほど、自分では気づかないうちに、誰かを「悪者」に仕立て上げることに快感を覚えてしまう──そういう側面があるということです。
これは性格の話でも、道徳の話でもありません。脳の「仕様」の話です。
今日は、進化心理学者ジョナサン・ゴットシャルの著作『ストーリーが世界を滅ぼす』をもとに、私たちの脳がいかに物語によって操られているかを、できるだけ平易にお伝えしようと思います。
私たちは「物語る動物」である──それが問題の出発点
人間が物語を語り、聴くことを愛するのは、単なる娯楽の好みではありません。
進化の観点からいえば、これは600万年以上かけて磨かれた「生存戦略」です。狩猟採集時代、小さな集団の中で生き延びるために、人間の脳は「誰が仲間で、誰が裏切り者か」を素早く識別する能力を発達させました。そのための最も効率的なツールが、物語だったのです。
「昨日、あの男が食料を独り占めした」という話を共有することで、集団の結束は高まり、掟を破った者を排除することができた。物語は、血縁を超えて人々を一致団結させる「社会の接着剤」として機能してきたのです。
ところが、ここに大きな逆説があります。
内側を固める力は、同時に「外側への壁」を作り出す力でもあった。仲間を愛することと、外部の存在を憎むことは、同じ一枚のコインの表と裏です。物語によって強化された「私たちの正義」は、その裏側で必ず「あいつらの悪」を生み出してきました。
現代のSNSは、まさにこの脳の仕様を、かつてなかった規模で刺激し続けています。
物語は脳の「批判システム」をオフにする
ゴットシャルが「闇の芸術」と呼ぶのは、物語が私たちの理性をいとも簡単に迂回してしまうという現象です。
心理学の言葉で「ナラティブ・トランスポーテーション(物語への没入)」と呼ばれる状態──要は「物語に引き込まれた状態」──にあるとき、人間の脳はクリティカル・シンキング(批判的思考)の機能を実質的に停止させます。
これは映画館で号泣しているとき、エンドロールが流れるまで「これはフィクションだ」と意識できなくなることを思えば、感覚的にわかると思います。
問題は、フィクションに限らず、ニュースやSNSの「ドラマ化された情報」に接しているときにも同じことが起きているという点です。私たちは物語に没入しているとき、提示された情報が事実かどうかを検証する「疑う能力」を一時的に失っています。感情に訴える物語は、合理的な議論よりもはるかに容易に、人の信念を書き換えてしまう。物語は、脳の防衛システムをすり抜ける「影響力行使のマシーン」なのです。
これは、臨床の現場でも似た経験があります。人は論理よりも、「自分と似た誰かのストーリー」に動かされます。どんな正確な統計データよりも、一人の体験談の方が、人の行動変容を引き起こすことがある。それは物語の素晴らしい力でもあり、同時に恐ろしい危うさでもあります。
「共感力」は選択的である──その先に潜むもの
共感は美しい能力です。他者の痛みに寄り添い、孤独な人に手を差し伸べる力の源です。
しかし、ゴットシャルは鋭くこう問います。「その共感は、誰に向けられていますか?」と。
物語の中で、私たちは自分に似たキャラクター、あるいは「私たち側」のヒーローには深く共感します。涙を流し、応援し、心から勝利を願う。一方、その対極に置かれた「悪役」に対しては、共感をあっさりと停止します。そして──ここが本当に怖いところなのですが──正義の名のもとに、その悪役が罰を受け、苦しむ場面に、強い「快感」を覚えることすらあるのです。
ゴットシャルはこれを「共感的サディズム」と呼んでいます。
「そんな残酷な感情、自分には無縁だ」と思った方は、少し振り返ってみてください。あなたはSNSで、特定の誰かが「叩かれている」投稿を見たとき、どんな感情を持ちましたか。いわゆる「炎上」のコメント欄を開いて、読み続けてしまったことはありませんか。
あの感覚の正体が、「共感的サディズム」です。「悪者が正しく罰せられるのを見る快感」は、人間の脳に深くプログラムされた反応なのです。これは歴史上の凄惨な出来事の根底にあったものと、心理構造として地続きです。ゴットシャルは「悪魔は『他者』ではない。悪魔は『私たち』だ」と書いています。重く、そして真摯に受け止めたい一言です。
私たちが「現実」と思っているものは、もはや物語の寄せ集めかもしれない
現代のニュースメディアが「ドラマ」になって久しいことは、多くの方が肌感覚でわかっているはずです。
純粋な「事実」よりも、「英雄と悪漢の対立構造」に加工された情報の方が視聴者を惹きつけるため、メディアはあらゆる出来事をドラマとして配信します。この「ドラマ化されたニュース」を毎日摂取し続けることで、人々の世界観は静かに歪んでいきます。
心理学的な調査によれば、ニュースを頻繁に消費する人々は、世界を実際よりもずっと危険で邪悪な場所だと感じる「ミーン・ワールド(意地の悪い世界)シンドローム」に陥りやすいとされています。客観的な治安指標がどれほど改善されていても、「世界は怖い」という感覚は物語によって更新され続けるのです。
さらに深刻なのは、SNSのアルゴリズムが、正確な事実よりも「怒りや恐怖を引き起こす物語」を優先的に拡散させるよう設計されているという点です。結果として、互いに矛盾し合う物語が戦う「ストーリーランド大戦」の状態が、今この瞬間もSNS上で繰り広げられています。私たちが「現実」と呼んでいるものは、もはやそれぞれの集団が信じ込んでいる「主観的な物語」の寄せ集めに過ぎないのかもしれません。
科学と「自己不信」が、物語の毒を薄める
では、どうすればいいのか。
ゴットシャルは「物語をやめろ」とは言いません。物語は人間の本能であり、それを完全に排除することはできない。彼が提唱するのは、もっと地味で、もっと難しいことです。
まず、科学への再コミットメントです。科学は「見たいもの」ではなく「実際にあるもの」を明らかにするシステムです。刺激的な物語に出会ったとき、「自分の報酬系が今刺激されているな」と自覚し、あえて事実を確認する習慣を持つこと。これが物語の毒に対する、今のところ最も有効な解毒剤だとゴットシャルは言います。
次に、自分が信じている物語を疑う習慣です。私たちは誰でも、自分を物語の「主人公(英雄)」として捉えがちです。しかし、他者の目には自分が「悪役」に見えている可能性がある。この視点を持てるかどうかが、分断を生むか、対話を生むかの分岐点になります。
そして最後に、他者への礼節です。自分とは異なる物語を信じている人を、「意図的に邪悪な人間」ではなく「異なる物語の迷宮に迷い込んでいる人」として見ること。これを実践するのは簡単ではありませんが、ゴットシャルはこう書いています。「物語を憎み、抵抗せよ。だがストーリーテラーを憎まないよう必死で努めよ。そして平和とあなた自身の魂のために、物語にだまされている気の毒な輩を軽蔑するな」と。
これはただのきれいごとではなく、文明を物語の炎から守るための、実践的な処方箋だと私は思います。
まとめ
今日お伝えしたことを、最後にまとめておきます。
物語は人類が「結束」のために発達させた能力だが、同時に「外側への排他性」を生む両刃の剣である。
物語に没入すると脳の批判的思考機能が低下し、情報の真偽を検証する力が弱まる。
共感は選択的であり、「悪役の苦しみを見る快感(共感的サディズム)」は誰の脳にも潜んでいる。
現代のメディア・SNSは「怒りと恐怖を引き起こす物語」を優先拡散するよう設計されており、現実認識は歪み続けている。
物語に抵抗するための武器は、科学・自己不信・他者への礼節の三つである。
私自身、この本を読んで、自分がこれまでに「正義」だと思って憤った出来事を、一つひとつ見直したくなりました。あの怒りは、どこまでが事実に基づいていたのか。そして、どこからが物語に乗せられた感情だったのか。
「どうすれば物語で世界を変えられるか」ではなく、「どうすれば物語から世界を救えるか」を問うこと──その問いを持ち続けることが、今の時代を生きるうえで必要なことだと、私はこの本から学びました。
あなたにも、その問いを持ち帰っていただけたら、うれしく思います。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。今日の記事が、皆さんの明日以降の一歩を考えるきっかけになればうれしく思います。
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参考文献:ジョナサン・ゴットシャル著『ストーリーが世界を滅ぼす――物語があなたの脳を操作する』(東洋経済新報社、月谷真紀訳)
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